大都市アルカリス 小人物語
見渡す限りの草原が広がる世界。『塔』の九十七階層にトリスはクレア達を連れてきていた。先日トリスが提示した身体強化の魔術の課題を全員合格したので、トリスは皆を引き連れこの階層に来ていた。
「さてここから目的地までは魔物との戦闘は避ける。遭遇した場合は逃げることを優先にする。いいな」
「この階層の魔物ならあたし達なら楽勝だけれど、それでも逃げるのかい?」
「ああ、魔物の匂いはなるべく付着させたくないから逃げるのが優先だ」
「……判ったよ」
逃げることを優先した行動に朔夜は少々不満の声を上げたが、トリスは飽くまで逃げることを優先した。
九十七階層は比較的に大人しい魔物が多く、魔物に近づかなければ攻撃されることはない。遭遇しても朔夜の言うとおり、戦闘力の高い魔物はいないのでトリスと朔夜の実力なら後れを取ることはない。だが、その分この九十七階層は他の階層よりも広いとされている。広大な平原のために目印になるものは少なく迷ってしまう者も数多くいるので決して油断できる所ではない。
「それじゃあ行くぞ。体内の魔素の循環はなるべく抑えるのを忘れるな」
トリスはそう言うと迷いなく進み始めた。皆もそれに続きトリスに言われた通り体内の魔素を制御しながら歩き始めた。
出発してからの目的地に着くまでは概ね順調だった。トリスの言うとおり体内の魔素の循環を抑えると魔物はこちらに寄ってくることはなかった。一度、運悪く犀の魔物がこちらに向かって突進してきたが、攻撃せず道を空けると魔物はそのまま通り過ぎてしまった。
魔物と遭遇した場合は必ず戦闘になるのが冒険者の常識だ。それなのに犀の魔物はこちらを攻撃することなく、目の前を通り過ぎていった。冒険者の経歴が長い朔夜にとっては信じられない出来事でとても驚いていた。
それからは特に何の問題も起きずトリスが目指していた場所にたどり着いた。
「この辺でいいだろう。暫くここで休憩するから寛いでいてくれ」
「寛ぐってこのままだと夜になるよ。この近くに出口はあるのかい?」
『塔』の各階層には複数の出口が存在する。冒険者は夜になる前に『塔』の出口に向かうのが常識だ。
「出口はこの付近にはない。夜にならないと来ないから焚き火や明かりの準備はしてくれ」
「夜までって、まさか『塔』で一晩過ごすのかい?」
「待ち人が来なかったらそうなるかな」
「待ち人? 誰か来るのかい?」
朔夜が問い詰めるがトリスはそれ以上は何も言わず魔導鞄から焚き火用の木片を取り出した。朔夜はこれ以上聞くのも野暮と思い、自分の魔導鞄から焚き火用の木片を取り出した。
魔導鞄はトリスと朔夜しか持っていないため、クレア達はトリスと朔夜が取り出した焚き火の材料を受け取り簡単な野営の準備を進めた。準備は順調に進んでいるが、皆の口数は少なかった。
「いつもの騒がしさが嘘のようだな」
口数の少ないこの状況をトリスは客観的な感想を述べた。トリスの家でこの面子が揃えば誰かしら口を開き話をする。特に女性陣は話題が尽きることはなく、放っておけば永遠に話をしている印象がトリスの中にあった。
「だって、そろそろ夜だからどうしても緊張しちゃうよ……」
いつもの元気はどこにいったのか、クレアは不安な思いを口にした。クレアだけでなく、フェリス、ヴァン、ジョセフ、エル、ナル、朔夜に至っても緊張していた。
「安心しろっとは言わないが緊張をし過ぎるのもよくない。ちゃんと魔素の循環を抑えれば魔物は寄ってこない。来たとしても昼間の犀の魔物のように無視されるさ」
「そうだけど…… 幽霊系の魔物は生者に群がるって言うじゃん。前にエルちゃんやナルちゃんが夜に遭遇したって言っていたから……」
エルとナルがトリスと始めて会ったときのことだ。エルとナルはその話を以前クレア達に話していたのクレアはそのことを言っていた。
「確かに幽霊系の魔物は生者に群がる傾向があるな。だがそれだって人間の体内の魔素に惹かれているから起きる現象だ」
トリスはそう言って皆を安心させようとするが、『塔』の夜を経験したことのないクレア、フェリス、ヴァン、ジョセフの緊張は取れず、一度経験しているエル、ナルも同じであった。何度か経験している朔夜も緊張は取れず、自然体ではいられなかった。
夕食では食べれば少しは緊張が和らぐと思いトリスは夕食の準備をすることにした。普通の野営なら携帯食料のパンやビスケットなどですませるが、それではここにいる皆が満足しないと思いトリスは大鍋を取り出した。
トリスと朔夜が用意したそれぞれの焚き火に大鍋をおいて水を注いだ。水がお湯になる手前でフレイヤとローザが作った乾燥スープ、乾燥野菜、干し肉を入れた。これらの材料はフレイヤとローザにトリスが頼み作って貰ったものだ。フレイヤとローザは試行錯誤して作ったこれらは市販の物よりも美味しくできており、スープが温まると周囲に食欲をそそる匂いが充満してきた。
「いい匂いだ、乾燥パンも入れるか?」
「「「「「「「入れる!!」」」」」」」
スープの匂いに胃が刺激され、トリスの提案に皆が賛同した。先ほどのまでの緊張は和らいだのか皆はスープが出来上がるのを楽しみに待ち始めた。
フレイヤとローザが作った特製スープは皆にとても好評だった。二つの大鍋に用意したスープは瞬く間になくなり、更にもう一度作ることになった。合計四つの大鍋のスープを完食したことで皆の緊張は大分和らぎ、談笑できるまでになっていた。
「俺は少し周囲を確認してくる。みんなはここで待っていてくれ。何かあったら大声を出して呼んでくれ。それと焚き火の番とこれを頼む」
トリスはそう言うと魔導鞄から大きめの壺と小皿を取り出し朔夜に渡した。
「これは火酒かい?」
「葡萄酒から作った蒸留酒だ。小皿に酒を注いで火をつけくれ。火が消えたら酒を足してまた火をつけてくれ」
「火は絶やしたらいけないのかい?」
「いいや、火をつけるのは周囲に酒の匂いをまくためだ」
トリスはそれだけを言いと周囲の確認のために行ってしまった。朔夜は言われた通り小皿に酒を注ぎ火をつけた。周囲に酒の匂いが香るのを確認すると焚き火を囲み腰を下ろした。焚き火を囲みながら談笑していると不意にクレアが空を見上げながら呟いた。
「綺麗」
他の皆もつられて空を見上げるとそこは光を反射した水面のような空が広がっていた。星空とは違う水面の夜空は幻想な美しさだ。
「凄い。こんなの見たいことない」
「ああ、あたしも見るのは始めてだ。普通なら『塔』の中で夜を過ごさないからな」
クレアと朔夜の感想は皆も同じだった。こんな景色は『塔』の外では見ることができない。好奇心が強い冒険者にとってこのような景色は心奪われる光景だった。しばらく皆で不思議な夜空を眺めた。
夜空を十分に堪能したクレア達は焚き火を囲んで各自で時間を潰すことにした。武器の手入れをする者、談笑する者と別れるときにナルは皆と違う行動をした。
「私は暇つぶしの本があるので」
ナルはそう言うと鞄の中から一冊の本を取り出した。表紙には『小人物語』と書かれていた。その表紙に見覚えがあったクレアはナルに訪ねた。
「ナルちゃん、それって」
「うん、エトヴィンの新刊。まだ途中までしか読んでないけど今回は『塔』であった出来事が書いてあるの」
「それは興味深いな。どんな話が書いてあるんだ?」
ジョセフもエトヴィンの新刊と聞いて興味を持ったらしく訪ねてきた。
「賢者様が『塔』で薬草の採取に夢中になって帰れなくなったの。仕方なく『塔』で一晩明かすことになって……」
「明かすことになって……」
「明かすことになって……」
「……………………」
「……………………」
「そこで小人に合ったと言うお話だよね」
なかなかその続きを言おうとしないナルの説明にクレアが横から口を挟んだ。
「クレア、横から言うの禁止」
「だってナルちゃんが焦らせ過ぎるんだもん」
「そうだけど……でもこの話を知っているの? 一昨日入荷したばかりの新刊だよ」
「うん、私はもう読んだよ。五日前にトリスのところに届いたから」
「えっ、なんでトリスのところに五日前に届いたの? 都市の発売は一昨日だよ」
「えへへ、それは内緒! トリスに口止めされているから」
「何それずるい! 教えてよ」
可愛く誤魔化すクレアにナルはイラッときたので抗議するが、クレアは口を割らない。ナルはどうしても知りたくてクレアに詰め寄った。事情を知っているヴァンやフェリオは自分達に話が振られないことを祈ったが、エルやジョセフ、朔夜から詰め寄られた。
「ヴァンとフェリオは事情を知っているでしょ?」
「詳しいことは聞いていません。伝手があるとしか知りません」
「本当か?」
「僕も詳しいことは知りません。けれど、ジョセフ達も興味あるの? 普段は本を読まないと言っていたよね」
エルの質問にフェリオは当たり障りのない返答をするが、ジョセフは疑いの目を向ける。何とか話題をそらすためにヴァンが気になったことを訪ねた。
「賢者様の物語は別だ。冒険者なら読まない方が珍しいぞ。姐さんだって愛読している」
「そうさ、本嫌いのあたしでも読むよ。特にエトヴィンの新刊は必ず読むよ」
賢者ウォールドの書籍は数多くある。彼を題材にした舞台演劇もあるほどだ。その中で史実にもっとも近く、多く題材があるのは賢者の甥であるエトヴィンの作品だ。多少の脚色は加えていると思われるが、他の作品と違いエトヴィンの作品は史実にもっとも近いとされ、愛読者がもっとも多かった。
「でも、俺らが生まれる前から新作は出ていなかったのに今年に入ってから多く出すよな」
「何でもウォールドの生前に親しい人が訪ねたきたらしいね。その人から多くの話を聞いたみたいだよ」
「二十年以上前のことをよく覚えているな」
「そうだね」
ジョセフや昨夜の言葉に事情を知っているヴァンとフェリオは苦笑するしかなかった。トリスから口止めされていなかったら、きっとトリスとウォールドの関係を話していたに違いない。もし、そのことをここで話したら一体どうなってしまうのか。そんなことを考えながらヴァンとフェリオはジョセフ達からの追求を凌いでいた。
「はぁ、トリスさんのことについてはもういいわよ。それより『塔』で小人に合うなんて本当なの? 私はそんな噂は聞いたことないけど……」
エルはこれ以上話が進まないと思い、本の内容についての話に話題を戻した。この中で一番『塔』のことをしている朔夜も首を横に振った。
「あたしも知らないね」
「そうですね。でも本の中では夜に会ったとありますから夜行性の人に似た魔物ではないですか?」
「小型の二足歩行の魔物だと言うのか?」
「そうだと思います」
ヴァンとフェリオが小人の正体を推測していると言い争っていたクレアとナルが参加してきた。
「夢がないよ。ロマンがないよ。小人はいるよ」
「わ、私もそう思う。『塔』の中には未知で溢れているのだもん。さっきの夜空だって『塔』の外では見られないでしょ!」
「エルちゃんもそう思うよね!」
「エルは私達の見方だよね!」
真剣に小人はいると言い始めるクレアとナルは同意を求めるために同い年で同じ同性であるエルに意見を聞いてきた。
「――小人はいるって思う方が楽しいよ。クレアやナルほど真っ向から肯定できないけど……」
最後の言葉は消えそうに声でエルは小人はいる肯定派にまわった。エルは態度や言葉使いから一見男勝りと思われがちだが、実はナルやよりもロマンチストでクレアといい勝負だった。
「若いね」
「姐さん。何でしんみりとしているんですか?」
「いや、あたしも昔は家事の妖精がいると思っていたから」
「子供が壊した物を夜中に直してくれる妖精のことですか?」
「そうだよ。お気に入りのコップの取っ手が取れた時は真剣にお願いしたよ。『どうか直してください』って」
「そのコップはどうなったのですか?」
「夜中に気になって起きたら父親が一生懸命に直していた。妖精はいないとそのときに痛感したよ……」
そうして皆が談笑していると何かが近づく気配がした。朔夜はすぐに武器を手に取って立ち上り、他の皆も朔夜に続き気配がした方に意識を向けた。
「ベテヌラテア?」
声が聞こえてきた。聞いたことのない言語だ。魔物の叫び声とは違う明確な言葉に朔夜達は驚いた。
「ベテヌラテア、うぉーるどミ?」
朔夜達が返答できないと声は先ほど同じことを言ってきた。最後に付け加えられた『うぉーるど』と言う単語に朔夜達は更に驚いた。だがどう返答していいか判らずにいると先ほどの声とは別の方から違う声が聞こえてきた。
「ザット」
その声色はトリスのものだった。トリスは朔夜の後から表れ、気配のする方に向かって話し始めた。
「グディアミ、トース、ゼイ、ウォールド」
トリスは言葉の単語を組み合わせながら話し始めた。
「ダムイットデバイスゼフェーラ?」
「ウェル」
トリスは謎の声と会話をしながら自分の魔導鞄を外しながら声のする方に歩き始めた。
「ゼムアルディア、ディアラム(そこで止まれ、膝をつけ)」
「ウェル(はい)」
トリスは魔導鞄を持ったまま片膝をつくと小さな影がトリスの元に歩いてきた。いや、影ではなく黒いマントとフードをまとった子供だった。トリスの膝くらいまでの身長で跪いたトリスの魔導鞄を触った。
「タシカニ、コレハ『うぉーるど』ノモノダ」
黒い子供は今度はトリス達が使っている言語で話し始めた。
「オマエハ縁者カ?」
「私は教えを授かった者です。縁者は彼です」
トリスはそう言うとフェリオを指した。
「……『うぉーるど』ニ似タ気配ダ。嘘デハナイヨウダ」
子供はそう言うと被っていたフードを脱ぎ、フェリオの近くまで歩いてきた。最初は暗くて判らなかった小人の顔が焚き火の光ではっきりと見えた。子供だと思っていたが顔には立派な白い口髭があり、髪の毛も髭と同じで真っ白だ。まるで御伽話に出てくる小人のような出で立ちだった。
「歓迎シヨウ、我ガ種族ノ盟友デアル『うぉーるど』ノ弟子ト縁者、ソシテ仲間タチヨ。我ガナハ『でーると』ト言ウ」
「私の名前はトリスです」
トリスはそう言うとフェリオ達に目配せをした。
「フェ、フェリオと言います」
「――朔夜だ」
「クレア、です」
「ヴァンです」
「エルです」
「ナルです」
「ジョセフだ」
皆が自分の名を告げるとデールトは満足したように頷いた。
「デハ我々ノ里二招待シヨウ。人数ガ多イノデ少シ待ッテイロ」
デールトそう言うとフードを被り直し暗闇に中に戻っていった。
「どう言うことだい」
「理解が追いつかないよ」
「夢で見ていたのかな?」
「夢じゃないと思うぞ」
朔夜、エル、ナル、ジョセフは今起こったことが信じられず呆然としていたが、ナルがある事実に気がついた。
「と言うか、さっきの小人よりもトリスさんとフェリオ君はウォールドの知り合いなの? ウォールドって賢者ウォールドのこと?」
「――ああ、俺はウォールドから教えを受けた。この前教えた身体強化の魔術はウォールドが開発したものだ。そして、フェリオはウォールドの妹であるシェリーさんの孫になる」
トリスはそう言うとランプ型の魔術道具を取り出し、明かりをつけ焚き火の火を消した。
「それよりも出発する準備をするぞ」
「そんなこと? 今、とんでもないことを聞いたよね。サラッと受け流すことじゃないよね?」
「エルさん、取りあえず落ち着きましょう。僕もさっきの小人についてはトリスさんに聞きたいことがあります。でも、ここから移動するみたいなので詳しい話は後にしましょう」
ヴァンにそう言われたナルは若干頬を赤く染めながら頷いた。ナルが慌てる様子を見ていたので他の皆は取り乱すことはなかったが、先ほどの小人との遭遇には動揺していた。ここに連れてきたトリスに色々と問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。
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過去の投稿もちょくちょく修正を行っています。
設定などは変えずに誤字脱字と文章の校正を修正しています。
最後にトリスとデールトとの会話の訳です。
「ベテヌラテア?(関係者か?)」
「ベテヌラテア、うぉーるどミ?(関係者か、ウォールドの?)」
「ザット(待って)」
「グディアミ、トース、ゼイ、ウォールド(ここにいる、者、ウォールド、縁)
「ダムイットデバイスゼフェーラ(それを証明する物はあるのか?)」
「ウェル(はい)」
「ゼムアルディア、ディアラム(そこで止まれ、膝をつけ)」
「ウェル(はい)」




