19. 死神の帰還
新門司港から博多へ向かう車中、会話はほとんどなかった。
昨夜、甲板で吐き出された過去の残滓が、車内の空気を重く湿らせている。
アリスもノーラも、下手に触れれば壊れてしまう硝子細工を扱うように、窓の外へ視線を逃がしていた。
福岡市街のホテルに到着しても、その沈黙は続いた。
悠馬はチェックインを済ませると、泥のように重い足取りで自分の部屋へ閉じこもった。
彼が恐れているのは、この街のどこかにいるはずの有村茜の存在だ。
特級ダンジョンへの挑戦権を得るためには、ここ福岡にある上級ダンジョンを踏破し、実績を積み上げなければならない。
だが、正規の手続きでギルド支部へ向かえば、そこには「亡霊」が待ち構えている。
「……悠馬お兄さん、少しよろしいですか」
数時間後、部屋のドアを叩いたのはアリスだった。
その後ろには、いつになく真剣な表情のノーラも立っている。
「なんだ。飯なら勝手に食いに行け」
「そうではありません。……今から、ダンジョンへ行きましょう」
「……あ?」
悠馬が怪訝な顔を上げると、アリスは一歩踏み込んで続けた。
「二の足を踏んでいる理由は分かります。でも、実績さえ作ればいいのでしょう? 踏破の実績はシステムに残るのでしょう?報告や素材の売却は、別の県の支部で行えばいい。……このまま部屋で塞ぎ込んでいても、事態は何も変わりません」
「……左様です、悠馬様。いち早く帝国へ戻る為にも、我ら『オグリ家騎士団』の歩みを止めるわけには参りません」
2人の真っ直ぐな視線に、悠馬は毒気を抜かれたように息を吐き出した。
弱虫な自分を、まだ年若い彼女たちに透かされている。その事実が、皮肉にも悠馬の腰を上げさせた。
「……分かったよ。だが、目立つ真似は厳禁だ。素材採取も最低限にする。……いいな?」
悠馬はジャージを脱ぎ、使い古された、だが手入れの行き届いた皮鎧と短剣を身に纏った。
それは、彼がかつて『狂戦士』と呼ばれていた時代から使い続けている、唯一の装備だった。
目指すは、福岡市 上級ダンジョン『灰塵の迷宮』。
市街地の外れに位置するその入り口には、不気味なほど濃い灰色の霧が噴き出していた。
PM2.5や黄砂を凝縮したようなその霧は、探索者の視界を数メートル先まで奪い、精神を摩耗させることで知られている。
「いいか。霧の中では俺の指示にだけ集中しろ。……バラけるなよ」
悠馬の低い声が響き、攻略が始まった。
中に入ると、視界は瞬く間に1メートル先も見えないほどに悪化した。
「アリス、3時方向からオーク2体。右から薙げ。ノーラ、10時方向だ。氷結魔法で足を止めろ」
霧の向こうから、悠馬の指示が飛ぶ。
その声はいつも通り冷静で、的確だ。
指示に従い、アリスが剣を振るい、ノーラが氷の礫と投げナイフで後援する。
そこまでは、いつもの『オグリ家騎士団』の風景だった。
だが、決定的な違和感が、霧の奥から這い寄ってくる。
ドッ、ゴキッ……。
ベチャッ、という、何かが潰れるような嫌な音。
「……悠馬お兄さん?」
アリスが不安げに呼びかけるが、悠馬の指示は止まらない。
「次は正面だ。ノーラ、ナイフを3本同時に放て。アリス、そのまま左へ回って突きだ。……余計なことは考えるな、動け」
指示の声は極めて日常的だ。
だが、その声のすぐ側で、常に「肉と骨が砕ける音」が鳴り響いている。
金属音ではない。刃物が肉を裂く音でもない。
硬い拳が、生物の頭蓋を粉砕し、内臓を蹂躙する。……生々しい、暴力の音。
悠馬は、霧の中から襲い来る魔物を、皮鎧の籠手に包まれた拳だけで屠っていた。
「最短」の指示をアリスたちに出しながら、自分はもっとも非効率で凄惨な手段で、内に溜まった「鬱憤」を魔物に叩きつけている。
やがて、ダンジョンの換気ギミックが作動し、渦巻いていた灰色の霧が急速に晴れていった。
視界が開けた瞬間、アリスは思わず足を止めた。
そこには、累々と築かれた魔物の死骸の山があった。
その頂に、一人の男が佇んでいる。
アリスは悠馬の「過去」など知らない。
だが、赤黒い返り血を全身に浴び、感情の死んだ瞳で佇むその姿に、昨夜聞いた『狂戦士』という言葉が、まるで実体を持って重なったような気がした。
悠馬の皮鎧はどす黒く汚れ、両拳からは絶え間なく赤い滴が滴り落ちている。
「……次、行くぞ。時間はねえ」
その冷徹な姿に、2人は問いかけることすらできなかった。
昨日聞いた過去の告白――その裏側に潜む、この「暴力の化身」こそが、彼の真実の半分なのだと思い知らされたからだ。
オグリ家騎士団は、そのまま無言で最下層へと到達する。
道中の魔物は、悠馬の狂気的な先導により、ものの数分で殲滅されていた。
だが、重厚な石の扉が開き、主の間へ足を踏み入れた瞬間。
「ッ……あ……!?」
悠馬の喉が、引き攣った音を立てた。
一歩、後ずさる。彼の足が、目に見えて震えていた。
広大な広間の中心に、それはいた。
巨大な骸骨騎士。黒いマントを翻し、剣を構えたその姿。
有村花の命を奪い、悠馬の心を完全に粉砕した希少種――『虚飾の番人』に酷似していた。
1回り小さい体躯、大剣ではなく片手剣。
よく見れば別個体である事は、明白だが悠馬にそんな余裕などない。
脳裏に、花の断末魔と、茜の呪詛が重なって響く。
悠馬は、目を見開いたまま凍りついた。まるで、過去の記憶から伸びてきた黒い手に、心臓を直接掴まれたかのように。
「……嘘だろ。……なんで、お前がここに……っ」
皮鎧を濡らす返り血が、まるで自分の罪を数え上げているかのように、冷たく悠馬の肌を打っていた。
お読みいただきありがとうございます!
なぜ、このタイミングで『番人』に似た個体が現れたのか。
偶然か、それともこの迷宮そのものが悠馬の罪を裁こうとしているのか……。
返り血に濡れた悠馬の瞳から光が消え、物語は最悪の再会を経てクライマックスへと加速します。
次話、因縁の対決をぜひ見届けてください。
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