第17話 古い痕跡、空洞潜む地表
翌朝、私は阿部たちと水路へ向かった。
昨日までに開通させた区画では、朝の光を受けた水が静かに流れている。村へ水が届くようになったとはいえ、工事がすべて終わったわけではない。護岸が崩れかけている場所もあれば、流れが弱くなっている場所もあった。
「今日は補修箇所の点検と、その先の区画の調査をする。まずは昨日直したところから見ていこう」
私が告げると、阿部はすぐに村人たちへ指示を出した。
「源三さんは護岸を見てください。直人は俺と一緒に水の流れを確認してくれ」
源三は石積みに詳しい年配の男で、直人は力仕事をよく引き受けてくれる青年だ。二人とも阿部の指示に異を唱えず、それぞれの持ち場へ向かった。
昨日までなら、作業の順番から道具の運び方まで、私が一つずつ説明していた。だが今朝の阿部には、それを待つ様子がない。水路の状態を見て、自分で必要な作業を考えていた。
私は少し離れた場所から、その動きを見守った。
「湊さん、ここを見てもらえますか」
阿部に呼ばれ、流れの曲がる場所まで歩く。護岸の内側に、大きな石が斜めに突き出していた。水は石を避けるように片側へ寄り、土の壁を削っている。
私は石に手を当てた。
視界に情報が浮かぶ。
【風化した堰石】
【状態:固定不良】
【水流を偏らせ、左岸の崩落を早めている】
【再利用:護岸材として使用可能】
「この石が流れを狭めている。先に動かそう。ただし、捨てる必要はない。平らな面を外側に向ければ、護岸を支える石に使える」
「動かした後に組み直すんですね」
「ああ。下に小石を詰めて、ぐらつかないように固定する」
阿部は石の周囲を確かめると、源三と直人を呼んだ。
三人は石の下に鉄棒を差し込み、呼吸を合わせて持ち上げた。水を含んだ土が崩れ、石がわずかに傾く。
「一度止めよう。直人、右側に木片を入れてくれ。源三さんは足元をお願いします」
阿部の声に迷いはなかった。
指示どおりに支えを入れ、三人でもう一度力を込める。石は鈍い音を立てて水路脇へ転がった。狭められていた流れが広がり、水面が一気に低くなる。
「流れが戻ったぞ」
直人が声を上げた。
阿部は喜ぶより先に、削られていた岸へ目を向けた。
「このままだと、また土が崩れます。さっきの石をここへ置き直しましょう」
「その判断で合っている」
私が答えると、阿部は小さく頷いた。
資材置き場から運んできた平石と、今取り除いた石を組み合わせ、岸を支える。源三が石の角度を細かく調整し、直人が隙間へ砂利を詰めた。阿部は水の当たり方を見ながら、何度も位置を直させた。
しばらくすると、水は護岸へ強くぶつからず、中央を流れるようになった。
「これなら持ちそうですね」
阿部が額の汗を拭う。
「ああ。ただ、雨の後にはもう一度確認した方がいい。水量が増えたときに同じ流れになるとは限らないからな」
「点検する日を決めておきます」
その返事を聞き、私は阿部に任せても大丈夫だと思った。
午前の点検が終わる頃には、補修が必要な場所が三箇所見つかっていた。どれも急いで直さなければ崩れるほどではない。阿部は作業の優先順位を決め、村人たちを二組に分けた。
「一番上の亀裂から直します。下の二箇所は、水を止めなくても作業できます。今日は上だけ終わらせましょう」
私は口を挟まなかった。
阿部の決めた順番は正しい。すべてを一日で終わらせようとせず、危険な場所から確実に直そうとしている。
「ここから先は阿部を中心に進めてくれ。私は次の区画を見てくる」
私がそう言うと、直人が驚いた顔をした。
「湊さん一人で行くんですか?」
「少し先の地形を確かめるだけだ。何か見つけても、勝手に掘り始めたりはしない」
「それなら、戻ったら俺たちにも教えてください」
「ああ。午後に相談しよう」
阿部たちに後を任せ、私は水路に沿って村の北側へ進んだ。
今流れている水路は、古い管理図によればさらに先まで続いていた。しかし、長年使われていなかったため、草木や土砂に覆われている。地表からでは、どこに水路があったのかほとんど分からない。
私は足元の土や石の並びを確かめながら歩いた。
やがて、斜面の途中に不自然なくぼみを見つけた。周囲には丸い石が多いのに、その場所だけ平たい石が一直線に並んでいる。
一枚を鑑定する。
【旧水路の側壁】
【状態:大部分が地中に残存】
【通水可能性:低】
【問題:下流側に空洞あり】
空洞。
私は石の列をたどり、斜面の下へ回り込んだ。すると、土の一部がわずかに沈んでいた。草を払い、棒で慎重に探る。表面は固く見えるが、その下には何もない場所がある。
ここを不用意に掘れば、地面が崩れるかもしれない。
私は目印として杭を打ち、周囲に縄を張った。
「新しい区画を開く前に、こっちを調べる必要があるな」
水路を延ばせば、村の北側にある畑まで水を送れる。しかし、その途中に空洞があるなら、工事を急ぐべきではない。
昼過ぎに戻ると、阿部たちは上流の亀裂を直し終えていた。新しく積まれた石は隙間なく組まれ、水を流しても崩れる様子はない。
「湊さん、こちらは終わりました」
「見れば分かる。うまく直したな」
阿部は少し照れたように視線をそらした。
「源三さんに教えてもらったおかげです。俺一人では、石の向きまでは分かりませんでした」
源三が笑う。
「決めたのは阿部だ。わしは石の置き方を口にしただけだよ」
誰かの知識を借り、それを作業へ生かす。それも担い手に必要な力だ。すべてを一人でできる者より、周囲の力をまとめられる者の方が、長く村を支えられる。
私は三人を水路脇へ集め、北側で見つけたものを説明した。
「古い水路の跡は残っていた。ただ、途中の地面に空洞がある。明日は掘る前に、周囲の地盤を調べたい」
「空洞の上に水路を通したら、崩れるかもしれないということですか」
阿部が尋ねる。
「その可能性がある。水を流した途端に地面が抜ければ、今までの作業まで無駄になる」
「では、明日は補修組と調査組に分けましょう。俺は調査の方へ行きます」
すぐに出た言葉だった。
私は阿部の顔を見る。
「今日の補修を任せたばかりだぞ。疲れていないのか」
「疲れてはいます。でも、次の区画を俺たちで扱えるようになりたいんです。湊さんがいなければ何も決められないままでは、担い手とは言えませんから」
昨日までの阿部なら、私の判断を待っていただろう。
だが今は、自分から役割を求めている。
「分かった。明日の調査は阿部を中心に進めよう。ただし、危険だと思ったらすぐに止める。無理に答えを出す必要はない」
「はい」
阿部は力強く頷いた。
夕方、水路を流れる水を皆で確かめた。朝に偏っていた流れは中央へ戻り、補修した護岸も崩れていない。
村人たちの手で直された水路だった。
私は流れの先に目を向けた。北の畑へ水を届けるには、まだ越えなければならない問題がある。それでも、もう私一人が村を引っ張る必要はない。
見落とされていたのは、古い水路や石の価値だけではなかった。
阿部たちもまた、自分たちに村を変える力があることを知らなかったのだ。
「湊さん」
帰り支度をしていた阿部が、私を呼び止めた。
「明日は、俺が最初に空洞を調べてもいいですか」
私は少し考えた後、頷いた。
「ああ。最初の判断は任せる」
阿部の表情が引き締まる。
水路の先には、まだ土に埋もれた道が続いている。
その道を掘り起こすのは、もう私だけではなかった。




