11. 過去の残り火、現在の光
店内を漂う、暴力的なまでに香ばしい肉汁の匂いが、少しずつ甘いデザートの香りに塗り替えられようとしていた。
アリスとノーラは、鉄板に残ったソースの一滴まで名残惜しそうに掬い上げ、ようやく満足げな吐息を漏らす。
その顔は、死闘を終えた戦士というより、放課後の買い食いを楽しむ少女のそれだった。
そんな中、悠馬のスマホが震え始めた。テーブルの下、ポケットの中で刻まれ続ける振動。
悠馬はそれを無視するように水を飲み干したが、バイブ音は執拗に、かつ焦りを含んだリズムで鳴り続けている。
(……しつこいな、望海の奴)
「……悠馬お兄さん? 魔法の板が、必死に震えていますよ。誰かが助けを求めているのではないですか?」
アリスが、パフェのメニューを眺めながら小首を傾げる。
「ああ、ただの営業電話だ。最近の機械は押し売りが激しくてな。それより、あの期間限定のイチゴパフェ、頼むか?」
「イチゴ! 頼みます! 私は、あの山盛りの……っ!」
パッと顔を輝かせたアリスに、悠馬は内心で安堵した。
『隠したい。』
今の自分の平穏を乱す予感は、すべて。だが、その一方で、悠馬の心の奥底には、自分でも気づかないほどの小さな「期待」が澱のように沈んでいた。
もし……もしもこの、理屈を超えた力を持つ少女なら。
自分の隠しているしがらみさえも、その圧倒的な無邪気さで切り裂いてくれるのではないか――。
スマホのバイフを切り、画面を伏せてテーブルの端へ置こうとしたその刹那――アリスの瞳が、コンマ数秒、発光したかのように鋭く細められた。
「……『望海』。管理局の、あの厳しいお姉様ですね」
アリスの声が、いつになく落ち着いた響きを帯びる。
「……チッ、見られたか。……というか、なんで見えるかね。どんな反射神経してんだよ、お前は」
悠馬は深く椅子に背を預け、ぽりぽりと頭を掻いた。
伏せる角度、手の動き、画面が消える速度。すべてが完璧だったはずだ。
並の探索者なら残像すら捉えられない一瞬を、アリスは当然のように「見て」いた。
呆れ。そして、やっぱりお前なら見てしまうんだな、という気怠い納得感が悠馬の胸に広がる。
「隠し事は、騎士の誓いに反するのですよ、悠馬お兄さん。……行ってきてください。私たちは、デザートを吟味して待っていますから」
アリスの屈託のない笑顔。
「……ノーラ。アリスに変なもん注文させるなよ」
「承知いたしました、悠馬様。お嬢様の胃袋の調和は、私が責任を持って管理いたします」
悠馬は観念したようにスマホを掴み、夜風の吹く駐車場へと出た。
静寂の中で通話ボタンを押す。
『――遅いわよ、悠馬』
「こっちは今、パフェの注文で忙しいんだよ。……で、何の用だ」
『あんた、九州へ行くって言ったわよね。……やめなさい。今すぐ引き返して、関東で予約待ちをなさい。実績なんて、1年もかからず積めるわ』
望海の、どこか怯えたような、震える声。
「……理由を言え」
『何となく気になって調べたのよ。福岡支部の局員名簿をね。……いたわ。有村 茜よ』
その名を聞いた瞬間、悠馬の視界から色が消えた。
心臓の鼓動が、一瞬だけ不自然なリズムを刻む。
今の悠馬が、過去から目を背けるようにして生きている理由、その「理由」の一端が、その名には刻まれていた。
「…………茜、だと?」
『ええ。あの子がなぜ管理局に入ったのか、なぜ福岡支部にいるのかは分からない。でも、あんたが行けば、間違いなく衝突するわ』
望海の言葉は正論だった。
引き返せばいい。
過去との衝突を避け、着実にそして、平穏に関東地区で実績を積めばいいのだ。
だが、窓越しに見える、パフェのメニューを指さしてはしゃぐアリスの姿。彼女は、自分が隠したかった画面を、その異次元の眼差しで捉えてみせた。
「見てほしい」という自分の弱さを、彼女は見事に射抜いたのだ。
「……いいや、戻らねえ。――続行だ」
『悠馬! あんた、自分が何を言ってるか……』
「あいつらと約束したんだ。そのためには上級の実績が必要だ、数ヶ月も足止めを食らう余裕はねえ。……茜には、もし会っちまったら、その時はその時だ」
『はぁっ!ちょっと悠馬あんた……』
一方的に電話を切り、悠馬は深く息を吐き出した。
夜の冷気が、熱くなった肺を鎮めてくれる。
席に戻ると、そこには空のデザート皿が3つ並んでいた。
「おい。俺のデザート……」
「……ゆ、悠馬お兄さん! これには深い事情があるのです! このアイス、驚くほどの速さで溶け始めていたのです。私は、その……被害を最小限に抑えようと……!」
「釈明になってねえよ。一口も残ってねえじゃねえか!」
横ではノーラが、涼しい顔でメニューを開いている。
「悠馬様、嘆く必要はありません。過去には戻れないのです、解決策として2個目を注文することを提案します。店員さん、これと同じものを2つ」
「お前、どさくさに紛れて自分のも頼んでんじゃねえよ!」
騒がしい、実になんてことのない、馬鹿げたやり取りだ。
だが、その騒々しさが、先ほどまでの重苦しい過去を、少しずつ塗りつぶしていく。
「……ったく。確かに過去には戻れない……な。全く、食い過ぎで腹壊しても知らねえからな」
悠馬は毒づきながら、新しく運ばれてきたパフェを一口、乱暴に口に放り込んだ。
甘い。かつて血反吐を吐きながら突き進んでいた頃には、決して味わうことのなかった、不相応なほどの甘さがそこにはあった。
過去からは、決して逃げられない。
それでも、今はこの隣にいる騒がしい連中との時間を、一歩でも先へ進めようと決めていた。
お読みいただきありがとうございます!
パフェを前に目を輝かせるアリスですが、悠馬のスマホ画面を一瞬で捉えるあたり、やはり只者ではありません。
「隠し事は騎士の誓いに反する」と諭しつつ、悠馬のパフェまで完食してしまう自由奔放さ。
重苦しい過去をパフェの甘さで塗りつぶしていく3人の関係性に、ほっこりして頂ければ幸いです!
「アリスにパフェを貢ぎたい!」「3人のやり取りが大好き!」と思って頂けましたら、ぜひ下の評価欄(★)とブックマークで応援をお願いします!




