幕間・ある夏の日
七月七日は、七夕というお祭りの日らしい。
そんな事を知ったのは、七月に入って少し経った後、つい数日前の話だ。元々は中国の古い民間伝承に起源があり、日本でも旧暦の関係でお盆と重なる七月中旬、または月遅れの八月七日など、地域性はあるが、夏の年中行事として、知らない者はいないという事であった。
さて、それが此処、かつては日本であった異界。九界であるならばどういった扱いなのかというと、それは元来何事にも理由を付けてイベントをしたがる国民性というか、特に人口の多い階層ではちょっとしたお祭りとして例年催されているという事だった。
そういうものかと、仕事の途中か何かで、ファーストで小ぎれいなイベントがある、という告知を見た覚えがある。まあ、俺のような外見にちょっと難のあるやつには関係ないかなと思っていた。幾分偏見は薄れたとはいえ、犬頭が流石に少し浮いてしまう事は否めなくて、誘ってくれた相手にも悪いからと、その日は外せない仕事があるのだと誤魔化した事は、少しだけ胸を痛くする。
「ねぇ、アニキ。七月七日ってヒマ?」
だから、そう尋ねられた時、同じように嘘をついて断ろうとした。
「いやさ、佐々木さんが発起人になって、セカンドのマーケットが主宰する小さなお祭りが今年から有るんだってさ。清水の親分さんも面白がって資金を出すみたいで、規模は小さいけど花火も上がるらしいよ」
非合法のマーケットで何をしているんだ、とも思ったが。草の根活動とでもいうのか、佐々木は元々変異者に対する偏見の払拭として、こういった小さなイベントを主催する事がある。
つい先月なども、彼の草野球チーム対警備局の有志で行われた野球イベントなどは中々の観衆を集め、次回の開催は何時なのかと少なくない問い合わせが有ったという事だ。確かに見世物としては中々派手で面白いものであったが、参加した俺が言うのも何だが、あれで死人が出なかったのが不思議に思うような有様だったのだけれど。
「でさ、この前の野球の礼だって、アニキと俺に顔出さないかって誘いがあったんだ。腹一杯屋台の飯を食わせてくれて、最後に花火も見れるっていうんなら、なかなか良いと思わない?」
そういって、アキトがこちらへと示すチラシを受け取る。安っぽい作りの、簡単に作られたそれには大きく、『七夕まつり』と記されていて、ちょっとした催し物と、開催時間の告知があった。
「なあ、いいだろ?ただ飯食べて、屋台なんか冷やかしてさ。最後に花火を見るだなんて、偶には風流な事もしてみようぜ」
そう言って何時もの様に笑いながら、半ば押し付けるようにそのチラシを此方へと手渡して。当日、開催の一時間前くらいに事務所まで迎えに来るとアキトは言い残して去っていく。返事をしたつもりは無かったが、どうやら祭りに参加する事は決定してしまったらしい。
ああ、だけど。そんな風に少し強引な段取りに、感謝をしなければならないかもしれない。
思えばこういったお祭りに参加する事は初めてで、普段無頼を気取ってはいるけれど、好奇心というか、小さな憧れみたいなものが在ったのだ。
少なくともあと数日、その当日まで、指折り数えて。早く時間がすぎないかな、だなんて、ちょっと子供のように待ちわびてしまうくらいには。
「まあ、こんな事だろうとは思っていたけどさ」
というワケで。目の前にはこんな夏場でも遠慮なく熱せられ、白く湯気立つ鉄板。そこに手始めにと注がれ泡立つ油、それから薄切りの豚バラ肉。火が通ると追加するカットされた野菜に、塩コショウで味を調えたら投入される黄色い太めの中華麺。少量水を加え、全体になじんできたら甘く匂う太歳軒特性のソースを加えて、焦げ付かないよう気を付けながらしばし炒めて完成である。
「ほらアニキ、ぼやいてると客の列ができちゃったよ。対応は俺がするから、とにかく量をこなさないと」
愛想よく、Tシャツに短パン、その上にエプロン姿というアキトが客から硬貨を受け取り、代わりにと茶色がパンパンに詰められた、割りばしの添えられているパックを手渡していく。
俺はその声に応える代わりに、汗をかきつつひたすらにその中身、つまり焼きそばを生産しているというところだ。日はだいぶ暮れたがまだまだ気温は高く、申し訳程度に屋台の梁からつるされた小さな扇風機からはそのまま熱風が送られており、熱のこもった空気ををかき回すだけだが、まあ有るだけ少しはましだ。
あれ、俺は今日、日本の風流というやつを楽しむつもりだったが、どうしてこうなったのだろうか。
「仕方ないだろ、劉のおやじさんぎっくり腰なんだからさ。それにバイト代も出るしいいじゃない」
事務所でも時々出前を取る事のある馴染みの中華料理屋、太歳軒は味よし、量よし、値段よしと三拍子揃ったいい店で、その店を切り盛りするのは老齢であるが、家伝の太極拳のおかげでやたらと健康という劉夫妻である。
そんな劉のおやじが、町内の活性化の為と張り切って参加を表明し、気合を入れ過ぎて何時もの営業と並行して過剰な屋台用の仕込みを行い、あんまり無理をするなと諫めるおかみさんの忠告も聞かずに、結構な重さのガスのボンベを軽トラから下ろすために抱えたのが運の尽きであった。それが折り悪く、代役を探す間もない少しずつ人が増え始めた日暮れ前である。
そうして丁度アキトと合流してこれからどうしようか、だなんて話していた二人はそんな劉夫妻を発見し、流石に見て見ぬ振りも出来ぬと、手伝いを買って出て近所の医院へ向かう二人を見送って、今はこうして焼きそばを焼いているといった所だ。
「ほら、三つあがるぞ」
「はいよ、っと。お客さん、三つで六百円ね。丁度、まいどあり!」
そういえば屋台を回す事なんて初めてだが、こなしていくとどうにかコツをつかんできた。
とにかく量を作る、だけでは駄目だ。目分量でも目の前で出来上がりつつある一塊が何パック分になるのかを計算し、できるだけ出来立て、冷める事も想定した上で、パックに詰めたものを手前に。古いものが何時までも残らないように、上手く循環させていく。
元々儲けを考えていない値段設定に加えて、太歳軒の味付けが抜群という事で、客足は途絶える事はない。おやじの過剰ともいえる仕込みも、このペースなら十分に完売となるだろう。作っているのが素人の俺だからこの屋号で売る事が詐欺にも思えるかもしれないが、まあ今のところは苦情もないし、急場の代打としてはどうにか及第点だろう。
「はは、そんなこと無いよ。アニキが事務所の料理もしてるって聞いてたけど、立派に商売になるくらいの腕前はあるぜ」
「それならいいんだがな、っと」
初めは文句を言ってみたけれど、こういうのも案外悪くない。
セカンドのマーケットという事もあって客層は様々だが、こういったお祭りの場という事も在ってか、その多くに笑顔が灯っている。これがお祭りというやつかと思うと、こうしてもてなす側に回るというのもいい経験だ。
「ありがとう、犬のおじちゃん!」
「おう、こっちこそありがとな」
今、焼きそばのパックを手渡した猫の耳が生えた浴衣姿の子供は、年齢からきっと大異変後に生まれた子だろう。二つのパックを大事そうに抱えて、後ろで待っていた兄弟か、友達か。別の子供と合流し、空いた手を繋いで去っていく。
うん、確かにこういうのも悪くない、かな。
「あれ、ベオの旦那。こんなとこで何してるんだ?」
ふいに、知っている声が耳に届く。
見ると、屋台を挟んで対面に、この暑い中でも警備局の制服を着こんだ三人組が通りかかったところだった。
「おう、タクミに三島、御巫と、何時もの三人か。制服って事は、仕事中か?」
「一応ね。佐々木のおっさんや清水が運営に人を出してるけど、この辺もウチの管轄だからさ」
「中々盛況じゃないかベオ。案外こういった商売の方が荒事より向いているのではないか」
「う~ん、美味しそうな匂いです。実家の神社の夏祭りを思い出しますねぇ」
仕事中という割には力が抜けていて呑気そうな三人であるが、まあ実際この辺で、少なくとも佐々木と清水が主宰する祭りで悪さをするような奴はいないだろう。それが分かってか、三人も仕事とかこつけて、こうして少しでもこの祭りを楽しんでいる様だ。
「その一因は旦那にも有るんだぜ。ほら、春先の大騒動でさ、この辺の雑魚は大方片付いたろ。そのうえで、警備局も佐々木のおっさんを始めとする自治会もこれを機にと便乗して治安の向上に努めててさ、だからこんな時間でも、こういった時なら子供がうろついてても大丈夫なくらいになったんだ」
ああ、そういえばそんな事もあった。そんな効果があろうとはあの時点では分からなかったが、先程の子供たちなどの事など、少しは良い事もあったんだな。
「そういう訳だ。しかし、いい匂いをさせているな。丁度夕食もまだだったし、三つもらえるか?」
「はいよ、全部で六百円だ」
「この量で、このお値段はお得ですねぇ」
そう言って去っていく三人を見送ると、何故だかその間姿が見えなかったアキトが屋台の陰から顔を出した。
「ふう、危ないな」
「どうした、アキトはあの三人は苦手か?」
「・・・まあ、そういう訳でも、ないんだけどね」
珍しく歯切れが悪いが、無理に聞き出す事でもないだろう。アキトは学生の身分であるがこうしてセカンドに出入りしている訳なので、何かと面倒も有るのだろうと勝手に納得する。
ちらりと時計を見ると、時刻は七時少し前。花火は九時頃の予定だったから、もう少し忙しい時間帯は続くかもしれない。
「今日はすまなかったねぇベオちゃん、それにアキトちゃん。肝心な時にうちの人がだらしないから、全く」
「あんまり気にするなよ劉さん。俺も屋台を回すなんて初めてだったからさ、けっこう楽しかったし、そもそも儲けも余り出ない商売だったんだから、バイト代だってもらうのも悪いくらいだぜ」
予想通りに好評で在庫はすっかりはけてしまい、八時過ぎには完売御礼となった屋台を片付け、太歳軒へと戻ると劉夫妻は診察を終えて戻ってきたところだった。
大雑把になってしまったが売り上げの精算を行い、機材を倉庫に運び入れた後で、今はねぎらいにと良く冷えた茶を出されている。
「そうはいかないさ。労働に対価を支払うのは商売人としての基本、何より助けてくれた相手に義理を欠く事が有っちゃあいけないよ」
言いながら茶封筒を俺とアキトに手渡す劉夫人。触れた感覚で分かるが、バイトの時給としては量が多い気がするが。
「良いんだよ、本当に助かったんだから。それにね、儲けが少ない値段には理由が有るのさ」
「へえ、それはどんな?」
「そりゃあもう宣伝効果ってやつだよ。ウチの味を気に入ってくれた客が、店にも来てくれて、出前を取ってくれる。ほら、儲けも出て、今後の客足も増えるの一石二鳥だろう?」
そう言えば確かに屋台にも、商品を入れる袋にもしっかりと太歳軒の名と電話番号が記されていた。成程、人の集まる祭りの場で新規顧客開拓とは、よく考えているんだな。
「ウチの人は腕はいいんだけど、調子が良いばっかりだからねぇ。こうして私が面倒見てやらないとこんな小さな店はすぐに潰れてしまうよ」
やれやれとため息をついてはいるが、夫人からはとても穏やかな、いい匂いがしている。
深い皺の刻まれた顔と、水仕事で荒れた手には相応の苦労が在った事を示しているが、それでもそれが少しも苦では無かったと、言葉にはしなくてもそう告げてくれているようであった。
「十年前は国に帰ろうかとも思ったんだけど、私がほら、これだろ?それにウチの人がどうしても、腹をすかした人たちの為に此処で頑張りたいって言ってね。バルドルから店を建てるための補助金も出たし、今ではこうして、困った時に助けてくれる常連さんも出来たし。振り返ればあっという間だったけど、人間案外、どんな場所でも、どうにかなるもんだねぇ」
当時に失ったという右足は、今では機械仕掛けの義足に置き換えられている。元の足より随分出来が良いと笑えるようになったのは、きっと彼女のおおらかさも有るが、隣で支えた人のおかげでもあるのだ。
そう考えると、十年という、劉夫妻にとってのあっという間の時間は、決して苦難ばかりではなかったという事なのだろう。
「そういうことなら。謝々大姐、ありがたく貰っちゃうね」
「あらやだ、アキトちゃんはこんなおばあちゃんにおべっか使っちゃって」
「おお、ベオ、アキト。今日はすまんかったなぁ・・・」
今何を言ったのだろうかと、アキトに訪ねる前に店の奥から腰を抑えて劉のおやじがやってきた。まだ大分具合が悪そうだが、動けるくらいにはなっているようだ。
「まだ寝てなよ、全くもう。普段は車に引かれてもピンピンしてるくせに、こんな時ばっかり迷惑かけるんだから」
「悪かったって、母ちゃん。ああ、二人とも。そろそろ花火が上がる時間だから、うちの屋上で見ていくと良い。ワシはまだ腰がこれだから店先で待つつもりだが、上なら今から通りの人ごみに戻るよりも良く見えると思うぞ。ああそれから、ついでにこの笹を店先に出してくれると助かる」
「笹って、おやじさんが食べるの?」
「ばかたれ!確かにワシの見かけはあれじゃが、飯は普通にお前さんらと同じじゃわい!」
言いながら急に動いたのが響いたのか腰を抑え、白に黒の縁取りの、開いているか良く分からないつぶらな目、大熊猫の頭を劉夫人にはたかれたおやじが長方形の紙片を此方へと示して続ける。
「あたた。ほら、今日は七夕祭りじゃろ?本場とは少しやり方が違うが、九界は一応日本じゃからな」
夜空に咲く花と、初めに言ったのは誰だったのか。
どん、という大気を震わせると共に暗い空に広がる光の輪。小さく近くに見れば火薬と、調合された物質が燃焼する際に発する化学反応。けれど、それを遠く望めば、確かにそれは、この黒い空に咲く花と呼んで相違ない。
「うわぁ、結構派手だね」
そんなアキトの感嘆の声に応えられない程に、目の前の光景に圧倒されている。
話しで聞いて、映像などで知っていても、やはり実際に見ると感じるモノは別である。そんな風に、特にここ最近は良く思う。
多分、一年と半分の前、今は知らない過去の自分も、同じようにこれを見て、もしかするとありふれたモノとでも思っていたのかもしれない。けれど、今だけは。
記憶の無いまっさらな自分だけが、この感動を味わう事ができている。それはとても、幸せな事なのだと思う。
赤、青。翠、黄色と。明滅する光。尾を引いて、一瞬だけ黒に刻まれる一筆の輝くライン。
後から思い出したとして、あるかどうかも分からない過去があったとしても。今の俺にとっては、間違いなく今のこれが、この瞳に映る初めての花火なのだ。
「ああ、そういえばさ。何処かの物好きが結構な金額を寄付してくれたって言ってたっけ」
「・・・その誰かに、感謝しなきゃなぁ」
単純にそんな事しか言えずに、言葉に出来ない思いを巡らせながら静かに空を見上げる。
いつかきっと、後にどんな素晴らしいそれを目にしたとしても、これ程の感動は得られまい。そう考えたら、その物好きな誰かには、感謝してもしきれない気分だ。
「月は、見えないね」
しばらく静かだったアキトがそうつぶやいたのは、最後に、特に美しい大輪の花が空に咲いた後だった。
「月か?」
「うん。月は、見えないね」
天体の巡りは、偽物と言っても同じく巡る。詳しくないので確かな事は言えないが、今の時間は丁度、目にすることが出来ない位置に、あの銀色の丸は浮かんでいるのだろうか。
「何か気になるのか?」
「ううん。ごめんね、変な事言ってさ。別に、大したことじゃないんだ」
けれどアキトは。光の花が散って、残る暗闇に、何かを探しているように目を離す事はない。
「だけどね。何時も其処に在って、当然だと思っているモノが急に見えなくなると、少し不安にならない?」
ああ、そういうことか。
「俺にとってのそれが、月なのかもしれないなぁって、ちょっと思ったんだ」
その気持ちは理解できる。俺にとっての当たり前。何時も其処に在って、見えないと不安になる何か。
その内の一つはきっと、今、隣に居るアキトに違いない。
「ねえ、あにき」
「うん?」
「また、一緒に花火を見れるかな」
言葉にするのはきっと簡単な事だ。ただ、うん。だとか、そうだな。と言ってしまえばいい。
それにどれ程の意味が有るのだろうか。アキトだって今は学生の身分だが、来年、再来年と歳を重ねると、きっと別の場所へと旅立つ。もしかすると、其処は九界の外かもしれない。
それに自分だってどうなるか。仕事もそうだが、この頭の事。確実に始まっていて、進んでいく何か。その最中で、何時まで生きていられるか。
不確かな事を言ったって何も問題はない。次の瞬間には、そう言ったアキト本人でさえ忘れているかもしれない、そんなあやふやな言葉。
「ああ、そうだと良いよな」
だから、そう自然と言葉に出来た。
あやふやな過去でなく、不確かな未来でもなく。単純に、今この瞬間に。
「また、一緒にこうして過ごせたら良いよな」
そう想った事。それだけは、まぎれもない事実であるのだから。
「・・・そうだね。そうだと、いいね」
アキトが納得いったのか、既に光の花を失った暗い空の下では表情も伺えず、良く分からない。
「そういえばさ、アキトはあの短冊に何を書いたんだ?」
代わりに、今度は自分が尋ねる。これも大した問いでは無かったが、今はむしろそんなところが丁度いいとも思う。
それは屋上へ向かう前。元となった中国の風習では、七夕の由来となったお話にあやかって、機織りなどの技術向上を願う言葉が短冊に記されたらしいが、伝わった日本では単純に、個人の願いを記すという。
「俺はまあ、おやじと同じで商売繁盛ってとこだけどさ。アキトは何て書いたんだ?」
「ああ、うん。えっと、俺はね」
これも多分。先の問いと同じように、今どんな答えが有ったとしても意味のない事だ。
だからだろうか。この暗い、月の見えない空の下でも。それに慣れて、少し良くなった視界の中で。
「俺はね。こんな日々が続けばいいって、そう願ったんだ」
同じように思ってくれたからだろうかと、そう勘違いしても良いくらいに。アキトは穏やかで自然に、そして楽しそうに微笑んでいた。




