アポリト州にゃん
○帝国暦 二七三〇年〇六月〇五日
○アポリト州 境界門
夜明け少し前にアルボラからアポリトに抜ける境界門を通過した。
聞いていた通り守備隊がいるわけじゃなく無人の古い門があるだけだ。
「ラルフ、交代するにゃん」
「お、おお」
馬車を停めて居眠り寸前のラルフと御者を交代する。
「私も前に行きます」
カティも御者台のオレの隣りに座った。
「まだ、寝ててもいいにゃんよ」
リーリはオレのおなかにくっついてまだ寝ている。
「いえ、ここからは道案内が必要になりますから」
「にゃあ、だったら頼むにゃん」
日の出には少し間が有るが空はかなり明るくなって来た。
「にゃお、アポリト州に入った途端に道が悪くなったにゃん」
アルボラ州でさえいいとは思えなかったのに、もっと酷くなった。
路面がかなり荒れている。
「マコトさん、もう直ぐ盗賊が多い地域に入りますから気を付けて下さい」
「そうにゃん?」
「アポリト州は貧しい州ですから治安が良くありません」
「にゃあ、アルボラ州より貧乏にゃん?」
「アルボラ州は国内でも上位の豊かな領地ですよ」
「にゃあ、それは知らなかったにゃん」
どちらかと言うと貧しい地域だと思っていた。
プリンキピウムなんてヤバい獣ばっかりだったし。
「アルボラ街道を外れると危険度が増しますから気を付けて下さい」
「にゃあ、獣は出ないにゃん?」
「プリンキピウムほどは出ません、それより道の状態が良くないです」
「にゃあ、了解にゃん」
「早速ですが、次の交差点を左に入って下さい、大公国に通じる道になります」
「にゃあ」
王都に繋がる北に向かう街道から馬車のすれ違いが厳しい道幅しかない西に行く道に入る。
○アポリト州 フルゲオ街道 旧道
石畳が敷かれているが、かなり古くてアルボラ街道より傷んでいた。
これならプリンキピウム街道の方がまだマシだ。
砂利道とあまり変わらない上に凸凹が酷い。
オレの馬車は魔法でズルしてるので多少の陥没だったらどうってことないが、普通の馬車なら直ぐに車輪がハマりそうだ。
「にゃあ、道が狭い上に曲がりくねってるからスピードを出せないにゃんね」
道の両脇は林で、その中には時折、朽ちた家屋の残骸らしきモノが見える。
かつてこの辺りは大きな集落だったみたいだ。
いまは朽ちかけた道しか残っていない。
「にゃあ、この道はあまり使われてないみたいにゃんね」
「ええ、ここはフルゲオ大公国へ向かうフルゲオ街道の旧道ですから、あまり知られてないんです」
「にゃあ、カティの取って置きにゃんね」
「そうです、通常ルートより三日は短縮できるはずです」
「三日とはスゴいにゃんね」
「道と治安が悪いので誰にでも勧められるわけではありませんが、マコトさんなら問題ないですよね」
「にゃあ、ぜんぜん平気にゃん、急ぐ旅なので近道は大歓迎にゃん」
早速、道に大穴が空いていた。馬車が丸ごと落ちそうな陥没だ。しかも割りと新しい。
「にゃあ、陥没にゃん」
「これは大きいですね」
「最近出来たみたいにゃんね、地下に空間があるみたいにゃん」
「それでしたら昔、魔法馬を掘り出した跡ですね、手付かずの魔法馬がたくさん埋まっていたそうですから」
「にゃあ、遺跡とは違うにゃん?」
「ええ、遺跡です、大昔に災害かなにかで埋まった魔法馬の大規模な工房の跡らしいですよ」
「そういうのもあるにゃんね」
「ですから、この辺りの地下はトンネルだらけらしいです」
「にゃあ、それは危ないにゃんね」
ひとまず道路の穴を修復した。
魔法で土を固めて蓋をしただけの応急処置だ。
ついでに魔法馬の反応を探ると三〇頭ほどが近くに埋まっていたので、道路工事代代わりにいただいた。
「マコトさんは、こんなに大きかった穴を一瞬で直しちゃうんですね」
「にゃあ、蓋をしただけだから根本的な解決にはなってないにゃん」
蓋をした穴を乗り越えて前に進む。
「仕方ありません、全部埋め戻すのは無理でしょうから」
「にゃあ、この下のトンネルはまるで迷路にゃんね、掘るのに軽く百年単位の時間が掛かってるのがわかるにゃん」
「ええ、魔法馬の産地として何百年も掘ったそうですよ、林の中にある廃墟は当時の繁栄の面影です」
閉山した炭鉱の街みたいなものなのだろう。いまは人のいなくなった街が森に飲まれて自然に還りつつあった。
誰もいないかつての魔法馬の産地を通り抜け本当の森に入った。
「ここから先は、しばらく森の中を進みます」
「にゃあ、この辺りに盗賊がいるにゃんね?」
「そうです、ここから先は無法地帯といってもいい場所です、何が有るかわかりませんから気を付けて進んで下さい」
「にゃあ、了解にゃん、いまのところ近くに人の反応はないにゃんね」
正確には半径五キロ圏内に人の姿は察知できなかった。
危険な獣も反応はない、いるのは小動物ぐらいだ。
「死体ならあるにゃんね、死後二~三日のが三体ほどにゃん」
「有りますね、私の魔法にも引っ掛かりました」
「風体からすると盗賊にゃん、仲間内で殺し合いでもした感じにゃん」
「そんなことまでわかるんですか?」
「にゃあ、損傷が激しいから答え合わせには行かないほうがいいにゃんよ」
「もちろん、行きません」
カティはプルプルと首を横に降った。
「おはよう」
日が出たところでアレシアが目を覚まして荷台から顔を出した。
「にゃあ、眠れたにゃん?」
「仮眠のつもりがうっかり熟睡しちゃった、兄さんは起こさなくていいの?」
「ラルフは明け方まで御者をやってくれたから寝かせといていいにゃんよ」
「わかったわ」
アレシアも御者台に出て来る。
「ところでここは何処なの?」
「アポリト州に入りました、いまフルゲオ大公国との国境に向かっているところです」
「まだ掛かりそうね」
「マコトさんの馬車ならば三日もあれば国境を超えられると思います」
「予定より随分早いのね」
「にゃあ、カティの案内のおかげにゃん」
「ふたりのおかげと言うことだね、あたしは運ばれてるだけだし兄さんは寝てるだけだし役に立ってないよね」
「にゃあ、ふたりの仕事はあっちに到着してからが本番にゃん、いまはまだ運ばれるだけでいいにゃん」
「運ばれるついでに朝ごはんにしてもらってもいい?」
「にゃあ」
「朝ごはん!」
リーリが目を覚ましてオレの胸元から這い出して来た。
○アポリト州 フルゲオ街道 旧道 街道脇
死体の反応から十分遠ざかったところで道端の空き地を勝手に拡げて馬車を停めた。
この道沿いに結界付きの野営地なんて洒落たものは存在しないみたいだ。一度も見ていない。
テーブルと椅子を出してゆっくり食べることにした。
「ギルドから携帯食を持って来たんだけど使わなくて良さそうね」
アレシアがどっさり積み込んでいた。
「にゃあ、食料も水も売るほど有るから大丈夫にゃん」
「マコトさんのご飯を食べたら、携帯食は食べられないです」
カティも気に入ってくれていたらしい。
「本当におなかが空けばおいしく食べられるよ、あたしは食べないけど」
堂々と言い切る妖精。
「にゃあ、それじゃ説得力がないにゃん、それに携帯食のパンだって薄くスライスしてアイスとホイップクリームを載せて蜂蜜を掛けたら美味しいにゃんよ」
「マコト、それ食べたい!」
「朝からアイスにゃん?」
「大丈夫だよ、朝ごはんもちゃんと食べるから」
「にゃあ」
論点がずれてる様だ。
朝ごはんのハムエッグとパンとスープ、それに野菜ジュースをペロリと平らげたリーリはオレの作った携帯食のアレンジデザートを食べる。
「美味しい!」
妖精が声を上げる。
「美味しいけど既に携帯食の体をなしてないよね」
「そうですね」
アレシアとカティも食べてる。
栄養のバランスを考えた朝食だったがいきなり崩れた様な。
それでも日本にいた頃のオレの食生活よりはずっとマシか。
「おお、もうこんな時間か」
ラルフも目を覚ました。
「問題なく進んでるよ」
「らしいな」
馬車を降りて来る。まだ眠そうな顔をしていた。
「にゃあ、しゃんとしてやるにゃん」
今日もラルフにウォッシュの魔法を掛けた。
「目がシャキッとするな」
「ネコちゃん、あたしたちにも掛けて」
「お願いします」
「いいにゃんよ」
「あたしも!」
アレシアとカティとリーリにもウォッシュを掛けた。ついでに自分も。
「はあ、生き返る」
「清潔なのはいいことだと思います」
ラルフにも朝食とデザートを出した。
リーリにはデザートのおかわり。
「ここがアポリトの森か、かなりヤバいと聞いていたが、随分と静かだな」
「にゃあ、ヤバいにゃん?」
「確かこの辺りの森はバイネス狩猟団の根城だったはずだ」
「そうですね、そう聞いています」
「直ぐ近くにいるの?」
「ヤツらの正確な居場所は不明だ」
「森と言ってもかなり広いですから」
「にゃあ、そのバイネス狩猟団てどんなヤツらにゃん?」
「盗賊の一種なんだが、人を殺して喜ぶ危ない集団だ」
「にゃお、会いたくないヤツらにゃんね」
「同感です」
「ああ、ヤツらには出会わないに越したことはない」
「移動したんじゃない? 最近に始まった盗賊狩りの影響を避けて」
「移動か、それはそれで厄介だ」
「にゃあ、冒険者ギルドの担当にゃん?」
「厳密には違うが何処の州も盗賊相手に自前の騎士団を使ったりしないから、守備隊の手が足りないとこっちに依頼が回ってくることが多い」
「にゃあ、だから動向を掴んでおきたいにゃんね」
「ああ、盗賊狩り真っ最中のアルボラに来るとは思わないが、警戒は密にしてもらった方が良さそうだ」
「にゃあ、少なくともこの辺りには居ないみたいにゃん」
「うん、盗族どころか普通の人もいないよ」
リーリが同意する。
「急いでる最中に盗賊とやり合わないで済むのは助かる」
「だね、任務が最優先だから盗賊なんかに構ってられないよね」
「そうは言っても目の前に出て来たら対処しないといけないから、ヤツらが冒険者ギルドの旗を掲げてる俺たちに近付かないことを祈るしかないな」
○アポリト州 フルゲオ街道 旧道
朝食を食べて出発した後に死体のことを話す。
食事中はエグい話はしたくない。
「聞いた状態からするとマコトの言う通り盗賊の内輪もめだな」
「良くあることにゃん?」
「あいつらの殺し合いなんて日常茶飯事だ」
「にゃあ、暴力的なヤツらは嫌いにゃん」
「盗賊なんて獣とそう変わらないと思っていい」
「にゃお」
「この先はどうだ?」
「にゃあ、オレの探査魔法には何も引っ掛からないにゃん」
「カティはどうだ?」
「私も同じです」
「見たところ盗賊どころか人っ子一人いない感じだね」
アレシアの言葉通りプリンキピウムに向かう林道みたいな風景が広がっている。要は山と谷と森があるだけだ。
「うん、人はいないよ」
「にゃあ、リーリが言うなら間違いないにゃん」
「このまましばらく人の居ない場所を行きます」
「人が居たら盗賊だと思っていいの?」
「にゃあ、見つけ次第ぶっ飛ばすにゃん」
「いや、確認してからぶっ飛ばしてくれ」
「にゃあ」
昼過ぎ、馬車は更に険しい山道に入り込んだ。
「にゃあ、ここから先、馬車はダメっぽいにゃんね」
物理的に無理な道幅な上、オフロードコースみたいな凸凹道だ。
湧き水に濡れた粘土質の土がヌルっと滑る。
「馬で行くしか無さそうか」
ラルフが荷台から立ち上がって先を見る。
「にゃあ、オレもそれがいいと思うにゃん」
「えっ、ちょっと待って、それってこの険しい山道を魔法馬で行くってこと?」
アレシアが声を上げた。
「そうにゃん、この先を馬車や魔法車で行くよりずっと現実的にゃん」
「でも良く見て、この先、険しすぎるよ」
「にゃあ、プリンキピウムのレベッカとポーラなんか壁みたいな崖を魔法馬で昇り降りするにゃん、それに比べたらまっ平らみたいなものにゃん」
「いや、あのふたりはアルボラでもトップクラスの乗り手ですから! ただの冒険者ギルドの受付のあたしと一緒にしないで!」
「にゃあ、手綱さばきに自信がないなら馬に任せていいにゃん」
「本当に?」
「にゃあ、本当か嘘か直ぐにわかるにゃん」
馬車の代わりに魔法馬を新たに四頭再生した。
「大丈夫なんだよね?」
「にゃあ、乗ればわかるにゃん」
「アレシア、これは遊びじゃないんだぞ、さっさと乗れ」
ラルフが、まだ踏ん切りがつかない感じのアレシアにはっぱを掛ける。
「わかってる!」
唇を尖らせながらもアレシアも魔法馬に跨った。
「行くにゃん」
国境に続く抜け道だが雰囲気はまるで登山道で、魔法馬が一頭ずつ進むのがやっとの道幅しかない。
ほとんど人が通らないのも納得の悪路だ。
それでもアレシアを乗せた魔法馬もちゃんと付いて来る。
「嘘、こんなに簡単に登っちゃうの?」
「馬に任せて居眠りしていてもいいにゃんよ」
「いや、流石に無理だから」
「遠慮は不要にゃん」
「いや、本当に」
片側が渓谷で、もう一方が壁みたいな崖の逃げ場のない細い道が続く。魔法で無理やり作った道らしく本当に必要最小限の幅員しかない。
もうちょっと優しくしてくれてもいいのだが。
「にゃあ、いかにも盗賊が出そうな雰囲気にゃんね」
「嬉しそうだなマコト」
「にゃあ、でもこの辺りは人の反応がないにゃん、噂のバイネス狩猟団の影も形もないにゃん」
「何で残念そうなんだ?」
「にゃあ、盗賊は儲かるから好きにゃん」
「別の意味にも聞こえますね」
「無論、獲物としての盗賊にゃん」
「ネコちゃんは武装商人みたいね」
「にゃあ、武装商人はかっこいいけど専業はちょっと嫌にゃん」
「危ない仕事だからな」
「それより盗賊は臭いから嫌にゃん」
「それは同感です」
「うんこ臭いよね!」
妖精は何か嬉しそう。
「そんなに臭いの?」
アレシアは盗賊のヤバさを知らないらしい。
「にゃあ、ヤツらは獣より臭いにゃん」
「うゎ、想像しただけで気分が悪くなりそう」
「想像も危険にゃん」
「その臭い盗賊が湧いて来る前にさっさと行くぞ」
「ちょっとバカ兄貴! これ以上速度を上げないでよ!」
涙目のアレシアは本気で兄を叱責していた。




