着火
森の奥から地響きが聞こえた。
どん。
どん。
どん。
一歩ごとに木々が震える。
鳥が一斉に飛び立ち、葉がざわめいた。
フィリアは弓を握る手に力を込める。
「来ます。」
冒険者たちの表情が一斉に引き締まった。
やがて。
森の闇を切り裂くように、灰色の影が飛び出す。
シフォンだった。
息を切らしながら、それでも迷うことなく北側の入口を駆け抜ける。
「ご主人様!」
その叫びに続いて、黒い影が広場へ飛び込んだ。
ターケシだ。
そのすぐ後ろ。
紫の巨人。
木々をなぎ倒しながら現れた巨体に、誰もが息を呑む。
「で……でかい……。」
誰かが思わず呟いた。
巨人は咆哮し、そのままターケシだけを見て突進する。
どん。
どん。
どん。
広場が揺れる。
ターケシは振り返りながら走る。
あと少し。
中央まで。
もう少し。
その時だった。
切り倒した若木が足首へ絡みつく。
「くっ!」
体勢が崩れる。
膝が地面へ着きそうになる。
巨人の影が覆いかぶさった。
巨大な腕が振り上げられる。
フィリアの心臓が跳ねた。
だが、ターケシは枝を蹴り飛ばし、転がるように立ち上がる。
まだ走る。
中央へ。
中央へ。
そして。
広場の真ん中へ踏み込んだ瞬間。
剣を高々と掲げた。
銀色の刃が月明かりを受け、一瞬だけ白く輝く。
「フィリア!」
森へ響く声。
フィリアは反射的に矢をつがえた。
だが。
指が止まる。
ターケシはまだ広場の中だ。
火を放てば。
炎は一瞬で左右へ走る。
逃げ切れないかもしれない。
熱風だけでも命を落とす可能性はある。
矢羽根が震えた。
脳裏によぎる。
昨日の砦跡。
『まだ射るな!』
ターケシの声。
それを無視した自分。
あの一射が、皆を危険へさらした。
二度と繰り返さない。
そう誓った。
フィリアはゆっくり息を吸う。
震える指が静かに止まった。
「……私は。」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「今度こそあなたを信じます。」
弦が鳴る。
矢は夜空を一直線に駆けた。
油を吸った枯れ草へ突き刺さる。
次の瞬間。
ぼっ――。
小さな火だった。
しかし。
南風が吹く。
炎は獣のように走った。
轟っ!
一瞬で左右へ分かれる。
枯れ草をなめるように燃え広がり、生木の根元へ食らいつく。
油が爆ぜる。
火柱が立つ。
枝から枝へ。
炎は緑の天井を駆け抜ける。
爆ぜる音。
燃え上がる音。
生木の樹液が沸騰し、幹が破裂する。
乾いた破裂音が夜の森へ響き渡った。
熱風が広場を飲み込む。
炎は左右から一気に北へ走る。
そして。
最後の一本へ燃え移った。
左右の火柱がつながる。
巨大な顎が閉じるように。
退路は消えた。
フィリアは息を呑む。
炎の向こう側。
白煙の中へターケシの姿が消える。
「ターケシ君……!」
返事はない。
燃え盛る炎だけが、獣のように唸り続けていた。




