ザ・ジャッジメント
異形型の敵を切り捨てる。続けてもう一体仕留めようとしたが、周りには敵はいなかった。
顔に付着した体液を親指で拭うと、置丹は隊服に擦り付ける。敵の気配がないのを確認すると、武器を下ろした。いつの間にか疲労が溜まっていたらしく、腕に鈍い痛みを感じる。
置丹の武器は鎌によく似た形をしている。大きい分、動作が大振りになり隙を作りやすい。それを器用に振り回し、敵を撹乱してから仕留めるのが置丹のやり方であった。
「置丹、未葉と田中が見当たらない。どうやらはぐれたみたいだ」
六甲が武器を振り回しながらやってくるのが見えた。同じ身長の武器を回す器用さが羨ましい。
六甲の姿を認めた瞬間、置丹は顔を歪める。
六甲の頭から足にかけて敵の体液が付着していた。無事なのは顔と手ぐらいである。あまり綺麗とは言えない。
「…そんな顔を歪めるか」
「少しはどうにかする方法を身に付けるべきだとは思います」
置丹に言われ、六甲は全身を確認する。
六甲からすると大したことはなかった。これまで気にしたことはなかったし、寧ろもっと浴びるほどに雑にしたことさえある。その度に汚れが落ちないため、服を燃やした。
そうは言われても、今さらで汚れが付いてしまったものは仕方なく、今すぐ取ることはできない。手や目に体液が入ることは絶対に避けてきたため、戦うこと自体に支障はない。体液の臭いはするだろうが、そこら辺に臓物やら体液が散らばる状況では分からないだろう。人間の慣れを嘗めてはいけない。
とりあえず我慢してもらうことにして、本題の行方不明者の報告に移る。
「他には通告済みなんだが、未葉と田中の消息が不明。途中まで一緒だったんだが、先程の乱戦で先に進ませたところ行方が分からなくなった」
「それは不味いのでは」
六甲が特に焦る様子もなく、話を続ける。
「2人とも本任務においては重要人物像だ。2人の居場所をすぐに特定しなければならない訳なんだが、特攻隊長はどう思う」
特攻隊長という立場にいるとはいえ、普段は平隊員。重要事項に口を挟んで良いとは思えず、言い淀んだ。六甲はつかさず言うように促し、置丹は渋々口を開く。
「覚えているかどうか知らないが、田中という隊員は、即断即決の男です。一度覚悟を決めたら、中々変えることをしない」
「そうだな。一瞬会ったが、頑固そうだった」
「たまに妙なことを思い付いて、勝手に実行することも屡々あるかと」
六甲は何も言わなかった。何となく予感がしたのである。晴れ渡っていく空を眺めた。今日も今日とて忙しいようだ。
もうすぐ夕暮れ時に差し掛かろうとしていた。空の色も怪しく、一雨来そうである。
いまだに六と田中の消息は掴めておらず、それらしき足跡を辿っているが、途中で踏み荒らされていた。襲いかかってくる敵たちが、書き消してしまったらしい。腹立たしいが、今さらなんと言っても後の祭りである。
辿れる最後の足跡を見つけると、そこで散った。集合は10分後。六たちを見つけたら保護し、安全を確かめて戻ってくる予定である。迷わないように目印を付けながら進むように指示をすることも忘れない。
「未葉!田中!いるなら返事しろ」
六甲は獣道を駆け抜けた。物音はない。だが、鳥の羽や何かしらの獣の毛が所々に落ちていた。それも大量の血液とともに。丁度腰の辺りに傷がある木も目視でき、大型の野生動物がいるようだ。
野生動物ぐらい倒せるだろうと思うが、不安である。何せ戦闘力が第六のなかではもっとも低いと言われる未葉と戦闘力不明の田中のコンビである。置丹の推薦とはいえ、実力はしっかりと確かめるべきであった。田原曰く、実力と判断力は申し分ないとの評価。ただし早とちりをしてしまうことがあるため、カバーする人物が必要だとも言っていた。
普段田原の視野の狭さを置丹がカバーしているため、目立っていないのだと考えられる。今回はミスをしてもカバーしてくれる相方はおらず、突飛なアイデアで動き回る六とのバディ。とんでもないハプニングを起こしそうな予感がした。
草の根を掻き分けても2人の形跡は見つけられず、ほとほと困ることになった。
「六甲隊長!集合時間です!」
もう少し進もうとすると、声をかけられる。考え事をしていると時間があっという間にすぎてしまう。手を上げて返事をすると、六甲は踵を返した。
ここで引き返してある意味正解だったのかもしれない。後の六甲は語る。その視界の先にはきっと絶望が映っていた。
六甲が戻ると、ほとんどの隊員が集合していた。まだ戻ってきていない隊員たちは、余程奥に進んでいるのか、戻ってこれない理由があるのか不明である。先程まで共にいたため、誰も不思議には思わなかった。ただの迷子だろうと、待つことを選択した。
しかし結局半刻程経っても戻ってくる気配はなかった。
何人か選抜してペアを組ませ、消えた彼らの痕跡を辿らせる。痕跡を辿れば自然の彼らに追い付くのは分かりきっていた。
だが、報告されたのは途中で途切れた目印と、戦闘の痕跡だけだった。人の姿はなく、ただ武器が落ちていたのみであったそうだ。
次第に不安になった隊員たちは顔を見合わせ、表情を曇らせる。暫く無かった行方不明・死亡の文字が頭にちらつき始めているのだろう。それは六甲も例外ではなかった。武器を置いて逃げた可能性も捨てきれない、そう思ったが、身だけで逃げ出せると思うような彼らではない。
3日経っても生存が確認できない場合、特殊部隊の規則上死亡扱いになる。行方不明の場合は3時間の捜索の後、姿が見当たらないとき捜索が中止され、そのまま見つからなければ死亡扱い。これは平生の話であり、任務中は全て隊長の判断に任される。
全ての責任を追うことになる隊長は、全ての責任を負うことになる。死のうが生き残ろうが、皆から恨まれる役割である。六甲自身、何度か仲間を見捨てるという行為をしたことがある。泣き叫び諦めようとしない隊員を引っ張って行くのは忘れもしない悪夢。耳から声が離れてくれない。
「…あと数分だけ待つ」
武器を抱え、口に出した命令はあまりにも弱々しい。隊員たちは静に首を縦に振った。
誰しも喜んで人を見捨てようとはしない。まして同じ釜の飯を食った仲間である。そう易々と切り捨てられる度胸はなかった。
間に合ってくれと何度も願う。あと数分、あと数秒。自分の中で期限をつけていてもあっさりと破ってしまうのだから、責任感が欠如しているのだろう。
遅れたと言って走ってくる夢がありありと浮かんだ。
「時間だ。出発するぞ」
結局、最初に集まったメンバーからメンツは変わらなかった。
六甲は自分の声がやけに冷たく感じることに気付く。目の前に広がる景色に枠が付き、自分は冷徹にならなければならない可哀想な人物を見ている。まるで映画のような情景。確かに自分の身体であるはずなのに、他人事のように見ている自分がいた。
全員の準備を確認すると、本来の目的地に向けて足を進める。六たちと目的地が同じであるため、何処かで合流が叶うはずである。これ以上の損失は出さないと誓った。
第六としての任務は運搬であり、その他は二の次とされている。だが、だからといって敵の出現に対応しない訳にはいかなかった。
先陣を斬るのは置丹で、真っ先に飛びかかり敵を切り捨て、全てのヘイトを買う。そして意識が一つに集中した瞬間に、死角からその他隊員たちが闇討ちにかかる。置丹はいわば囮。実力の計り知れない相手と対峙するため、下手を打てば死ぬ。
「今のは悪くなかったな。ただ後ろから来ることもあるから気をつけろ」
置丹にアドバイスができるぐらいには、六甲は落ち着いていた。行方不明の隊員たちの死亡確定が定まっていないことが唯一の救いかもしれない。
置丹は首を縦に振り、刀に付いた体液を振り払った。辺りを見れば体液まみれで、綺麗とは言い難い。隊員たちの精神状態もあまり良くなく、次に大きい出来事があればショックに陥る可能性があった。
最終目的地までは山を越えなければならず、これ以上の体力の消耗は避けたい。予想外のことが起きないよう、綿密な作戦が必要だった。
「六甲、もうそろそろ」
休憩と肥河が言いかけたとき、地面が揺れた。
隊員たちの間で動揺が瞬く間に広がる。
「落ち着け!隊員同士で集まるんだ。最低2人以上のペアで、何時でも連絡を取れるように見とけ!」
六甲自身も屈み、身を低くする。
任務中に地震に当たることはたまにある。地震と言っても様々であり、自然に起きる要因ともう一つは人為的_敵によるものである。今回は後者であるようだ。
視線を上げると、乗り越えようとしていた山から何か飛び出しているのが見える。ゆっくりと動くそれは、何かしらの頭であるようだ。
「デカすぎない?あんなの相手にできる自信ないんだけど」
「…デカいに越したことはないだろ。的がデカい分当てやすい」
ゆっくりと伸びるのは手だろうか。押し潰されれば一溜りもないような質量のかたまりが、動いていた。
絶望的な状況ともいえる今、六甲は胸を躍らせていた。一体どれ程強いのだろうか。隊長としての責務や諸問題など考えなければならないことは、頭の片隅に置いておく。
ここ数ヵ月で断トツにワクワクした。
「本当、だからこの任務は辞められない」
死に瀕してこその生。六甲は命に取り憑かれていた。
この緊急事態に、六甲は置丹と特攻隊長の立場を入れ換えた。役目を一旦終えた置丹はやっと一息つけた様子である。
「疲れたか?」
煽るように六甲は言った。この程度でへばるならまだまだ未熟な証である。そう告げると、置丹は何か言いたげな表情をしたが、そっぽを向いた。言い返せないらしい。
「ここからはちょっと休憩だな。置丹と新人は休んどけよ、ここからは本当に休みなく動くからな。暗闇こそ第六の狩場だ」
先輩隊員たちからはブーイングが出るが、慣れたこと。文句を垂れながら、何だかんだやり遂げてしまうのである。次第に夜遅くの任務が増えているのは、六甲だけの所為ではない。
先輩隊員たち5人と六甲の計6人で巨大敵に迎え撃つことにした。肥河は新人たちと留守番を任せる。大抵のことは新人でも出来るので気がかりはなく、肥河も添えておけば怖いものはない。
「よし誰が首を討ち取るか勝負だな」
「絶対六甲じゃん。俺たちが勝てたことない」
「逆に六甲くんの邪魔をすればいいんじゃないかな」
「それはいい作戦だね。僕たちに勝算がなくても、邪魔ぐらいはできる」
「協力しようよ…六甲がいた方が楽なのは知ってるでしょ」
「ムリムリムリ。私はみんなに絶対追い付けないからさ」
六たちからして先輩隊員、つまり六甲と同期の彼らは、皆熟達したプロである。男女関係ない間柄であり、共に切磋琢磨し合い、蹴落とし合う仲。ライバルであり、ある意味家族。六甲が隊長でいられるのは、6人の中で戦闘力がもっとも高かったからである。
6人が一列に並ぶ。狙うは出現した敵の首。賞金はないが、勝者1人が高級スイーツ得られる賭け戰であった。
スタートの合図は肥河である。小枝を投げ、地面に突き刺さった瞬間、スタートする決まりになっていた。
皆の様子を確認すると、肥河は小枝を持った。そして合図もなく目にも止まらぬ速さで小枝を手放す。瞬きの一瞬の間で、小枝は地面に突き刺さっていた。
肥河の手元から小枝が無くなっていることに置丹が気付いた頃には、六甲たちの姿はなかった。
「…化け物かよ」
目の前から居なくなり、遥か遠くを移動する6人を見て、置丹は思わず呟いた。特攻隊長を勤めていた自分の実力の足りなさを感じ取ってしまった。
まだあんなに早く動けないし、気持ちの余裕もない。仲間が死んだかもしれないという不安を微塵も感じさせなかった。悲しみすらあるのかも判断できない。感情がないと言われて納得できるほどに。
「あの人たちはね」
肥河が口を開いた。目は六甲たちが駆けていった方を見ている。今何が起きているのか、肥河には見えているらしい。
「感情が無いんじゃないのよ。辛いんだけど吐き出すところがなくて、抑えている内に自分がどう思っているのか分からなくなった人たちなの。
不器用な優しさを持った彼らだからこそ、強いんじゃないかしら」
心を読んだかのように、そう話す肥河の表情は悲しげだった。
肥河の話しぶりでは、肥河自身は彼らとは違うと言っているように聞こえる。突っ込んでいい話なのか悩んでいると、肥河は笑いだした。
ごめんと笑いながら謝り、置丹の頭にポンポンと優しく触れる。
「私には兄がいたの。同じ第六に所属していた自慢の兄だった。いつも私が仲間が死んだことを一方的に話してたの。今思えば、我が儘だったなって」
話を聞いてあげれば良かったと呟く肥河は、本当に後悔が見えた。子供扱いするなとは言い出せない。
現在第六に肥河という苗字の男はいない。つまりそういうことなのだろう。置丹は矢張何も言えなかった。
「だからね、何かあったら誰か1人にでもいいから話すといいよ。心の許せる友人とか、恋人とか」
こういうときに、辛いことを話せる相手。何人か頭の中を過った。真っ先に過ったのは田中である。そして何故か最後に六がいたのは、何故なのだろう。
「私も可笑しくなっているんだろうけど、置丹隊員も新人ちゃんたちも、私達みたいになっちゃったらダメよ」
そうウィンクする肥河はいつも通りに戻っていた。




