24. 鏡合わせの残像
矢印が、血のように真っ赤に塗りつぶされた。
視界の端で警鐘が鳴り響く……だが、悠馬はその警告を無視し、ただ霧の奥を見据えた。
現れたのは、管理局の制服を脱ぎ捨て、黒い戦闘衣に身を包んだ茜だった。
その両手には、一対の双剣が握られている。
それはかつて花が愛用し、悠馬が花の遺体と共に遺族へと返した、文字通りの遺品だ。
「……どうして……っ!」
茜の口から漏れたのは、言葉というよりは、肺の奥を掻き毟りながら吐き出された悲鳴だった。
「どうして死なないのよ! そんなに強いなら……そんなに簡単にあいつらをあしらえるなら、なんでお姉ちゃんを守れなかったのよ!」
なりふり構わず叫び散らすその姿は、管理局で見せた冷徹なエリートの面影を完全に失っていた。
頭では分かっていた、ダンジョンは自己責任だということ。
あの場にいたのが誰であっても、救えなかった可能性が高いこと。
けれど、そう思わなければ、姉を亡くした12歳のあの日から今日まで、生きていくことなどできなかったのだ。
「アリス、ノーラ。……下がってろ」
悠馬の静かな制止。
2人が困惑しながらも距離を取る中、悠馬は短剣を抜き放ち、あえて視界を支配する『道標』の意識を遮断した。
最短のルートも、正解の回避も、今の自分には必要ない。
「茜……お前の言う通りだ。俺が慢心しなけりゃ、もっと慎重に潜っていれば、花は死なずに済んだ。……全部、俺の責任だ」
それは言い訳でも、誤解を解くための弁明でもない。
7年間の沈黙の末に、ようやく口にできた自らへの戒めだった。
だが、その真摯な言葉さえ、茜にとっては自分を否定する刃でしかなかった。
「黙れ! 死ね!死ねっ! 死んでお姉ちゃんに謝りなさいよ!!……私のお姉ちゃんを返せっ!」
茜が跳ねた――花の愛剣を振るい、憎悪のままに切り裂いてくる。
悠馬は『道標』を使わず、ただ一人の男としてその刃を迎え撃った。
ガギィィィン! と、鋭い金属音が霧の中に響き渡る。
「悠馬お兄さん……? 動きがいつもと違う……?」
背後でアリスが息を呑む。
悠馬の動きは、先ほどまでの無駄のない回避とは程遠いものだった。茜の刃をあえて身に受け、皮鎧を裂き、衝撃に顔を歪ませる。
特級ダンジョンを戦い抜く素質を持っていた花の妹だ。茜の剣は鋭く、重い。
スキルを使わなければ、悠馬の実力をもってしても、容易くあしらえる相手ではなかった。
「きっと悠馬様は、矢印を出していないのでしょう」
「えっ!何でそんな事を!」
「逃げない為……いえ、向き合う為かと」
悠馬は愚直にただ、向き合った。
かつての相棒の愛剣が放つ火花、それを正面から浴び続けることが、今の自分にできる唯一の「対話」だと信じていたから。
幾合かの激しい打ち合いが続き、やがてダンジョンの霧が嘘のように晴れ始めた。
肩で息をし、満身創痍の茜が、最後の一撃を放つ。
「死ねっ!小栗 悠馬っ!!」
その軌道――。
それはあの日、悠馬の指示に従って花が見せた、美しい跳躍そのものだった。
「……っ」
悠馬の瞳が揺れる。花の面影が茜と重なる。
だが、見たことのある動きで、今の悠馬を捉えることはできない。
――決着は一瞬だった。
悠馬は短剣の腹で双剣を弾き飛ばすと、そのまま茜の懐に潜り込み、彼女の関節を鋭く極めて地面へと伏せさせた。
「……終わりだ、茜」
冷たい地面に押し付けられた茜は、もう暴れようとはしなかった。
手に残る振動。弾かれた姉の遺品。
他人を使っても、自分の実力のすべてをぶつけても、目の前の男には届かない。
分かっていた。
復讐を誓い局員になった後、あの日の事を調べれば調べるほど、この男がどれほど強く、どれだけ絶望的な状況だったかを……そして自分がどれほど無力なのかを。
ただ、その現実を認めてしまえば、自分の7年間は、殺すためだけに積み上げてきた日々は何だったのかという絶望に、押し潰される。
「そんな……これから、私は何を思って生きていけばいいの……もう、いっそ殺してよ」
力なく茜の嗚咽が、静まり返った回廊に響く。
心の底から憎んだ相手に、殺すことも、殺されることも許されない。
……復讐という生きる杖を失った彼女は、ただの空っぽな……傷ついた少女に戻っていた。
「……すまない」
悠馬は極めていた手を離し、ただ謝るしかなかった。
地面に膝をつき、嗚咽する彼女の肩を見つめながら。
――やり直す。
そう決めた道の先にあるのは、光だけではない。
こうして、他人の人生を狂わせたという重みを一生背負い続けることなのだ。
霧が完全に晴れた『灰塵の迷宮』の中層。
そこには、立ち尽くす1人の男と、泣き崩れる1人の女の、残酷なほどに静かな光景があった。
お読みいただきありがとうございます!
ついに迎えた茜との直接対決。
あえてスキルを封じ、茜の憎しみを正面から受け止めた悠馬。
「お姉ちゃんを返せ」という茜の悲痛な叫びは、7年間凍りついていた彼女の時間が動き出した証でもありました。
残酷で、けれど避けては通れなかった2人の対話。その結末を見届けてくださり、感謝いたします。
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