大都市アルカリス 陰女愛妾
ベネットの名前を間違えて投稿してしまいました。
リーゼはベネットの誤りです
ダールの妻のエミールは久しぶりに帰宅する夫を出迎えた。普段なら月の決まった日にしか帰宅しないダールが今日は珍しく自宅に帰ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
ダールはそう言うとそのまま自室に向かおうとした。
「あのう、お夕飯はどうしますか?」
「結構です。あなたはいつも通り、私に気を使わず好きにして下さい」
ダールはそう言うとそのまま自室に入ってしまった。普段とは違う行動に何か心境の変化があったと期待してしまったがダールの態度はいつもと変わらなかった。淡い期待はなくなり、エミールは一人寂しく夕食をとった。
ダールとエミールの結婚は偽装結婚に近かった。ダールは女性に興味がないので生涯独身だと本人も思っていたがジェテルーラの頼みでエミールを娶った。エミールはジェテルーラの愛人で、前妻のネルエラが健在だった頃から付き合っていた。再婚するまではエミールとの関係は続いていた。ジェテルーラは西区画にある家をエミールに与え、エミールはジェテルーラの愛人として生活していた。
エミールは愛人としての生活に不満はなかった。日の目をみることはないがジェテルーラのことは本当に愛していたからだ。彼の家庭も壊すつもりもなく、月に何度か会ってくれるだけでエミールは満足していた。だが、その生活は長くは続かなかった。
ネルエラが他界してから数年は関係を続けていたが、エミールがジェテルーラの子供を妊娠したとときに状況へ一変した。妊娠を知ったときエミールは歓喜した。ジェテルーラの妻になれると思ったわけではない。子供のことでジェテルーラに言い寄ることはせず女手一つで子供を育てるつもりだった。
エミールは天涯孤独のだった。両親はエミールが十四歳のときに事故で死別し、親戚もいなかったエミールに肉親と呼べる人はいない。両親の死後すぐに就職した。たまたま冒険者組合の職員に空きがあり運良く就職することができた。
就職後は平穏な日々が続いた。上司や同僚は皆親切で職場環境は悪くはなかった。唯一気になるのは冒険者達だ。彼らは粗野で野蛮で調子のいい者が多く、エミールも何度も食事や遊びに誘われ、辟易することは度々あった。だが、犯罪者と言うほどの悪人もいないので刺激的で楽しい日々だったとも言えた。そんな充実した生活をしていたときにエミールはジェテルーラと出会った。
出会った切っ掛けは些細なことだった。仕事でジェテルーラと接し、エミールの失敗をジェテルーラがフォローしてくれた。それが何度かあり、エミールからお礼としてジェテルーラを何度か食事に誘った。ジェテルーラが妻子がいることを知っていたので男女の関係にはならないように気をつけていた。しかし、過ちは起きてしまう。
何度目かの食事のときにエミールはお酒を飲み過ぎてしまった。ジェテルーラは紳士的にエミールを介抱してくれた。その対応にエミールはジェテルーラに惹かれ酔った勢いもあり心のたがが外れてしまった。エミールはそのとき始めてジェテルーラに抱かれた。
ジェテルーラと一線を越えてしまったエミールはそれから愛人となるまでに時間はかからなかった。ジェテルーラを心から愛し彼を陰から支えることにした。決して日の目はみることはないと判っていたので子供ができたときは一人で育てる決意をした。
子供ができたこととエミール一人で子供を育てることをジェテルーラに伝えた。ジェテルーラは『子供が成人するまでは援助をする』と言った。その言葉に嘘はなく出産まで身の回り面倒をみてくれた。思えば妊娠から出産までの数ヶ月が一番幸せなときだった。
結論から言うと赤ん坊は死産だった。生まれた赤ん坊は産声を上げることはなかった。息をしない赤ん坊をエミールは一度だけ抱き、赤ん坊はジェテルーラが埋葬した。埋葬するさいは赤ん坊のために作った祈祷用具を一緒に埋めて貰い赤ん坊の冥福を祈った。
それからのエミールは生気が抜けてしまった。冒険者組合も退職し自宅に引きこもった。食事も余り食べない生活が数ヶ月続いた。このまま衰弱死してしまうと思われたがジェテルーラが孤児院などの慈善活動を進めてきたのだ。子供を失った母親と親がいない子供達。互いに足りないものを埋められればいいと思い提案した。
しかし、収入面での問題があった。今まではジェテルーラが面倒を見ていたがジェテルーラは再婚するため今までのようにエミールを援助することが難しくなった。慈善活動では収入はなく、冒険者組合も退職していた。そこでダールと結婚する話が持ち上がった。
ダールは市長に立候補するので伴侶がいた方がよい。その伴侶が慈善活動を行うのは対外的に高評価を得るのでダールとしても拒む理由はなかった。ダールは女性と肉体関係を持たないので夫婦と言うのは表面上だけで、妻として振る舞うだけでよいのだ。そうすれば衣食住はダールが提供すると言われた。
エミールは最初は首を縦に振らなかったが、実際に孤児院の慈善活動を始めると気分が前向きになった。子供達の相手をするのが性に合っていた。孤児院の子供達は親の愛情に飢えており、慈善活動をするエミールを慕った。子供が死んでしまった寂しさが孤児院の子供達の相手をすることで紛れた。エミールは何度か孤児院に通ううちにダールとの結婚を真剣に考えるようになりそして、エミールはダールと結婚することにした。
ダールとの結婚生活は事前に約束のとおり夫婦生活はないに等しかった。飽くまで共同生活者としてダールはエミールに接した。市長に当選してからはストリートチルドレンを支援する『施設』を立ち上げ、ダールはそこで生活をするようになった。自宅には決まった日にしか帰らず夫婦生活はないに等しかった。
ジェテルーラも再婚してからはエミールに会うことが減った。お互いの立場を重んじるためにジェテルーラは敢えて合わないようにしていた。子供を失った傷が大分癒えたエミールにはその生活が寂しいものになっていた。孤児院の子供達と接するときは寂しさを感じることはないが、一人で過ごしているときはどうしても寂しさを感じていた。
「呼吸も脈も落ち着いた。後は安静にしていれば明日から普通に生活できる」
「そうですか」
「よかった」
トリスの言葉を聞いてフレイヤとローザは胸をなで下ろした。後に控えていたダグラスも安堵した。朝食を終え自室で読書していたトリスのところにフレイヤ達が押し掛けてきた。扉をノックするのも忘れて慌てた様子で部屋に入ってきた。
普段ならそのような素行をしないフレイヤ達が転がり込むように部屋に入ってきたときは驚いたが、後から入ってきたダグラスがベネットを抱えていたのですぐに見当がついた。トリスはフレイヤとローザにベネットの上着を脱がし、ベットの上に寝かすように指示した。ダグラスには飲み水を用意するように指示した。
ベットに寝かされたベネットの意識はほとんどなく、呼吸がかなり乱れ、脈も乱れていた。トリスはベネットの首に両手を当て診察を行うと案の定、ベネットは持病の発作を起こしていた。トリスはすぐに治療を開始した。ベネットの体内にある魔素を操作し、過剰に摂取した魔素が体外へ排出した。急激に体内の魔素を減らすと今後は欠乏症を起こすのでゆっくりと体外に魔素を排出した。
体内にある魔素が少しずつ外に排出されるとベネットの容態は改善し始め、治療の開始していて僅かな時間でベネットの容態は安定した。トリスはダグラスが用意した水を吸い呑み器に入れベネットに飲ませた。ベネットは無意識に水を飲み、吸い呑み器の水を全て飲むと穏やかな寝息を立て始めた。
「呼吸も脈も落ち着いた。後は安静にしていれば明日から普通に生活できる」
トリスの言葉を聞いてフレイヤとローザは胸をなで下ろした。後に控えていたダグラスも安堵した。穏やかな寝息を立てているベネットを見つめながらフレイヤが思い詰めたように言葉を零した。
「無理をさせていたのかしら?」
「私たちがもっと気を付けるべきだったよ」
ベネットの体調に気がつかず仕事させてしまったフレイヤとローザが申し訳なさそうにベネットを見つめ、自分たちの責任だと反省しようとしたがトリスはそれを否定した。
「それは逆効果だな。ベネットは人に甘えることになれていない。今まで育った環境が甘えることを許さなかった。フレイヤとローザは今までのやり方で問題ない。反省するのはベネットの方だ」
トリスはそう言いながらベネットの髪を撫でながら、今回の非はベネットにあると言った。トリスの言い分にフレイヤ達は納得がいかないと詰め寄ろうとした。だが、ベネットを見つめるトリスの眼差しはとても優しく穏やかだった。言葉とは裏腹にトリスの優しい眼差しをみるとトリスに詰め寄る気が失せてしまった。
「ベネットについては俺が診ておく。フレイヤ達は仕事に戻れ」
「……判りました」
「ベネットのことよろしくお願いします」
「失礼しました」
今はトリスに任せた方が適任と判断したフレイヤ達はトリスの指示に素直に従い部屋を出て行った。部屋に一人残ったトリスは読みかけの本を手に取り、ベネットの眠る横で静かに読書を再開した。
一つ目の夜の鐘が鳴る前にベネットは目を覚ました。いつもと違う部屋の様子に少し戸惑っていると横からトリスの声が聞こえた。
「俺の部屋だ。安心しろ。それよりも喉は渇いていないか?」
トリスは水が入ったコップをベネットに差し出した。喉が渇いていたベネットはコップを受け取り水を口に含んだ。水を飲んで一息ついたがどうしてトリスの部屋のベッドで寝ていたのかベネットが思い出せないでいるとトリスが理由を教えてくれた。
「昼前に仕事中に倒れた。覚えているか?」
トリスに言われ、ベネットはようやく倒れたときのことを思い出した。洗濯が終わり、洗濯物を庭に干すために移動していたときに急に視界が暗くなった。次に胸が苦しくなりそのまま倒れた。その後のことは思い出せないがそのまま気を失ってしまったのだ。
朝から少し体調が悪かったがまさか気を失ってしまうとは思いもしなかった。
(私はまた迷惑を掛けてしまった。どうしていつもこうなんだろう……)
ベネットがフレイヤ達に迷惑をかけたと反省しようとしたときにトリスがベネットを小突いた。
「はっわぁ!」
痛みは小さいが、突然のことで変な声が出てしまった。
「反省する所はそこではないぞ」
「ト、トリスさん?」
「ベネットが反省するのはみんなに迷惑をかけたことではない。体調が悪いことを隠したことだ。朝から体調が悪かったんだろう?」
「……知っていたのですか?」
「診察して判った。体内の魔素の流れが異常だった。いつも発作が起きたとすぐに判った」
魔素の過剰摂取。ベネットは常人よりも多く魔素を摂取してしまう。それは本人の意思とは無関係で、無意識に魔素を過剰摂取し体調に悪影響を及ぼしてしまう。体調の変調だけならまだいいが、過剰摂取した魔素が体内で暴走し、最悪の場合は死んでしまうこともある。
人は大気にある魔素を呼吸とともに摂取し、回復薬や食事からも摂取することもできる。これはこの世界に生きる全ての生物が行うので人間だけではない。一説には魔素を過剰摂取した動物は魔獣となってしまうとも言われている。
珍しい症状のため特効薬などは存在せず、自力で克服するしか手段はなかった。だが、トリスは他人の魔素の流れを操作することができるため、ベネットを治療することができた。
「体調に変調があったときは安静にすると言っただろ? どうして黙っていた」
「ごめんなさい」
「謝罪を求めてはいない。どうして知らせなかった?」
「……少し具合が悪かっただけでした。こんなに大事になるとは思いませんでした。申し訳ございません」
ベネットは再度頭を下げてしまった。トリスが謝罪は必要ないと言ってもベネットは反射的に謝ってしまう。トリスの予想通りベネットは強迫観念にかられている。他人に迷惑を掛けてはいけない。人に頼ることができないと無意識に思っている。大人に甘えることが許されない環境で育ってしまったからだ。
「――ベネットはローザが作る菓子は好きか?」
「えっ?」
「俺は好きだ。乾燥した果物が入った焼き菓子や牛乳や牛酪を沢山使った菓子が特に好きだ。ベネットは何が好きだ?」
「あ、あのう私は……」
トリスの突然の質問にベネットは混乱した。何故ローザので作った菓子の話になるのか判らず、言い淀んでしまうがトリスは話を続けた。
「ローザが作った菓子と同じ物を買うには大銅貨一枚以上を払う必要がある。だが、材料費だけなら半分以下でいいのだ。簡単に言えばローザが入れば菓子を買わず材料を買えばいい。これはローザを雇っているからできる。判るか?」
ベネットは素直に首を縦に振った。
「ローザを雇ったことで美味しい菓子が食べられる。このことを考えるとローザを雇ったことは正解だと俺は思っている。だが、ローザと最初に出会ったときは病気で立つ自分で立つこともできないほど衰弱していた」
「!?」
「嘘ではないぞ。ダグラスも足を怪我していて杖がないとまともに歩けない有様だった。今の二人からは想像できないだろう?」
「はい」
「普通ならそんな状態の二人を雇うことはしない。俺もフレイヤの知り合いでなかった見捨てていた。助ける理由がないからな。酷いと思うが俺は一般市民だ。慈善事業家でもないから自分の利益にならないと見知らぬ人は助けない」
トリスの言うことは正論でベネットにもそれは理解することができる。
「じゃあ、何でローザとダグラスを助けたかと言うとフレイヤの知り合いだったのと病気と怪我を治すことで恩を売り、後で利益を得ようとした。投資のようなものだ」
「投資って何ですか?」
「簡単に言えば後で自分が得するようにお金を出すことだ。ローザとダグラスを雇ったのはそう言うことだ。判るか?」
「何となく判ります」
「そうか。なら、そのことはベネットにもあてはまる」
「私もですか? 私はローザさんみたいなお菓子は作れません。ダグラスさんのように強くもないです」
「判っている。ベネットは大人じゃないから何かをできるとは思っていない。だが、これからがある。十年、二十年には今では考えられないくらいに成長しているかもしれない」
「十年後……二十年後ですか? 想像できません」
「俺もベネットがその頃にどんな成長をしているのかは判らない。だがそれが面白いと思っている。ベネットは学ぶ意欲があるからフレイヤとローザから色々なことを学んでいる。どんな成長するか楽しみだ。それに……」
トリスは優しくベネットの頭を撫でながらベネットが身につけている祈祷用具を指さした。
「無茶をして身体を壊したら親のことも調べられないだろ?」
「し、知っていたんですか?」
「まあな。その祈祷用具はベネットが捨てられたときに一緒に持っていたものだろう。自分の肉親を探すための唯一の手がかかりだ」
ベネットは赤ん坊の頃に捨てられ、その際に祈祷用具が傍らにあったと前の雇い主のカドルから聞かされていた。カドルが死んで真偽はもう判らないが小さい頃からずっとこの祈祷用具を持っていたことは確かだ。
この祈祷用具がいつ作られて、誰が持っていたのかが判れば、自分の出生が判るかもしれない。いつの日かそのことを調べてみようとベネットは考えていた。
「自分の出生を知りたいと思うのは悪いことじゃない。むしろ当然のことだと思う。けど親のことを探すならまずは自分の身体を大事にしてくれ。自分を蔑ろにしたらせっかく産んでくれた母親に申し訳ない」
「……でも私は捨てられましたから」
「どうしてベネットは捨てられたかは判らないが、少なくても母親はベネットを大事にしていたと思う。自分のお腹を痛めて産んだ子供を嫌ってはいないはずだ。お守りとして祈祷用具を持たせたのかもしれない」
「本当ですか?」
「ああ、だから今はよく食べて、よく寝て、よく遊び、よく学んで欲しい。そして、大人に甘えて欲しい。大人は子供に気を使われるよりも甘えて欲しいんだ。『ごめんなさい』よりも『ありがとう』の言葉を聞きたい。俺も小さい頃に母親から同じことを言われた」
「――トリスさんがですか?」
「俺の家は母子家庭だった。父親は俺が赤ん坊のときに死んだ。だから母親にはなるべく負担を掛けないようにしていた。けれど母親からさっきの言葉を言われた。大人は子供に気を使われるよりも甘えて欲しい。『ごめんなさい』よりも『ありがとう』の言葉を聞きたいと」
トリスの言葉を聞いてベネットの瞳から大粒の涙がこぼれた。劣悪な環境で育ったベネットに今の言葉はとても嬉しく、涙があふれて止まらなかった。トリス達が自分のことをこんなにも大事にしてくれることを知って嬉しさが止まらなかった。
トリスはベネットにハンカチを渡し、泣きやむまでずっとベネットの頭を優しく撫で続けた。
誤字脱字の指摘や感想などを頂けると嬉しいです。
評価やブックマークをして頂けると嬉しく励みになりますのでよろしくお願いします。




