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レイズユアハンド

 時計が定時を告げる。だが、誰一人立ち上がろうとはしなかった。目の前にある紙をじっと見つめ、己の判断を下すことに集中しているからだ。

 各個人に配られた一枚の紙にはたった数行数しか記されていない。それ以外は空白で、今か今かと己の役割を果たせるときを待ち望んでいた。

 とある隊員が手を伸ばし、自身の名前を記した。そしてその下の欄の右側に丸を描く。固いものが滑らかに紙の上を滑る音がした。

 その音を聴き、次々と隊員たちは丸を描く。それを見えないように折り畳み、机の上に置いた。

 全員分終えると、彼らは拍手を送りあった。お互いに何を書いたのか、知らない。だというのに称え合い、隊員たちはそれぞれの寮へと帰っていく。

 ひとり残された紙は、本人たちしか見ることが許されていない。いや、もう一人見る人物がいる。その二人以外、知らない。

 紙に記された内容は一つ。特殊部隊の隊員として、今後も忠誠を誓うか否かである。






 

「おはよう」


いつも通りに扉を開けて、部屋の中に入る。アルコールの香りが普段立ち込める一室は、今日は静かだった。

 それもそのはずで、何故ならば多くの医療隊員たちは辞めたからである。というよりも、実際は強制解雇に近いものだった。

 医療は今後も国に必要になる。医療隊員たちは怪我の絶えない特殊部隊で勤めていた経験から重宝される人材になるに違いない。そのため、筋内は全員をクビという形で逃がしたのである。

 これは合理的な判断で、筋内の独断によるものだった。そう結びつけたものだった。

 残る医療隊員は筋内のみになった。後は基地の外で今も任務に当たっている医療隊員が戻り次第、問答無用で即クビにするつもりである。彼らがいなくなれば、救護室も静かになるだろう。

 暗室の中、筋内が歩く音が響いて聞こえた。

 無茶であることは無論承知していた。死ぬか瀕死の状態になって帰還する隊員は、残念ながら多い。その隊員たちが復帰できる状況を、一人で捌かなければならないのだ。

 手が何本あっても足りない。だが筋内が下した判断は現実逃避ではない、将来の投資なのである。

 筋内は特殊部隊は消滅すると思っている。というよりも、確信している。アカネが消息不明になったのも、隊員たちを見捨てたと読んでいるほどに。

 消滅したとしても、医者としての筋内を必要とする人間は将来現れる。医師なんていくらいても、足りない貴重な存在。まだ謎多き人類の秘密を明らかにするのは、いまはまだ未熟な卵かもしれない。



 筋内には兄弟がいる。家族同然の同僚たちがいる。だから、その帰る場所を守る義務があった。逃げられなかった。

 失う痛みを知っていれば逃げられない。アカネは筋内が逃げないことを知っていたのかもしれない。ふと、頭に過った。筋内の関係者である兄弟を側近として迎えた理由も腑に落ちる。

 静まり返った部屋のカーテンを一気に開けた。差し込んだ光が、中に浮かぶ塵を照らした。光が反射して、星のように見える。

 昨日は隊員たちを寮外まで見送り、寮の片付けをした。運良く、急患はいなかった。いや、いなかったのではなく、急患になり得なかったことは察している。隊員たちは今も命を散らしている。

 筋内は自分が命を選んでいる。その事を分かりながらも、どうしようもないと言い訳をした。

 捨て駒になるために入隊した隊員(彼ら)を、選別している。生きたいと思いながらも任務へ向かった同士には何もせず、見送ったというのに。自分の身内には救いの手を差しのべた。

 隊員全員が自分の意思で生きている訳ではないことも承知している。だが、こうでもしなければならなかった。


_命を少しでも…多くの命を救う。

 それが筋内のでき損ないのエセ医者プライドであった。


 エゴでも構わず、命を選別して医療に携わるものとしては失格。だが、救えるものを救わずして、筋内は生きていられない。

 無い物ねだりをして、救うべき命を見逃してしまうのでは意味がない。救うべき命を救ってから、それからであれば誰も何も言うまい。世の中の全ては結果で全てを語っているにすぎないのだから。

 







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