第10話「口実」
ジョエルが地下から戻ってくると、抱えている本を見てシャーリンはぱちっ、と指を鳴らす。「大事にしてくれよ」と言って。彼女が抱えるのは、セレスタンの全てが詰まっている魔導書だ。能力を引き継いだ今であれば、きちんと学べば扱いきれるだろうと言われて気合が入った。
「……さ、お嬢様。一度帰りましょうか?」
伝言も済んだので、森に滞在している理由はなくなった。魔導書を手に入れたのなら、ゆっくり勉強する時間も欲しいはずだとオフェリアの提案に、彼女は力いっぱい頷く。これからは忙しくなるぞ、と馬車へ戻るため歩きだす。
「そうだ、お嬢様。ちょっとだけ帰る前にシャーリンとお話したい事があるので、先に行って待っててもらえますう? すぐ済みますのでえ」
「ああ、わかった。その間、本でも読んで待ってるよ」
ジョエルを一旦見送ってから、オフェリアは近くの切り株に腰掛ける。
「さて、と。どうして地下室があるなんて分かったんですう?」
「この間の皇都襲撃事件のあとに一度だけ泊ったんだよ」
「……ひとつ屋根の下に男女が……」
「何も起きてないよ。ボクは可愛い子ちゃんの方がいいからね」
指を差されて、オフェリアはふいっと顔を逸らす。
「まあ、それはいいんですよお。私の別荘が改造されてた事に不満はありますけど、それより大事なのは、スキラトって奴の話でしてえ」
「君が地下牢で見たっていう、子供みたいな奴の事か」
小さく頷き、あごに手を置いて深刻そうに考え込む。
「議会では正確に話さなかったんですけど、あれはかなり危険な奴だと思ったんですよね……。まったく気配も感じないし、得体の知れなさというか。あれは多分、影にまつわる能力を持っているんじゃないかと思うんですよねえ」
影の中へ消えたのなら、おそらくは影の中から現れる事も可能だ。暗ければ、なおさら場所など選ばないだろう。そのうえオフェリアを足止めした、影から伸びてきた無数の手。セレスタンに気取らせず奇襲を掛けられるとしたら、スキラトの能力が想像通りであった場合だと考察を立てる。
「だとしたら、ボクたちが警戒してもどこから現われるか分からないって事だろ? それじゃあ対策のしようがないじゃないか。セレスタンみたいに不意打ちでも受けたりでもしたら厄介だな……。君に何かいい考えは?」
お手上げのポーズで、首を横に振った。
「残念ながら私にも見当がつきませえん……。ただ、ひとつだけ可能性を持てるとしたら……お嬢様じゃないでしょうか。彼らも、こちらの行動を常に把握できる状態ではないようですから、影を作らない方法があればと思うんですが」
頭を悩ませても答えは出ない。シャーリンは困って頭を掻く。
「セレスタンの魔法陣の効力を考えれば、相手が力を蓄える期間を短く見積もって二ヶ月ほどだとして、その間にボクも対抗策がないか探してみるよ」
「ありがとうございますう。私も、お嬢様と一緒に調べてみますう」
スカートについた木くずを払う。馬車に戻ろうとして、足を止めた。
「あ、特訓の件なんですけど、シャーリンはこれからもここに?」
「うん。ここは果物も豊富だし、幸いにも彼の畑も半分は生き残ってる」
残ったものを見つめて、やんわり微笑む。
「なあ、オフェリア。今回の戦いが終わったら、ボクにこの土地を譲ってもらえないか? 金はいくらでも積むからさ……」
「いいですよお、別にい。好きに使ってもらって」
ひらひらと手を振りながら、オフェリアはまた歩きだす。
「どうせ殆ど使ってませんし、綺麗に使ってくれるならタダで譲りますとも~。でも、大事にしてあげてくださいねえ、それだけが私からの条件ですのでえ」
セレスタンとの思い出はオフェリアにもある。だが、その想いの深さはきっと彼女のほうが大きいに違いない。そう思って譲る事にした。それで喜んでもらえるなら、森など手放しても構わなかった。
馬車では御者が大きなあくびをして出発の時を待ち、ジョエルがじっくり真剣な目をして本を読んでいる。扉を開けたオフェリアに気付いて、ぱっと顔を上げた。
「おかえり。もう話は終わったのかい?」
「はぁい、無事に終わりましたあ。……どうですか、それ」
「うーん……。かなり難解だよ、彼はさすがだね」
記述の内容は、ジョエルには分かりにくい。いや、他の誰が読んでも似たような反応をしてみせるような特殊な代物だ。もし理解できるとしたら、アリンジューム家の人間くらいなものだった。ちらと覗き込んだオフェリアも、ニコニコしながら『頭が痛くなりそうだ』と目を逸らした。
「……あの、お嬢様。すみません、なんか、私のせいで」
「えっ。何がだい、急に。私は何もされてないが」
何を言っているんだと小首を傾げる。オフェリアは少し悲しそうな顔をした。
「いいえ。あの場所に行かなければ、そんな責務を背負う必要なんてなかったでしょう? 私は、もっとお嬢様に自由で射て欲しかったんです。だから手を差し伸べたのに、いまじゃあ、どんどん厄介事に巻き込んでしまって」
こんなはずではなかった。もっとジョエルには美しい世界だけを見て生きてほしいと思った。なのに気付けば、彼女の手を引いて歩くのは、血に塗れた道ばかり。それどころか、もっと危険な場所へ連れて行こうとしている。
だが、彼女は決して嫌そうにはせず、むしろ誇らしげに──。
「いいじゃないか。これでやっと、私にも君を助けられる口実ができた」




