第11話「使ってやってくれ」
ずっと考えていた事があった。
今まで、一度だって彼女の役に立てた事はない。小さな鳥籠から解き放たれて、広い世界を見せてくれた事。危険なときには駆けつけて救ってくれた。捕まったときも、他の誰より優先して守ろうとしてくれた。──では、自分はどうだ。いつも彼女の前を歩きながら、そのくせいざとなったら臆病にも後ろに回って待つしかできない。
だが、それも終わりだ。セレスタンから託された力は、たくさんの人々を守るために、そして家族を守るために与えられたものだ。小さな一歩にしかならないとしても、隣に立てないとしても、せめて何か役に立てる事があるかもしれない。その小さな一歩が命運を分けることだってある。彼に背中を押されて、やっとその日が来た。
「これからは私も頑張らないとな。君の助けになるだけじゃない。その結果で、お母様や邸宅で働く執事やメイド、皇都で暮らす人たち、皆を守りたい」
「……お嬢様は立派ですねえ。できますよお、きっと!」
どんな困難も力を合わせれば乗り越えられる。たとえそれが空まで届くような高い壁であったとしても、必ず。
***
────強い決意を抱き、一ヶ月が過ぎた。それぞれの方法で実力をつけ、オフェリアはシャーリンの厳しい指導のもと、今まで以上に腕をあげた。心なしか、これまで鉄壁とも言えた身体がさらに硬くなった気がした。
一方、ジョエルはセレスタンの魔導書をひたすら読み込み、伯爵邸の中庭で何度も実践を繰り返した成果が着々と積み上がっている。
「ジョエル、ちょっと無理をしてないかしら?」
「お母様。ですが休んでいる暇はないので……」
毎日、欠かさず庭へ出て魔法陣を描いては起動させ、魔力の扱い方を実践的な手段で学んでいく中、ジョエルの肉体的疲労は黙々と蓄積されていった。そもそも、魔法とはただ魔力を使うだけでなく、肉体にも相当の負担が掛かる。何度も繰り返していいものではない。セレスタンだからこそ顔色ひとつ変えずに行えた事だ。彼が重ねてきた年月と比べれば、ジョエルの修練は付け焼刃の代物でしかない。
(そうだ、まだ動けるうちに魔法を完璧に扱えるようにならないと。少しずつ、ひとつずつ、着実に。彼の意志を継ぐと決めたのなら……)
甘えたくなかった。ずっと閉じこもっていた自分の無知だった五年間を埋めるように、彼女はひたすら努力した。ロイナの制止にも耳を貸さず、オフェリアが帰ってきても、太陽が沈んで月が昇っても、必死になって続けた。
流れる汗を拭い、呼吸が荒くなってもやめようとしない。これ以上は倒れると忠告を受けたところで、やっとひと息吐く。
既に真夜中。メイドたちも心配そうに見つめる中、オフェリアがタオルを渡して汗を拭かせ、「無理はいけませんよ」と優しく諭す。努力する姿には感心しつつも、肉体への負担を厭わないやり方は見るに見かねるものがあった。
「いいですか、お嬢様。敵はいつ襲ってくるかも分からない。一ヶ月、何も起きていないのが不自然なくらいです。嵐の前の静けさとでも言うんでしょうか?……とにかく、今はコンディションを整えながら鍛えなくてはなりません。いざというときに動けなければ意味ないですからね」
もらった水を飲み、口を拭ってジョエルは小さく俯く。
「わかってるつもりだよ。でも、今のままじゃ、セレスタンさんのようにはなれない。彼のように君たちの助けになるためには、今だからこそ動かなければ」
どうせ言っても聞かないだろうと分かっていた。理解はしてもらえても、彼女のまっすぐさを傍で見続けてきたオフェリアには、支える以外の方法で納得してもらう事はできないと事前に周囲にも伝えていた。だから、はっきり拒否されたとき、ロイナに振り返ってやれやれと肩を竦めてみせた。
「そうですよねえ、やっぱりお嬢様って言っても聞かない人ですよねえ。……だったら、せめて少しでもあなたの助けになるように、良いものを用意しましたあ」
ぱちんっ、と指を高らかに鳴らせば、月を遮る黒い影が空から降って来る。ずしっと大きな戦斧を携えて、地面が割れるほどの勢いで着地したのはヴェロニカだ。
「よお、久しぶりだな! 届けもんに来たぜ!」
彼女は自分の戦斧以外にも、杖を持っていた。巨大な紅玉のはめ込まれた、霊木から作られた魔法の杖。──セレスタンが使っていたものだった。
ひょいと投げられて、ごろんとジョエルの足下に転がる。
「うわ……結構重たいね」
「ハハッ、その程度で済むのか!」
両手で持ち上げたジョエルを見て、ヴェロニカがけらけら笑う。
「そいつは普通の人間じゃ、どれだけ鍛えたって持つのがやっとだ。そのひょろっちい身体で手に持てるってんなら、やっぱてめえはアタシらと同類になっちまったってわけだな。……ちいとばかし哀れな話だがよ」
英雄の責務は重い。セレスタンがそれを託した相手が、今までずっと孤独で、やっと明るい場所へ出られたばかりの若い娘だとは。ヴェロニカは、彼女が真面目で純粋だからこそ平気にしていても、背負わされてしまったという事実を哀れんだ。もっと穏やかな生き方のほうが似合っているだろうに、と。
「ま、言っても仕方ねえか。とにかく、そいつはてめえにくれてやる。……セレスタンは良い奴だった。どうかアタシからも頼む。使ってやってくれ」




