失われた年月
ターケシとフィリアのいない、シフォンとロザリアだけの夕食。
食堂には香ばしい匂いが漂っていた。
焼き魚。
野菜の煮込み。
焼きたての黒パン。
それでもシフォンは、いつものように元気よく食べようとはしない。
ちらり。
何度も二階を見上げる。
ロザリアはパンをちぎりながら、小さく笑った。
「そんなに気になりますの?」
シフォンは耳をぴくりと動かす。
「……うん。」
「ご主人様。」
「大丈夫かなって。」
ロザリアは優しく微笑んだ。
「フィリアさんに任せておけば大丈夫ですわ。」
シフォンは少しだけ安心したように頷く。
しかし、しばらく黙っていたあと、不意に口を開いた。
「あのね。」
「村のお姉ちゃんたちが。」
「よく、お話してた。」
ロザリアは手を止める。
「どんなお話ですの?」
シフォンは少し照れくさそうに笑った。
「あんまり近くに行くと。」
「『シフォンちゃんにはまだ早い』って。」
「笑われた。」
「だから。」
「薪を拾うふりして。」
「後ろで、こっそり聞いてた。」
懐かしそうな笑顔だった。
「恋人さんはね。」
「手をつないで歩くんだって。」
「夕日を見たり。」
「お花をあげたり。」
「ずっと見つめ合ったり。」
「それで……。」
灰色の耳まで赤くなるように恥ずかしがる。
「き、キスしたりするって。」
最後は小さな声だった。
ロザリアは微笑む。
「そうでしたの。」
シフォンはこくりと頷いた。
「でも。」
笑顔が少しだけ消えた。
「その続きは。」
「聞けなかった。」
ロザリアも微笑みを保てない。
「その次の日。」
「村は燃やされたの。」
食堂が静かになった気がした。
シフォンはパンを見つめたまま、小さく呟く。
「お姉ちゃんたち。」
「みんな、どうなったのかな。」
「結婚できたのかな。」
「赤ちゃん、生まれたのかな。」
その問いに答えられる者はいない。
「お姉ちゃんたちね。」
「髪を結ってくれたり。」
「木の実を分けてくれたり。」
「恋人さんのお話をしてたり。」
ロザリアは静かに手を伸ばき、シフォンの手へ自分の手を重ねた。
「きっと。」
唇が止まる。
"きっと幸せになっていますわ。"
その言葉を口にすることはできなかった。
シフォンも、それが分かっている。
だから聞き返さない。
二人はしばらく黙って食卓に座っていた。
やがてロザリアは、小さく笑う。
「わたくしも。」
「恋愛は本で読んだくらいしか知りませんの。」
シフォンが顔を上げる。
「ほんと?」
「ええ。」
「十四歳で奴隷になってからは、そのようなお話をする相手も、聞く機会もありませんでしたわ。」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に苦笑した。
「じゃあ。」
シフォンは少しだけ元気を取り戻したように笑う。
「一緒だね。」
ロザリアも優しく頷く。
「ええ。」
「でも、大丈夫よ。大丈夫だから。」
励ますように。己にも言い聞かせるように。
その言葉は恋愛についてだけではない。
二人から奪われた年月は戻らない。
それでも、これから少しずつ取り戻していけばいい。
食堂の温かな灯りが、二人を静かに照らしていた。




