犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか㉑(終)
戦っている。戦っている。俺はずっと、戦い続けている。
数時間、数日。数ヶ月、もしかすると数年。
きっと、数十年。流石に数百年って事は無いと思うけれど。もしかすると、既に数千年。
それでも、一万年は経っていない。だって俺は、今だって全然元気。まだ倒れない、まだ折れない。
それに、一万年も戦い続けた男の事を、俺は知っている。だから、俺は大丈夫。
「□□□□□□□・・・!」
俺は、まだ戦える。
■■■■回目の特大ホームラン。何処かの世界で星を割ったという、巨大な隕石を嵐の招き手で打ち返す。その後に群がる、羽と手がたくさん生えた天使もどきをミョルニルで撲殺。この系統の奴が一番多くて、多分、■■■■■■体くらいは殺している。
大丈夫、大丈夫。まだ大丈夫だから、何処かの世界を悉く洗い流したという大津波を気合で泳ぎ切る。こんな事を繰り返しているうちに、随分と泳ぎも上手になった。
ああ、何時か、一緒に海に行こう□□と約束した。これが良い練習になって、海に行ったときに、いいとこを見せる事が出来るかもしれないと考えれば、うん、こういうのも悪くない。
群れを成して空から襲来する、銀色の円盤を■■■個まとめてハティで撃ち落とす。砕けた破片から良く分からないのっぺりした人型が這い出してきたが、そいつが文句を言ってくる前にそのデカすぎる頭蓋を肘で叩き割る。
そういえば、以前□□□とこういう映画を見た後に、おもったより面白いと言っていた。そういえば、最近は結構忙しかったから、見ないまま積んでいるビデオが何本かある。今度、一緒に見た時に、こんな事が有ったと、そんな話をしようかな。
映画と言えば、定番と言えばゾンビ物だよねと。現実に、生き返った屍の群れというのを目の当たりにしたときは、何だか笑ってしまったよね。
バルムンクでその腐った悪臭を放つ群れをばったばったとなぎ倒していると、□□□と一緒にやったゲームを思い出す。
あいつはああ見えて結構繊細だから、此処までリアルにグロテスクだと引いてしまうかもしれない。
実は俺、あいつが普段は俺の前でカッコつけて、何でもない様に振舞っていた事に気が付いているんだ。機会が有ればその辺をからかってやって、いじわるだけど、慌てる姿を見るのも良い。そう考えると、少し楽しみ。
怖がりと言えば、□□□□□は猫が怖いらしい。猫ではないが、猫科っぽい猛獣の合成体、そんなデカぶつの首を、スコルで切り落としながらそんな事を思い出した。
小さな奴から慣らしていけば、少しは苦手も克服できるだろうか。落ちてなお、蠢いて噛みつこうとするソレを、踏みつぶして頭蓋を砕き、そうするときはもうちょっと愛嬌が良いやつを選んであげようと思いました。
戦っている、戦っている。俺はまだ、戦い続けている。
俺を護るために、一枚、また一枚と数を減らし。最後のムナカタ、その一枚が砕けてしまった時は悲しくなりました。
託された時、アレだけ大事にすると約束したのに、何度目かもわからない隕石を打ち返した時に手がしびれて放り投げて、何処かへと飛んで行ってしまった嵐の招き手を見つけられなかった事はとてもつらい。
一度折った事が有ったのに、もう一度、しかも今度は小さな破片へと、粉々になるまで酷使して、柄すら鈍器として利用して、それもすり減って、掌に収まるくらいに小さくなってしまったバルムンクを見た時なんて、なさけ無くて仕方ないよ。
ああ、でも。一番つらかったのは、天使もどきを殴り殺していた時にとうとうミョルニルが壊れてしまった事だ。これは、□□と、何より□□□が俺の為に大事な宝物を砕いてまで作ってくれたモノだったから。その思い出すら壊れていくようで、本当にくるしい。
そうだ。一緒に居るって言ったのに、ずっと傍で見守ると約束したのに。□□□には、辛い思いをさせてしまった。
だから、はやく帰らないと。俺を忘れてくれって言った事が、実は冗談だったんだって言って、安心させてあげないと。
怒られるかもしれない。でもきっと、□□□なら、彼女なら最後には、きっと許してくれると想うから。
だから、大丈夫。俺はまだ、戦っている。
だって、最後まで残ってくれて両手に握りしめていたスコルとハティは左右の手にすっかり同化して、今も爪と牙として其処に在る。
□□□の声は、もう随分前から聞こえない。だけど今も、その太陽みたいな金色で。□□のくれた鎧と共に。欠けても、ひび割れても、ずっと俺を護り続けてくれているから。
だから、大丈夫。
「□□□□□、□□□□□」
言葉を忘れても、その響きの意味を忘れても。それが俺にとって、とても大切なナニカだったという事を、俺はまだ、覚えている。
だから俺はまだ、立ち上がれる。おれはまだ、たたかえるんだ。
「・・・分からない、理解できない」
急にそう言われて、一瞬何のことだか良く分からない。あれ、そもそも、こいつなんだっけ?
ああ、そうだ、思い出した。
色んな容に変化して、今は目の前に浮かぶ石ころ。コイツをぶん殴って、もう二度と舐めた事が出来なうようにするために、俺は戦っているんだった。
「貴方は、一体何なのですか?理解できない、意味が分からない。命とは、痛みを恐れて生きる存在なのでは無いのですか?その中でもヒト知生体は、その知性ゆえに、恐怖から逃げる事を第一に考える生物なのではないですか?なのにどうして、こんなにも辛いのに、貴方は立っていられるのです?こんなにも苦しいのに、どうして貴方は、そうやって今も、生きる事を止めないのですか?」
そんな風に、俺をどうしても理解できないと石ころは言う。何度か、こういう問答は繰り返したと思うが、やっぱりこいつは只の石ころだ。悪い意味でもう長い付き合いになるというのに、ぜんぜん俺の事を分かってはいないんだろう。
「それが恐ろしくて、創造主は私を創り出したというのに。その辛いばかりの時間の終わりに安心したから、他の全てに同じように安心してほしいと、私を送り出したのに。貴方は、貴方はどうして、こんなにも長く、永く」
困惑、というよりは純粋な疑問を抱えた子供みたいに石ころは俺に問い続ける。その言葉に端に、今までとは少し違う、何かの芽生えを感じるのは、きっと俺の勘違いだ。
「・・・こんな痛みに耐えて、こんな苦しみを堪えて。もう二度と、元に居た世界には戻れないと自覚して、どうして今も、貴方は何も諦めないままで。そうやって戦い続ける事が出来るのですか?生きる事を、その命を諦めないでいられるのですか?」
ああ、もうめんどくさい。こんな勝手な問いばかりの戯言を無視してコイツをぶん殴ってやっても良かったが、そういえば、ちゃんと思い出すと、その辺はきっちりしておくのが俺の主義である筈だった。
「□、□。あ、アー」
これまでの永い時間、ずっと叫ぶばかりの喉から、久しぶりに人間らしい音が出た。自分の声を聞く事すら懐かしく、何だか随分と遠くまで来てしまった様に感じている。
実際、本当に遠くまで来てしまった。そういえばあの世界は、あの街は今、此処からどれくらい離れているのだろうか?
今では輝く星よりもずっと遠く。その瞬きすら、届くまで百万光年。
それでも、うん。後悔はぜんぜん無い。
そう考えると、少し清々しく。だから俺は久しぶりに、ちゃんと巡り出した人間らしい思考で、この石ころの問いに、ちょっとだけ返答してやる気分になったのだ。
「いいか、よく聞いとけ。お前の言うように人は皆、痛い事が辛いし、恐ろしい事から逃げ出したい。だからお前を創り出した奴が辿り着いたっていうそれは、そういう考えは、別に間違ってはいないよ」
誰だってそうだ、俺だってそうなのだ。
痛い事は出来ればしたくない。怖い事は、出来るだけ勘弁だ。それはきっと、その果てに死という自分の終わりを連想させるからで、みんなそれが恐ろしくて仕方ないから、時々見ないようにして間違って、簡単な道を選びそうになってしまう。
「だけど、それでも。それでも人は、その痛みよりも、恐怖よりも。もっと素晴らしいモノが在る事を識っている」
ああ、そうだ。少なくとも俺の今までの短い人生で、あの街で出会ってきた、俺の知っている人たちはみんなそうなのだと、胸を張って断言できる。
「だからみんな頑張って、痛くても、怖くても悲しくても。時々は辛くて立ち止まって、座り込んでしまっても。歯を食いしばって、もう一度立ち上がって。それから前を向いて歩き出して、きっと明日は良い日だって信じて、生きていけるんだ」
死という終わりは、石ころの言うとおりに全ての存在の最期に待っている。どれだけ頑張っても、どれだけ足掻いても。それだけは等しく、そのゴールだけは変えられない。
そう考えると、出来るだけ早く、今すぐにでもそのゴールに辿り着いてしまって、何も心配が無い様にと、そう安心できる終わりを、早く求めてしまうという事は仕方のない事なのかもしれないね。
ならばどうして、俺は今もなお、こうして足を止める事無く、諦める事なんて考えもしないで、今もまだ、走り続けているのか。
そんな事は当たり前で、とても簡単な事。
それは誰もが持っている祈り。誰もが、その胸の内で抱えている、そんな願い。
「だって人は、人間という生き物は。生きているかぎり、どんな時でも。まだ見ぬ明日を夢見て、その先に今よりももっと、良い人生が待っていてくれるようにと。そんな祈りを胸に、何時だって未来へ進んでいく事を願う。前向きでひたむきな、素晴らしい命だから」
それがどんなに尊くて、どんなに美しい輝きなのかを、俺は識っているから。
だから、その祈りを護りたくて、その願いを護りたくて。俺は今も、戦っている。
「俺は、その祈りを、願いを」
かっこよく決めたつもりだったけど、現実はそうではなく。
誰がどう見ても、みっともなくぼろぼろの拳を握り、力なくのろのろと前に突き出す。
だというのに何故か、その相手は避けもせず、何時かの様に煙に巻く事も無く。
「誰にだって、手放してほしくはないんだ」
そうして、そんな俺の祈りと願いの終わりに。こつりと、硬質な音が響いたのは。赤い石ころが、俺の言葉を真っ直ぐに受け止めたからで。
「おめでとうございます。当機体に蓄えられていた残存エネルギーは、現時点を以て完全に枯渇しました」
言葉と共に、これまでの様に別の終焉のカタチ。石ころは、そんなナニカに変化していくのではなく。その中心から、石ころは石ころのままで、全身へと伝播していく亀裂。
「自己診断の結果、これ以上の終焉再演は不可能と断定。個体存続の為に必要な行動は、不要と判断」
どれだけ永く其処に在ったとしても。崩壊は一瞬で、それだけで赤い石ころは、黄昏は霧散する様に砕けて、砂の様に細かな欠片は、暗い世界に解けていった。
「どうか、遍く世界、其処に在る全ての人々が。貴方の望む様に、より良き明日を迎えられますように」
その何時から続いていたかもわからない永遠の、最期の名残には。少し寂しいという想いと。何故か、安心したというそんな匂いが残されて。
それも直ぐに、残響は段々と小さく、この暗いソラに溶けるようにして消えていく。
「・・・ありがとう、信じてくれて」
何故か無意識に、自然と口から出たその言葉が、あの石ころに届いたのか、あいつにちゃんと聞こえたのかは分からない。
だけど、訳もなくこっちも安心してしまって。それで俺は、今までずっと走り続けていた足をようやく止めて。
前のめりにばったりと倒れると同時に、灯が消えるように暗くなっていく世界を見つめながら、本当に久しぶりに、自分の意識を手放した。
「ねぇ、おきてよ」
うるさいな、俺は疲れてるんだよ。あんなに頑張ったんだから、もう少しくらいいいだろ。
「ダメだって。ほら、おきなよ。ね、ぼ、す、け、さん」
嫌だってば。もういいから、ほっといてくれよ。俺はこうしていたいんだって。
「うーん、でもさ。ほんとにいいの?君、このままじゃ世界に潰されて無くなっちゃうよ」
は?マジで?
「うん、まじまじ」
うそだろ!なんでそんな事に!?
「それは、もうすぐこの空間が無くなってしまうからなんだ。ほら、元々小さかった世界が、随分と狭く、ずっと小さくなってる。黒の水面に沈んでかなり落ちていたのが、あれから更に、随分と深くに落ちてきちゃったから。ずっと上に存在する世界からの圧力でぐいぐい押されて、このままだと君は、もうすぐこの世界ごとぺしゃんこになっちゃうと思うよ」
意味わかんないよ!どうすりゃいいのさ!
「うーん、どうしたら良いんだろうねぇ」
どうしたら、って。まあ、うん。仕方ないのかな。
「うん?」
あれだけ無茶をしたんだ。黄昏をどうにかして、こうして今もいられるだけでユメみたいだ。
それに、ずいぶん遠くに来てしまった。随分、時間が過ぎてしまった。
もう、あの場所には帰れない。あの人たちに、もう二度と逢える事は無い。それを分かっていて、納得して俺は、こうする事を選んだんだから。
だから、うん。もう、いいんだ。ここが、おれのおしまいでいいよ。
「この、おばか!」
あいたぁ!?
「そういうとこ、あの人にそっくり!かっこつけて、斜に構えて。自分が頑張れば、自分が努力すれば、ってさ!それで一万年も強がりを通しちゃうんだから、もう、ホントにおばか!似なくていいとこは、似なくていいの、もう!」
いや、めちゃくちゃ痛いって!それに、あの人って、誰の事だよ!
「うーん、いじわる言ったのはごめんね?ずっと君と話してみたいって思ってたから、ちょっと話がそれちゃった」
くんくんと、何かを探す様に。その人はあちこちを嗅ぐようにして、そうして一つの方向を、示す様に指さす。
「・・・うん、大丈夫。君はちゃんと、君が居たい場所に帰れる。君が逢いたい人に、もう一度、逢う事が出来るんだよ」
そんな事、出来るわけないよ。そもそも、どうすればいいのさ。俺には、そっちに何が在るのか、誰が居るのかなんて、何にも分からないよ。
「そんな事ないよ。気が付かないだけで、ホントはちゃんと、キミは分かってる。いい?この世界が落っこちている暗い宙の海は、ほしとほしとの間を満たす、過去ならともかく、神秘ではない科学を選んだ今の人の眼には観測できない、そんな虚ろの黒。そこは世界と世界の間を流れる、静かなほしの海原。其処を満たすモノは、有限と無限、一瞬と永遠。つまり二つは、表と裏の存在」
いや、そんな事言われても、良く分からないってば。
「うん、ちょっと分かりにくいよね。まあ簡単に説明すると、此処と君が居た世界の距離は、見上げた夜空に輝く星ほどに遠く。だけど手の内に取った、小さな水たまりに浮かぶ月くらい近い場所にあるの」
・・・うん、ぜんぜん分かんない。
「もう、かしこいくせに察しの悪い所はやっぱりあの人に似て可愛いんだから。つまり、君の元居た世界は、此処からとっても遠いけど、此処からとっても近いんだって。そして、過ぎた時間は永遠に近いけど、一瞬の刹那でもあるってコト」
言っていることは、相変わらずぜんぜんわからない。
だというのに、何故なのか、おれはこのひとが。そういって根拠もなく言ってくれることを、理由なく信じても良いんじゃないかと、そんな風に考えてしまっている。
「だから、大丈夫。君の世界は、今もちゃんと其処に在る。だからきっと、其処には今も、君を待っている人たちが生きている」
・・・それは、ほんとうなのかな。
「うん、ホントだよ。だから、耳を澄ませて、瞳を開いて。きっと、聞こえるはず。きっと、見えるはず。君の帰りたい場所が、逢いたい人の姿が。そんな、君が心から求める、とっても大好きな匂いが」
・・・俺に、そんな事が出来るのかな。
「出来るよ。だって君のその力は、元々みんな持っていたモノ。言葉が存在しなかった古い時代に、一人で孤独に震えていた人が、初めて他者と出逢った時。その誰かと一緒に居たいって、傍に居たいって願って得た、『誰かと分かりあうための力』なの。だから、君が他の何かと、君がいっちばん大切な人たちを間違える事なんて、ぜったいにないんだから」
そう言われて、微かに、僅かに。けれど、ちゃんと分かる
ああ、確かに解る。どうして今の今まで気が付かなかったのか、手放してしまったと、もう二度と逢えないだなんて、そんな勘違いをしていたのか。
ああ、本当に。確かにちゃんと、俺の心は、その匂いを感じている。
「なら、手を伸ばして。そしてその匂いのする方へ、力いっぱい、頑張って走るの!」
指をさして示してくれた、何も無い様に見える暗い世界の端、その方向に。小さく瞬く星の様に。確かに其処に、今も存在していると解る。其処で皆が、俺を待っていてくれると解る。
「ほら、行って。振り返らずに、真っ直ぐに。頑張って走って、めいいっぱい生きて。君は、始まったばかりで、これからも続いてく君の人生を。君が其処に在りたいと祈る場所で、君が共に在りたいと願う人たちの傍で、一緒に楽しむんだよ!」
うん、うん!おれ、がんばるよ!
がんばってはしって、あのまちに、あのひとたちのところにたどりつくよ!
あの場所に帰れることが嬉しくて、また皆に逢える事が嬉しくて走り出す。
すると、頭に有った重さが一つ、転がるように落ちていく。慌てて振り返ると、其処には金色の毛並みの、年老いた狼が居て。静かに、此方を見ていた。
「どうした、何故立ち止まる?」
どうしてって、お前はどうして其処に残ってるんだよ。一緒に来て、くれないのか?
「馬鹿め。我はソォルであるが、フェンリルでもあるのだぞ。世界を呑み込む魔狼など、残っていては厄介事にしかならん。だから我が、一緒に連れていく。まあ、お前にはバァルとバルドルが残っているのだから、別に心細いだなんて事は無いだろう?」
でも、俺が生まれてからずっと一緒に居てくれたお前が居なくなると寂しいよ。どうしても、そうしないといけないのか?
「ん?ああ、なんだ。不安か?ふふ、やはりお前はまだまだ小さな子犬だよ」
くく、と口の端を釣り上げて、狼は俺をからかうように、そしてたしなめるように言う。
「だがな、もうお前はもう、己の群れを率いる一匹の長なのだ。良いか、子犬。お前がちゃんとしていないと、群れの全てが不幸になる。だから、ちゃんとしろ。もう我が見てやれはしないのだからな」
俺が、皆の為にちゃんとする、か。
「そうだ、ちゃんとしろ。いいか?お前が狼の王であるのなら、己の群れを守れ。仲間を助け、愛する者を慈しみ、生まれ来る子らを教え導き、己のその命の終わりまで、未来を見守れ」
厳しい口調だが、俺には分かる。その匂いは、とても優しい。
「お前ならまぁ、そのくらいは何とか出来るだろうさ。だからちゃんとやるんだぞ、ベオ」
・・・はは、お前が俺の名前を呼んでくれたの、多分、コレが初めてだよな。
「ふふ、そうだったかな。ほら、行け。ちゃんとしろ。しっかり走れ、ちゃんと生きろよ。我が唯一の、二つ足で大地に立つ」
オオォォン、と。遠吠えは、エールの様に俺の背を強く押す。
「・・・変わり者で大馬鹿な。誇り高く、諦めを知らぬ、素晴らしきヒトの友よ」
そうして今度こそ、俺は全力で走り出す。暗い道に足をとられそうになりながら、それでも足を止める事は無く。
走り続けていると、段々と目指していた光は強くなり、それは目を覆う程に明るく、暖かく感じられて。
もうすぐそこに辿り着けるのだと思うと、それまで何も不思議にも思わなかったことが気になって、俺は立ち止まってしまった。
「うん、どうしたの?」
少し心配する様な声に、俺はようやくその匂いを思い出した。
呆れるにもほどがある。こんなに簡単な事に気が付くのに、こんなに時間がかかってしまっただなんて。
「・・・ずっと、傍に居てくれたんだな」
「あは、やっぱり気が付いちゃったかな」
それは遠く、ずっと昔から。俺が生まれる前から、本当にこの世界に生まれるまでの永い間。
ずっと俺を護っていてくれた匂い。狭くても、動けなくても、理由が分からないけど、分からなくても安心できた匂い。
その匂いが、彼女だと。今、俺には分った。だって。そんな事は当たり前だ。
「ずっと一緒だったから、一緒に居てくれたから。俺が間違うはずなんて、ないさ」
俺のそんな言葉に、少し驚くような顔をして。それからその人は、この再会を、彼女自身がどう思っていたかを教えてくれる。
「うん、嬉しい」
うん、それは俺も同じ想いで。だから俺が口にする言葉も同じ。
「俺も、嬉しいよ」
俺の言葉を聞いた彼女は、俺の頭を撫でるように触れて。
本当に、嬉しそうに笑いながら。どうしてか、隣の何もない空間を不意に掴み、ぐいぐいとひっぱりだした。
「ほら、恥ずかしがってないで、君も出ておいでよ!この子がわたしのことに気が付いたら、キミも出て来るって約束でしょ!」
「うわ、やっぱり僕はいいって。ああもうこの、相変わらず話が通じないな!」
彼女に引っ張り出される様にそこから現れた人は、もう随分と懐かしい姿で。
もう逢える筈がないと思っていた人に、また出逢えた事が。俺は嬉しくて、本当に嬉しくて。
「ほら、こうなっちゃうから嫌だったんだ。あんなにカッコつけてお別れしたんだから、そのままで良かったのに。こんなの、余分も良いトコだよ」
「もう、そんな事言ってさ。ホントは嬉しいくせにぃ、匂いでバレバレだよ」
「ほんと、に、ばればれ、だってば」
「げ、だから嫌だったんだよ、キミたちのそれ!恥ずかしいなぁ、もう」
それから三人で話した事は、別に大したことじゃない。
好き嫌いはしていないかだとか、ちゃんと寝る前に歯を磨いているかだとか。親が子を心配して、当たり前に世話を焼く様に。俺たちの間柄なら、自然に交わされる、そんな会話で。
だからこそ俺は、この会話を絶対に、永遠に忘れない。
「ほら、もう行きなよ。色々厄介事を押し付けて悪いけど、まあ君はともかく。君には他の皆が付いているから、もう心配ないさ」
「・・・うん、がんばるよ」
「素直なのはイイとこ!偏屈なとこは似なくて良かったよねぇ」
「君は何時も一言多いよ、まったく」
そうして、今度こそ本当に、最期の別れの時は来た。
俺がそうして欲しいと、きっと分かってくれたから。二人は両手を広げてくれて、俺は少し照れくさかったけど。その中に飛び込む。
柔らかくて、暖かくて。こんなにも安心して、こんなにもいい匂いは、生まれて初めてで。
心配させたくは無いのに、俺は嬉しさで、べしゃべしゃな顔に、余計に両の目から涙がこぼれて。少し恥ずかしくて、必死に笑ってみせて誤魔化した。
「まあ、他の奴が何を言ったって、そんなに頑張らなくても良いからさ。適当に力を抜いて、馬鹿で不器用でも。とにかく元気でいるんだよ、ベオ」
「うん。すっごく、いい匂い。君は優しくて、今よりももっといい男になれるよ。だからこれからも、きっと君らしい、そんな良い人生を送ってね、ベオ」
ああ、そうだ。俺は、もう行かなくちゃならない。この声に、ちゃんと応える為に。
もう護ってもらえなくても、自分で立ち上がって、ちゃんと歩いて行けると。もう心配ないと、二人に安心してもらえるように。
「ありがとう。さよなら、父さん、母さん・・・!」
そう大きく手を振って。二人の姿を瞳に、魂に焼き付けて。今度こそ振り返らずに、俺は走り出した。
間も無く光は俺を包んで。世界は、真っ白に染まっていく。その方向から感じる懐かしい、大好きな匂いを目指して。大きな歩幅で、俺は走って、ようやく其処に、辿り着いたのだ。
頬に触れる冷たい空気に瞳を開けば。見渡す限りの荒野に、何処までも果てしなく青い空。
そらから鼻腔に届くちょっと埃っぽい空気の匂いと、遠く、速く吹き抜けていく風の音。聞こえてくるのは懐かしい、少しづつ近づいてくる、大好きな人達の声。
記憶に残る内で、こんなに素晴らしい目覚めの覚えは、きっと無いと思う。
時間にして永遠のまどろみからの覚醒。いや、この場合は一瞬の内に見たユメからの帰還と言った方が正しい。
「帰って、来れたんだ」
俺はゆっくりと身体を起こし、一つ伸びをして、もう一度大きく息を吸い込んだ。
胸を満たす冬の匂いで。あれから季節は巡って、これからも絶えず、この日々が続いていくのだと識る。そんな当たり前が、今は心から嬉しい。
本当に、色々な事が有った。たった一年と少し、俺がこの世界で、この街で生きた日々。
そのどれもが愛おしくて、これからもっと、ずっとこの想いは強くなっていくだろう。
失ったモノが在る。もう二度と、逢えない人たちが居る。その事実は、俺たちを打ちのめして、重さで膝を折り、痛みに耐えられず、時にはその場でへたり込んでしまう事が有るのかもしれない。
もしかするとそれで、ずっと遠くにある筈のゴールを、今すぐにでも迎えてしまいたいと。もう何もかもから解放されて、安心したいと。そう願ってしまう事が有るのかもしれない。
「ベオさん!!」
「ベオさまぁ!!」
「ベオのアニキ!!」
「ベオくん!!」
だけど、それでも。
それでも、生きていなくちゃ感じらない事が有る。分からない事が在る。
たった一瞬。永く続く苦痛に比べれば、それはきっと刹那。だけどその瞬間に、確かに俺たちは。何かを嬉しいと感じる事が出来る。誰かを愛おしいと、そう想う事が出来るから。
「ベオ!!」
小さな手足を必死に振って。一番乗りで飛び出した彼女が、助走をつけて、高くジャンプして。俺の身体に飛びついて、首に手を回す。
もう二度と、離れないようにと。決して自分からは離すまいと必死な様子で。
伝わる体温を感じる。響く鼓動で分かる。彼女は、ちゃんと生きている。ちゃんと、此処に存在してくれている。俺はソレが、とても嬉しくて。愛おしくて、気遣いながらも、上手くまとまらない言葉の代わりに力いっぱい抱きしめた。
俺は、生きるよ。これからも、頑張って生きていくよ。
何時か来る、今は遠いゴールへと向かって。其処に辿り着いたときに、歩んできた道を振り返って、本当に楽しかったと、そう笑うために。
愛に溢れたエールと共に送り出してくれた人達に恥ずかしく無い様に。一生懸命に、前向きに。ひたむきに、真っ直ぐに。
俺は、この世界でちゃんと、生きていくから。
「おかえり、ベオ」
これから何度でも。その言葉と共に、彼女に微笑んで欲しいと想うから。俺は新しく始まった一日で、初めの一度目を、抱きしめたままの君の耳元で告げる。
「ただいま、アリス」
その言葉が、今、一番に君に伝えたい言葉であったから。
俺は今、この世界で生きているという事が本当に嬉しいのだと、そう伝える代わりに。もう一度、彼女の事を抱きしめた。
終焉を、黄昏を越えた世界で。これからも、人生は続いていくだろう。
未来を、明日を何時でも夢見て。俺たちは今日も、この素晴らしき命を生きていく。
これにて、犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか、は終了となります。
このお話は、仲間を助けて、仲間に助けられて、仲間と一緒に頑張る。そんな主人公のお話を書いてみたいという所から始まりました。
いかがでしたでしょうか。面白かった、つまらなかった、良く分からなかったと、様々感想はあると思いますが、先ずは、最後までお付き合いいただいた事に心から感謝を。
本当に、ありがとうございました。
せんこう




