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 アパートの隣の部屋に住むあの人との関係は、顔を合わせたら挨拶をする程度のものでした。


 男性ということと、表札に書かれていた芝原という名字くらいしか知りませんし、なんの仕事をしているのか家族がいるのかも分かりません。

 年齢は、多分お母さんと同じくらいだと思います。分かるのはそれくらいです。それでもあの人のことを印象深く覚えているのは、恐らくあのベランダのせいでしょう。


 そのベランダには花がありました。それも植木鉢の一つや二つではありません。アパート一階の小さなベランダに、お花屋さんをめ込んでしまったかのように色取り取りの花で溢れ返っていました。大きい花や小振りな花、赤白ピンク……名前は分かりませんがどれも誇らしそうに咲いていて、風が吹くとほんのり甘い香りを振り撒くのです。


 ありふれた田舎の片隅には似合わない、綺麗なベランダでした。近所の人達も目を奪われていて、立ち話も「白い花が咲く季節ね」とか「良い香りがするって言ったら一本分けてもらったの」とか、芝原さんが引っ越してくる前とは全然違う、ちょっとお上品なものになりました。近所がとても明るくなっていたと思います。

 芝原さん自身も、上品という言葉が合うくらい穏やかで優しい人でした。前に、ベランダに侵入しようとしていた小さな男の子が居たのですが、芝原さんは怒りもせずに薔薇の棘の危険性について説明していました。その後、棘を落とした薔薇を男の子にプレゼントする芝原さんの姿は、今でもはっきりと思い出せます。こんな人が父親だったらいいのになって思っていました。


 ……最初におかしいなと思ったのは、近所にある祠でした。いつも綺麗に掃除をされていて花が供えてあった祠が、いつの間にか汚れていて枯れた花がそのままになっていたのです。季節は冬だったので、私は寒いからサボっちゃったのかなとしか考えませんでした。


 次に、芝原さんのベランダの鉢がどんどん枯れていきました。力なく項垂れる植物を見て、そういえば最近芝原さんを見ていないことに気が付きました。


 芝原さんは行方不明になっていました。警察を名乗る人に芝原さんについて話を訊かれたこともあります。警察の人は、私が子供だからか過剰なほど穏やかな口調でした。でも、その全身から滲み出る威圧的な雰囲気が兎に角怖くて仕方がありませんでした。

 警察も怖いですが、事件とか事故とかそういうものはテレビやネットのニュースで見るものだと思っていた私には、隣に住んでいた人が消えてしまったという事実が恐ろしかったです。


 それから数日経ちましたが、芝原さんは居なくなったままです。ベランダの植物達は、もう二度と花を咲かせることが出来ないほどに茶色いミイラになってしまいました。

 植物が枯れるに連れて、大人達の立ち話も芝原さんの嫌な噂話ばかりになりました。それも、枯れたベランダに見慣れてくると全部忘れてしまったかのよう噂話も消えました。


 それでも私は芝原さんのベランダを見る度に胸の奥がざわついてしまいます。もしかして、もう二度と会うことは出来ないのでしょうか? こんなことならもっと話をすればよかったです。


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