索敵
シフォンが息を潜め、森の闇を縫うように先を歩く。
月明かりさえ枝葉に遮られ、足元は薄闇に沈んでいた。
一歩踏み出すたび、湿った土がかすかに音を立てる。
そのすぐ後ろを、ターケシが盾を構えたまま続く。
二人とも、言葉はない。
耳を澄ませても聞こえるのは、自分たちの呼吸だけだった。
灰色の耳がぴくりと震える。
シフォンは立ち止まり、鼻をふんふんと鳴らした。
「……ご主人様。」
囁くような声だった。
ターケシは足を止める。
「近いです。」
シフォンはもう一度、鼻をふんふんと鳴らす。
眉がわずかに寄った。
「……あの、鉄の腐ったような匂いです。」
「間違いないか。」
「はい。でも……。」
シフォンは小さく首を振る。
「匂いが動いてます。」
「動いている?」
「はい……。」
もう一度、鼻をふんふんと鳴らす。
今度は左右ではない。
ゆっくりと足元へ視線を落とした。
「違う……。」
声が震える。
「下です。」
その瞬間だった。
ターケシの体が反射的に動いた。
シフォンの襟首を掴み、力任せに後ろへ引き倒す。
「きゃっ!」
同時に。
どごんっ!!
大地が爆発した。
土砂が噴き上がる。
木の根が宙を舞い、小石が雨のように降り注ぐ。
二人が立っていた場所を突き破り、異様に肥大化した紫色の腕が地中から飛び出した。
腕だけで人の胴ほども太い。
五本の爪が空を切り裂き、鈍い風切り音を響かせる。
あと半歩遅ければ、シフォンはその手の中だった。
シフォンは息を呑んだまま動けない。
ターケシは盾を構え直し、低く笑う。
「そう何度もやられんよ。」
口元だけが笑う。
「同じ手にはな。」
地面はまだ揺れていた。
ごごごご……。
地鳴りとともに土が波打つ。
紫色の腕が地面を掴み、その巨体を引き上げ始める。
まず肩。
続いて頭。
だが、それでも終わらない。
胸が現れ、腰が現れ、なお土は崩れ続ける。
巨木の根が次々と引きちぎられ、岩が押しのけられる。
やがて、紫色の光をまとった巨体がゆっくりと地上へ姿を現した。
森の木々より一回り高い。
その姿だけで周囲の木立が小さく見える。
腐った鉄のような臭気が一気に辺りへ広がった。
砦跡のすぐ近くだった。
紫の巨人はゆっくりと首を巡らせる。
血のように赤い眼が、ターケシを捉えた。
次の瞬間、腹の底まで震えるような咆哮が森を揺らす。
鳥が一斉に飛び立ち、小動物たちが茂みの奥へ逃げ去っていく。
ターケシは盾を前へ出し、剣を構えた。
口元には、不敵な笑み。
「見つけたぞ。」
紫の巨人が一歩踏み出す。
どん。
大地が震えた。
「シフォン!」
ターケシが叫ぶ。
シフォンは一瞬だけ振り返る。
その瞳には、恐怖ではなく信頼があった。
「はい!」
踵を返し、全力で駆け出す。
紫の巨人も怒りに任せて追い始めた。
どん。
どん。
どん。
巨体が進むたび森が揺れる。
ターケシは後ろ向きに走りながら叫ぶ。
「そうだ!」
盾を叩く。
「来い!」
金属音が夜の森へ響き渡る。
紫の巨人は咆哮を返し、さらに速度を上げた。
命を懸けた追いかけっこが始まった。




