水の槍
「ターケシ様!」
ロザリアの叫びは、炎の轟音にかき消された。
火の壁の向こうは白煙だけだった。
人影は見えない。
紫の巨人も。
ターケシも。
すべてが燃え盛る炎の向こうへ消えていた。
ロザリアは両膝をついたまま、両手を前へ突き出している。
その間には、人の胴ほどもある蒼い水球が静かに浮かんでいた。
いや、静かではない。
ごう、ごう、と低く唸っている。
周囲の草葉から露が浮かび上がる。
木々の葉から水滴が剥がれ落ちる。
空気そのものから水分が吸い寄せられ、水球へ飲み込まれていく。
青白い光が脈打つたび、地面が小さく震えた。
これ以上は維持できない。
限界だったが。
(まだ……。)
ロザリアは唇を噛む。
(まだ撃てません。)
ターケシが見えない。
炎しか見えない。
このまま撃てば。
ターケシごと撃ち抜く可能性がある。
額から汗が流れる。
いや、それは汗ではない。
鼻先から、一筋の血が落ちた。
魔力の限界。
それでも両手は震えない。
震わせない。
父が教えてくれた。
『剣とは生きる者のために振るうもの。』
ターケシは教えてくれた。
『迷ったら仲間を信じろ。』
炎が唸る。
煙が渦を巻く。
その時だった。
風向きがわずかに変わる。
白煙が裂けた。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
炎の向こうに、巨大な紫色の胸が見えた。
その手前。
黒い影が横へ飛ぶ。
盾を抱えたターケシだった。
「今ですわ!」
ロザリアは叫ぶと同時に、水球を放つ。
轟ォォォォォッ!!
世界が白く染まる。
圧縮された水が一条の槍となり、空気を引き裂いて飛んだ。
あまりの速度に水は槍ではなく、一筋の蒼い光となる。
炎へ突き刺さる。
じゅあああああっ!!
火の壁が真っ二つに裂けた。
莫大な蒸気が爆発し、白煙を突き破り、水槍はなお進む。
紫のオーガの胸へ。
皮膚を裂き、肉を割り、骨を砕く。
遠くへ抜けていった。
轟音とともに、オーガの巨体が大きく仰け反る。
誰もが勝利を確信した。
しかし。
「……え?」
巨人は倒れない。
胸に穴を開けているのに。
なお一歩。
また一歩。
前へ踏み出す。
赤い瞳は、こちらを睨む。
「そんな……。」
水槍は確かに心臓を貫いた。
それでも止まらないのは、
魔物としての生命力か。
執念なのか。憎悪なのか。
ロザリアは立ち上がろうとした。
しかし脚に力が入らない。
だらりと落ちた腕も動かない。
全身から魔力を放った体は、言うことを聞かなかった。
水球へ注ぎ込んだ魔力が、文字どおり最後の一滴だった。
「動けない……。」
立てない。
巨人が腕を振り上げる。
巨大な爪が月明かりを鈍く反射した。
「 逃げられないわね…」
その瞬間だった。
横から黒い影が飛び込む。
「まだ終わってない!」
ターケシだった。
盾が巨人へ叩きつけられ、二つの巨体が激突する。
轟音とともに地面が揺れた。




