2.
外に出ると、もう夕方になっていた。初めてのデートは、確かに彼のことをよく知れたし、何よりとても楽しかった。
けれどこれで終わりかと思いきや、最後に見せたいものがあるとフィリップ様が連れてきたのは、王都の中ではなく、王城の隣にそびえたつ細長い塔だった。周囲の監視の為にと昔建てられたもので、今は使われていない。
差し込む赤い夕陽の光の中、延々と続いているんじゃないかと思えるほどに長い長い螺旋階段を上がり、息も絶え絶えになりながら進むが、なかなかゴールは見えてこない。
「この階段って、こんなに、長いもの、でしたっけ……」
絶望の表情で首を上に向けていると、同じだけの運動量のはずなのに息切れ一つしていないフィリップ様が、呆れ眼で私を見やる。
「お前もう少し体力付けろよ」
「なんで、あなたは、そんなに、元気なんですか」
「俺はちゃんと鍛えてんだよ。アリシアも少しは鍛えろ。……とりあえず、今日は背負ってやろうか?」
「……いえ、自分の力で、頑張ります」
リンデルに帰ってきてからというもの、デスクワークが多い上、毎日好みの差し入れが届くせいで、体が少し重くなり、昔よりも体力も格段に落ちている気がする。
だって子供の頃、リリアンヌ姉様と二人でここに遊びに来て頂上を目指した時は、ほぼ駆け足状態のままあっという間に上り切った記憶がある。
女王という職業はある意味体が資本だし、明日からは私も少しずつ体力作りの運動を始めようと心に決めながら、気持ちを奮い立たせて階段を上がる。
そうしてようやくゴールを示す扉が見えた。確かここを開けると外に出られて、王都を一望できるはずだ。
はやる心を押さえ、軋む扉をゆっくりと押すと、隙間から入った夜風が体を撫でる。運動した後なので冷たさを感じるはずの風に心地よさを感じつつ、最後まで開ききったら、すぐ目の前には夜の帳の下りたリンデルの王都の街並みが広がっていた。
だけど、ここで私は、昔に見た景色と明らかに違っていることに気付き、思わず声を上げる。
「これって────本当にうちの王都なの?」
姉様と一緒に見た記憶の中の夜の王都は、石造りの建物が淡く輝く月光と瞬く星の光に照らされた、美しくも静かなものだった。
けれど今、目の前に広がっているのは、街並みの美しさはそのままに、夜空を彩る光と同じくらい王都自体に光が灯っていて、街の持つ華やかさと熱気が、少し離れたここまで届いている。
リンデルは自然も多く、平和で過ごしやすい国だけど、良くも悪くも突出した特徴がなく、何かあれば一瞬で他国に呑み込まれてもおかしくない程の小国だ。
人も物も外へ流出しない代わりに外からの流入もなく、ずっとあまり大きな変化のない国だった。おそらく何もしなければ、時間と共にゆっくりと、静かに朽ちていってもおかしくないほどで。
けれど今目の前に見える王都は、とてもじゃないけど終わりに向かっているようには見えなかった。
「……フィリップ様が私に見せたかったものって、これですか?」
この問いかけに彼は、ちらちとこちらを一瞥して短く「そうだ」と答えると、眼下の景色に目線をやり、静かな声で口を開いた。
「今日、色んなところを見て回ったが、気付いていたか? リンデルに入ってくる行商人も観光で訪れる人の数も、この二年余りで圧倒的に増えた。それに合わせてこの国にも色んな物や文化も入ってきて、昔よりも全体的に潤い活気づいている」
フィリップ様の言葉に、私は今日一日を振り返る。
最初に行った市は、姉様と訪れた時よりも賑やかで、人もお店の数も以前に比べてかなり多かった。それに全体の三分の一程はリンデル以外からやってきた行商人たちの開いたお店だった。
鑑賞した歌劇は別の国での童話を元にした話だったし、演者も色んな国の人たちが混じっていた。
昔から外から入ってきたお菓子はあったけどどれも高級品でほとんど市場に出回らず、けれど露店でもカフェでも、リンデル産ではないものも数多く並んでいて、それが当たり前のように定着している。
行きかう国民の顔も昔に比べ、皆一様に明るかった。
「確かに俺はお前が欲しいと思ったから、二人の姉を排除してまで次期女王という立場までお前を押し上げた。だが同時に、お前ならこのリンデルの女王にふさわしいと思ったんだ。アリシア、この国がこうして息を吹き返したのは、お前が留学中、王女としていくつもの国との縁を作ってきたアリシア自身が残した結果だ。そのことをみんな知ってるし、お前のことを、優秀だったリリアンヌの代わりだなんて国民は誰も思っちゃいない」
なんでこの人は、私が心の奥底に持っていた不安を目ざとく察知できるのか。
この国の為、私は自分にできることをしてきたつもりだ。
だけどチェルシー姉様……はともかく、リリアンヌ姉様の能力と人気には遠く及ばない。それでも姉様がダマル帝国に嫁いでしまった事実は変えられず、私がこの国を継ぐことになった。
正直プレッシャーは感じたし、不安もあった。きっとこの国の民は、嫌がりはしなくても、リリアンヌ姉様の方が良かったなと思っているんじゃないかって。
けれど王配がフィリップ様なので、私が姉様よりも劣っていてもまあ問題はないだろうし、皆もそう考えているのだろうと。
だから私は、おとなしくフィリップ様の駒の一つとなって、リンデルの為に力を尽くそうと思っていた。
けれどフィリップ様は、私以上に私の力を信じていたみたいだ。
「お前の手が回らないところは俺が補う。だから、自信を持て。なんせお前は────この俺が死ぬほど惚れてるこの国の未来の女王だからな」
まだ自分にどれだけのことができるかは分からない。私は王国一の天才児でもないし、目を見張るほどの美貌があるわけでもなく、元々国民の人気の高かった王女でもない。
それでもこうして彼が信じてくれるのなら、私は彼の期待に応えたい。もうすぐこの国を統べる者として。
私は夜の光を纏う王都から視線を外し、フィリップ様に体ごと向き直る。
「私は姉のリリアンヌとは違うわ。それでも私なりのやり方でこの国を守る。だからフィリップ、最後まで隣で、私とこの国を支えてほしいの」
すると彼は私への忠誠心を示すように頭を下げ、その場で跪きそれに応えた。
「勿論です。アリシア王女殿下とリンデルに、この命尽きるまで、私の全てを捧げます」
○○○○
こうして私とフィリップ様との初めてのデートは今度こそ終わりを告げた────と思っていたけど、最後に一つやることが残っているらしい。
「約束しただろう」
「え、今からですか?」
もうなかなかに遅い時間である。しかし今日そこまでしてしまわないとどうしても気が済まないという。
満面の笑みで丁寧に包まれたピアスの入った小袋を目の前で掲げられれば、断るのも気が引ける。
なので、すぐに部屋へと移動して、必要なものをエリーに用意してもらった。
先に自分のを開けてくれとのことだったので、穴を開ける場所に印をつけ、ちゃんと消毒したそれ専用の針に滑りがいいように軟膏を塗ったものを手に持ち、椅子に座るフィリップ様の前に少し屈んで立つ。
「緊張するんですけど」
針を持つ手が自然と震える。大体他人の体に、絶対に痛みを伴わせると分かっていて緊張もせずにいられる人なんて、どのくらいいるんだろうか。
これが注射を打つことが日常茶飯事な医師ならともかく、私はただの王女である。
「いいから早くしろ。遠慮せず思いっきりぶっさせ」
「……分かりました」
このまま突っ立ってたって埒が明かない。一つ深呼吸すると、意を決してえいっと思いっきり印のところに針を突き刺した。
「────っ!」
やはり痛かったのか、フィリップ様が一瞬目を瞑り、声にならない声を上げる。
が、これで終わりではない。急いでそれを抜くと、今度はすぐ近くに用意していた薄紫色のピアスを、貫通したばかりの穴に入れ、外れないように後ろを留めた。
「できました」
無事にやり遂げられ、なんとなく感無量な気持ちでまじまじとピアスに目をやる。
まるでフィリップ様が私のだと主張するように、彼の左耳を私の瞳と同じ色が彩っている。恋人や夫婦がこれを贈り合うことの意味が、少し分かった気がした。
それは彼も同じのようで。
「いいな、これ。俺がお前のものだって周りに証明しているみたいだ」
鏡で確認したフィリップ様は、うっとりした面持ちで自身の耳に触れる。
カフェテリアで感じた柔らかな空気感はどこへやら、瞬く間に私の良く知る真っ黒なフィリップ様に戻り、その表情がちょっぴり扇情的で、背筋がゾクリと粟立つ。
逃げ出したい気分に駆られるが、当然それが許されるはずはなく。
「次はお前の番な」
ご機嫌な様子で彼が元いた椅子の上に座らされ、手際よく準備を終えたフィリップ様が、針を持ってぐっと距離を詰める。
「い、痛いですか?」
「痛くないことはない。が、我慢はできる」
いくぞ、と軽く声をかけられ、その瞬間耳に激痛が走った。
「いっ────!!」
何が我慢できるだ。
フィリップ様とは違い、喉の奥から捻り出したような甲高い悲鳴が上がり、自然と目から涙が零れる。
それでもフィリップ様は泣く私に構わず、彼が今日食べていたあのチョコレートと同じ濃い茶色の石のついたピアスをはめる。
「おーい、終わったぞ」
聞こえているがそれどころじゃなかった。
痛い、普通に痛い。痛すぎる。どうしてフィリップ様はあんなに平然とできていたんだと思えるほどで、涙も止まらない。それでもなんとか痛みを鎮めようと、ゆっくりと息を整える。
すると彼は私の目線に合わせるように屈み、頬に手を置いて流れる涙を宥めるように優しく親指で払いながらも、別の指でまだ痛みの残る右の耳朶をそっと撫でる。
「悪いな。泣かせたかったわけじゃないんだが」
「っ、別にあなたのせいじゃないですよ。私が勝手に泣いただけなので。それで……どうしてそんなに嬉しそうなんですか」
そう言ったら彼の笑みが深くなった。
「本当は泣いているお前を慰めてやりたい。なのに、痛みからくる泣き顔であれ、お前の初めての表情を引き出せたってのがたまらなく嬉しいんだ。それに俺の目と同じ色のピアスもいい。────さっきも言ったが、俺の全てはお前のものだ。だが俺は、お前の全ても俺のものにしたい」
前言撤回しよう。
今日見せてくれた黒さを伴わないフィリップ様も、確かに彼の持つ側面だろう。けれど彼の本質はやっぱりこっちなのだ。全てを食らい尽くすほどに強く、狂気を孕んだ深くて重い愛情。
どこまで堕ちて行けば彼の元へ辿り着けるのか。分からないけれど、確かなのは私も確実にそちら側へ足を踏み入れているということだ。
だってそんな愛情を向けられていると分かっていても尚、彼のことを嫌いになれないどころか、むしろ喜んでいる自分がいるから。
約束の期限までは半年以上あって、これから先どうなるかは分からないけど、今言えるとしたら。
「フィル、またデートしましょうね」
名前を呼ばれたフィルは、少し驚いたように目を丸くした後、今度はくしゃっとした笑顔を浮かべて見せた。
「ああ、アリー。また行こう」
だから私も同じように屈託のない笑顔を彼に返した。




