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奴隷市場から始まる異世界冒険譚―第一部王都編  作者: たーけし
闘技大会へ 前編

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地下格闘技大会までの稽古の日々

地下格闘技大会までの日々は、稽古に費やされた。

ある日は柔道だった。

王宮の訓練場に藁を敷き、ターケシは三人の前に立った。

「今日は投げる稽古じゃない。まずは投げられる稽古だ。」

「投げられる稽古、ですか?」

シフォンが不安そうに耳を伏せる。

「そうだ。受け身が取れなければ、戦う前に終わる。」

ターケシは軽く地面に転がって見せた。背中を丸め、腕で畳代わりの藁を叩き衝撃を逃がす。

「倒れるな、ではない。倒されても壊れない体を作る。」

最初に挑んだのはシフォンだった。 勢いよく転がったものの、尻もちをついて目を白黒させる。

「うう……地面が強いです……。」

「地面はいつでも強い。だから仲良くなれ。」

次にロザリアが挑む。 貴族らしい優雅さを保とうとした結果、妙にぎこちない転がり方になった。

「こ、これは……高貴な者のする動きではありませんわ……。」

「地下格闘技大会に高貴な倒れ方はない。」

フィリアは無言で受け身を取った。 一度目から形は整っていたが、ターケシは首を横に振る。

「うまい。でも硬い。森で枝を避ける動きとは違う。人に投げられることを想定しろ。」

フィリアはわずかに目を細め、もう一度転がった。

受け身。 立つ。 また受け身。

何度も繰り返すうちに、三人の動きから恐怖が少しずつ消えていった。

夕方になる頃には、シフォンは地面に転がってもすぐ立ち上がれるようになっていた。

「ご主人様! 今の、痛くありませんでした!」

「よし。次は痛くないだけじゃなく、立ち上がってすぐ反撃できるようにする。」

シフォンの耳がぴんと立った。

ある日は空手だった。

「拳は振り回すな。まっすぐ出せ。」

ターケシは腰を落とし、拳を前へ突き出した。

「腕で打つな。足で地面を踏んで、腰を回して、体ごと拳を運ぶ。」

三人は横一列に並び、見よう見まねで突きを出す。

「えいっ!」

シフォンの突きは速い。 だが、腕の力で拳を出している。

「速いが軽い。もっと足を使え。」

「足で、拳を打つんですか?」

「そうだ。」

シフォンは難しい顔で足元を見た。

ロザリアの突きは形が美しかった。 だが、どこか遠慮がある。

「ロザリア。相手を傷つける覚悟が足りない。」

ロザリアは一瞬だけ黙った。

「……分かっていますわ。」

もう一度突く。 今度は空気を裂く音がした。

フィリアは無駄が少なかった。 弓を扱う者らしく、姿勢の安定は抜群だった。

「フィリアはいい。ただ、拳を戻すのが遅い。」

「戻す?」

「打った拳は、相手に掴まれる。出したら戻せ。矢を放ったあと、次の矢に移るのと同じだ。」

フィリアは小さく頷いた。

突き。 蹴り。 受け。

単純な動きの繰り返しだった。 だが単純だからこそ、ごまかしが利かなかった。

やがて三人の額に汗が浮かぶ。

「技は速さじゃない。正確さと、心の強さだ。」

ターケシの声が裏庭に響く。

「怖くても足を止めるな。殴られそうでも目を閉じるな。相手の前に立つ勇気を作れ。」

三人は黙って頷いた。

ある日は相撲だった。

その日、屋外訓練場には円が描かれていた。

「今日は押す。引かない。逃げない。前に出る稽古だ。」

「……ずいぶん単純ですわね。」

ロザリアが顎に指を当てる。

「単純だから強い。」

ターケシは腰を落とした。

「腰を落とせ。頭を上げるな。足を止めるな。押されたら踏ん張れ。押せるなら押し返せ。」

最初はシフォンだった。

「お願いします!」

シフォンが勢いよくぶつかってくる。 獣人らしい瞬発力は見事だった。

だが、ターケシは少し体をずらしただけで受け止めた。

「軽い。勢いだけだ。」

「むう……!」

シフォンは何度もぶつかった。 そのたびに止められ、転がされ、土まみれになる。

それでも、彼女は笑っていた。

「もう一回お願いします!」

次はロザリアだった。

「わ、わたくしが本当にこれを?」

「大会では相手が遠慮してくれるとは限らない。」

ロザリアは覚悟を決め、腰を落とした。

ぶつかる。

押す。

押し返される。

「くっ……!」

細い腕が震える。 だが、ロザリアは下がらなかった。

「下がるな。足を前に出せ。」

「分かって、いますわ!」

一歩。 さらに一歩。

ターケシの足が、わずかに円の外へ動いた。

シフォンが目を輝かせる。

「ロザリアさん、すごいです!」

ロザリアは肩で息をしながら、誇らしげに笑った。

「当然ですわ……と言いたいところですが、足腰の筋肉が痙攣してみっともないですわ……。」

フィリアは静かに構えた。 押し合いは得意ではない。 だが、足の運びは巧みだった。

ターケシに押されても、体を崩さない。 木々の間を歩くように、わずかに位置を変えながら耐える。

「いい。だが今日は避ける日じゃない。押し返せ。」

フィリアは少しだけ眉を動かした。

「……難しいですね。」

「だから稽古する。」

その日、四人は何度も土に倒れた。 髪にも服にも土がついた。 膝も肘も痛んだ。

だが、夕暮れの頃には、三人とも最初より少しだけ前に出られるようになっていた。

ある日は日本拳法だった。

木製の面と胴をつけ、拳には厚い布を巻いた。

シフォンが面の隙間から不安そうにターケシを見る。

「これ、本当に殴るんですか?」

「当てる。ただし壊すためではなく、慣れるために当てる」

ターケシは拳を軽く叩いた。

「今日は、今までやったことを全部つなげる。」

「突く。蹴る。受ける。押す。崩す。倒されても立つ。」

「競技の稽古じゃない。生き残る稽古だ。」

「実戦では、相手は待ってくれない。突く。蹴る。掴む。投げる。それに慣れる。」

最初の相手はシフォンだった。

ターケシが軽く踏み込む。 拳が面の前で止まる。

それだけで、シフォンは目を閉じてしまった。

「目を閉じるな。」

「は、はい!」

もう一度。

今度は目を開けた。 だが体が固まる。

「怖いのは当然だ。怖くなくする稽古じゃない。怖くても動けるようにする稽古だ。」

シフォンは小さく息を吸った。

次の瞬間、ターケシの拳に合わせて横へ動き、短く突きを返した。

「よし。」

それだけで、シフォンの尻尾が大きく揺れた。

ロザリアは最初、打たれることに強い抵抗を見せた。

「顔を殴られるなど、淑女として――」

「地下格闘技大会の相手は、淑女として扱ってくれない。」

「……それは、そうですわね。」

ロザリアは唇を引き結び、前へ出た。

打たれる。 受ける。 打ち返す。

何度目かで、彼女の拳がターケシの胴に届いた。

鈍い音が響く。

ロザリア自身が驚いた顔をした。

「今のは良い。」

ターケシが言うと、ロザリアは汗を拭いながら微笑んだ。

「少し、分かってきましたわ。」

フィリアは間合いを読むのが早かった。 だが、近距離で拳が飛んでくる感覚には慣れていない。

ターケシはあえて距離を詰めた。

フィリアの目がわずかに揺れる。

「弓の間合いじゃない。ここで生き残る方法を覚えろ。」

フィリアは一歩下がりかけ、踏みとどまった。

そして、短く拳を返した。

ターケシの胴に当たる。

「……当たりました。」

「ああ。今のを忘れるな。」

稽古が終わる頃、三人はへたり込んでいた。

シフォンは面を外し、額の汗を拭う。

「今日は腕が上がらないです……。」

ロザリアも疲れ切った顔で頷く。

「筋肉痛が誇らしいなんて、初めて知りましたわ。」

フィリアは静かに自分の拳を見つめていた。

「森では、これほど近くで戦うことはありませんでした。」

ターケシは三人を見回した。

「大会では、何が起こるか分からない。だが、倒されても立てる。殴られても目を閉じない。押されても下がらない。それだけで、生き残れる確率は上がる。」

三人は黙って頷いた。

地下格闘技大会までの日々は、華やかなものではなかった。

土にまみれた。 何度も転んだ。 息が切れた。 悔しくて涙が出る日もあった。

それでも、四人は毎日稽古を続けた。

倒れても立つために。 怖くても前を見るために。 一人ではなく、四人で勝つために。

そして少しずつ。

本当に少しずつ。

彼女たちの体と心は、戦う者のものへと変わっていった。


王宮の訓練場を使う騎士たちも、いつしか四人の稽古へ目を向けるようになっていた。

投げるためではなく、投げられても壊れない稽古。

剣ではなく拳をまっすぐ打ち込む稽古。

円の中で、ただ前へ出続ける稽古。

そして、面と胴をつけ、突き、蹴り、掴み、崩し合う稽古。

誰もが初めて目にする武術だった。

だが、この時はまだ、その意味を理解している者はいない。

王宮の騎士たちは、後になって思い知ることになる。

彼らが興味本位で眺めていた異世界の武術が、地下格闘技大会を席巻し、やがて王宮公認闘技大会で王国中を驚かせることを。



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