67話 黒の中
世界に現れた地獄の極地たる最上級ダンジョンは、あらゆるものが真っ黒だ。
壁や床など、目に付く全てが火山灰由来の黒ボク土に近い黒色に染まっている。
ベットリと、肌にベタ付きそうな穢れた黒いダンジョン。そして内部に湧き出るスライムや魔物も、環境に由来するのか、やはり黒々としている。
上級ダンジョンに生息するケルベロスは、大地を疾走するティラノサウルスを彷彿とさせた。一方で、黒々とした最上級ダンジョンを走る黒いケルベロスは、闇夜に溶け込む影のようだった。
「不可解だったのは、魔物の行動原理と自動回復だったな」
最上級ダンジョンを概ね網羅した次郎は、そのように総括した。
まずは、魔物たちの行動原理について。
従来のダンジョンであれば、魔物達は肉食獣のような行動原理で動いていた。
全身を用いて様々な攻撃を繰り出し、仲間と連携して得物を追いかける知恵を使い、負傷すれば多少は怯む。それらは地球の動物と何ら変わらず、違和感は一切覚えなかった。
だが最上級ダンジョンの魔物達は、攻撃魔法を回避せず、得物しか見えていないかのように同族の死骸を押し出しながら、次郎たちに向かって直進してきた。
そのため攻撃魔法は有効で、まるで直進する蟻の行列に真上から沸騰したお湯を掛けるかのように、極めて単純に蹴散らす事が出来た。
但し魔物達の不可解さについては、極めて不可解である。
次に、魔物たちの自動回復について。
最上級ダンジョンの魔物達は、どのような傷が付いても、軽い回復魔法が常時かかっているかのように回復してしまった。しかも四肢を斬り落としても、時間さえかければ魔石のある身体側から欠損部位が生えてくる。
何度か重傷を負わせたと思って油断したところで不意を突かれ、以前との感覚の違いに苦しめられた。
それでも十分な時間を掛けた結果、次郎たち三人は最上級ダンジョンを概ね網羅したとの確信を持てた。
「わたしたちの攻略方法は、あんまり変わらなかったけどね」
魔物の不可解さを訝しがる次郎と異なり、美也は事態を単純に捉えた。
すなわち魔物たちが突然逆立ちをしようと、あるいは突然人間と会話を始めようとも、全て背後で操っている存在の意思が介在すると解したわけである。
そのように一切合切を割り切った美也は、ダンジョン攻略から今後の対策へと思考を移行させた。
当面の対応策は、攻略の総合評価をSにして特典を得ておく事と、先方へ敵対せずに交渉の余地を残す事。
そんな美也の判断に基づき、次郎たちは魔物の行動を問わず、上級ダンジョンと同様に攻略した。
すなわち全階層を夏休みの間に転移で何往復もして、第二次大戦中の空襲や、沿岸都市に対する艦砲射撃を彷彿とさせるような絨毯爆撃を繰り返したわけである。
「確かに、魔物を倒す手順は変わらなかったな」
「上級ダンジョンに比べると、随分と過激でしたよ」
「そうかな」
「はい。あたかも第二次世界大戦の空襲を彷彿とさせるような攻撃でした」
「どうやって戦中を彷彿と出来るんだよ」
「中学生の時に見た戦後一〇〇年という番組で、空襲の記録映像を見ました。後はイメージです」
「空襲とダンジョンでの蹂躙、どっちが地獄絵図なのか判断に迷うな」
第二次世界大戦の終戦から一世紀以上が経った、二〇四八年九月二〇日現在。
真の意味で彷彿とするような人は殆ど残っていないが、当時の記録映像はしっかりと残されている。
ダンジョン内では、その空襲と遜色ないほどの激烈な攻撃が行われた。
即ち、攻撃範囲内の全てを炎で焼き尽くし、ハリケーンで吹き飛ばす攻撃だ。
総合評価上げのために、上級ダンジョンよりも遥かに念入りに行った破壊活動は、森を破壊し尽くし、遠方まで見渡せる黒焦げた大地を生み出した。
光魔法に照らし出されたダンジョン内の世界は、まるで溶岩流が全てを飲み干した後、降り注いだ黒色の煤で山肌を覆われたかのような、生き物の存在しない悲壮な世界を生み出していた。
「空襲の方は生存者が居るけど、マシとは言えないよね」
「というか今更だけど、空襲とか沿岸部の都市を押そう艦砲射撃とか、果ては核攻撃にも匹敵する攻撃魔法を使えるレベル一〇〇のパーティってヤバいよな」
綾香からの情報では、特攻隊の一部にはレベル九〇台に届いた者がいるそうである。
次郎が大学に入学した頃の五〇台から僅か一年半で良く上げたものだと感心させられるが、思い起こせば次郎と美也も同じペースで上げていた。
もっとも次郎たちレベル上げは、後続の事を一切考えず、資源を一切残さないダンジョンの焼け野原戦法であった。
その件に関して三人は、今に至ってもやり過ぎたとは思っていない。
森を焼く戦法が先着順であるなら、当該ダンジョンを出現させ、先方に完全魔素体としてデータを取られる事になった自分たちが使うのが順当だとすら感じている。
そんな開き直り集団のレベル上げのペースに匹敵する以上、特攻隊の一部は自衛隊にでも入って、学校生活などを犠牲にした専任状態になっているのかもしれない。
最上級ダンジョンの最奥まで来るのは当分先だろうが、能力的には既に次郎たちと殆ど遜色ない所まで迫ってきている。
「祖父達は、高レベル者の魔法の力を小さく見せる事で、なるべく時間を稼いでいます。来年の参議院選挙と衆議院選挙で勝って、あと五年ほど井口政権を保てば、日本はエネルギー輸入国から、魔石エネルギーの輸出国に変わるそうです」
「ほぉ」
「それで今日は、予定通りに攻略するという事で、よろしいでしょうか」
先程来、最奥への入り口前で黒ケルベロスを吹き飛ばし続けている綾香が、半身を振り向かせながら確認した。
綾香は井口総理や広瀬大臣との繋ぎ役を担っており、最上級ダンジョンが攻略間近である事を先方に伝達している。
両者からは、攻略を事前に通達すべしという束縛は受けていない。
だが攻略の結果次第では、首相官邸に居る井口総理や、日曜討論でテレビ局に寄る広瀬大臣などに緊急で連絡する必要が生じる。
次郎は鷹揚に頷いて攻略決定を肯定すると、美也に最終確認の視線を投げた。
するとケルベロスに魔法の炎の嵐を浴びせていた美也も、手を休めないままに頷き返した。
「今日で良いよ。結構長かったね」
「そうだな」
美也が感慨深げに呟くと、次郎も軽く共感の意を示した。
二人は、ダンジョンに潜って六年以上になる。その活動には、将来を左右するテーンエイジャーの殆どを投じてきた。
これだけの期間を勉学や資格取得に費やせば、ほぼ確実に望む進路へ進めただろう。
次郎としては、美也を巻き込んだ投資の回収について、それなりに気にしている。美也一人ならば責任の取り様はあるが、どうせならば収支は黒の方が良い。
現段階での採算は、次郎が日本人の平均的な生涯年収を何倍も上回って稼げており、美也も学費を稼いで希望した医学部に進学できている。
従って採算は、大きな黒字であろう。
しかしダンジョンを生み出した存在が口にした、次郎と美也をコピーして彼方で用いるという部分についての収支は不明瞭だ。
そちらの収支もプラスにする方法が、高い攻略特典を得る事であり、ダンジョン製作者側と建設的な関係を築く事だと美也は考えている。
「最後の特典だけど、俺は能力加算にしようと思う。コピーされて彼方とかで使われるかもしれないし」
「それは良い考えだと思うよ。それで次郎くんは、何を上げるの?」
「最初は身体能力を高くしようかと思ったけど、全属性を底上げする事にした」
次郎は、充分な転移能力と収納能力を持つ一方で、土属性を除いた魔法が不得手だ。
特典による加算で万遍無く上げておけば、汎用性の高い万能型となる。
最上級ダンジョンの攻略後も魔物対策や、自衛を目的とした対人戦闘、彼方での活動などで幅広い用途が期待できるだろう。
次郎の表明に対して、美也は大いに賛同の意を示した。
「そうなんだ。それなら、わたしも身体能力を上げようかな」
「ほほう」
美也は充分な転移能力と収納能力を持ち、加算も得ているために次郎以上にバランスが良い。その状況で敢えて能力加算を選択したのは、次郎に行動を合わせる為だった。
身体能力を上げておけば、次郎の行動に合わせられる。
元々、初級ダンジョン攻略時に美也が能力加算を選択したのも、それが理由だった。
美也の選択理由を阿吽の呼吸で察した次郎は、敢えて理由を問わなかった。
代わりに綾香に対し、同じ質問を投げかける。
「綾香はどうするんだ?」
「転移の予定でしたが、能力加算に変更します。理由の説明は必要でしょうか?」
綾香の転移能力は一日二回で、次郎や美也の半分しかない。
それでいて祖父が内閣総理大臣、私事での転移能力はどれだけ回数があっても足りないほどだ。
それでいて転移ではなく能力加算を選んだのは、自分を優先したからだろうと次郎は察した。
何しろ政略結婚を嫌がり、次郎を籠絡した前歴を持っている。
「俺たちと同じ理由なら、聞かなくても大丈夫だ。これからも宜しくと言う事で」
「はい。地球よりも厳密な一夫多妻制の世界でも、よろしくお願いします」
平然と宣う綾香と、急激に冷たくなった美也の瞳が、次郎に突き刺さった。
「…………白旗大降伏」
たった一言で追いつめられた次郎は、敢え無く白旗を揚げた。
そして不意に、一夫四妻を実現しているイスラム教の人を尊敬した。
一夫多妻制度を実現している人々は、一体どのように妻たちを納得させてハーレムを維持しているのか。そして妻同士は争わないのか。
何しろ、箱庭世界で共に育った幼馴染ですら、この有様なのだ。どれだけレベルを得ようとも、人としての凄さで一夫多妻制の人々には到底敵わない。
次郎は敗北を知った。
そして今後、尊敬する人を問われた際には、イスラムの人と答えようと決意する。
次郎はそんな決意を内心に秘めつつ、最上級ダンジョンの最奥と思わしき空間の入り口前に立ち、美也と綾香を順に手招きした。
二人は前方に魔法を飛ばしながらジリジリと後退し、次郎の傍まで寄ってきた。
次郎は二人の腰に両手を回して引き寄せると、抱き抱えて跳躍しながら、三人揃って最奥へと飛び込んだ。
刹那、通路と最奥を繋いでいた空間に黒い壁が出現し、最奥を隔離する。
殆ど音を立てずに着地した次郎は、素早く二人を解放した。
途端に美也が方々へ光魔法の光源を飛ばし、綾香がその隙間を埋めるように火魔法の補助光を飛ばす。
そんな二人が照らし出した最奥の空間内に浮かび上がったのは、墨で染め上げたような黒い土壌だった。
真っ黒な土が、光源の届く限り地平線の果てまで続いている。
「相変わらず、非常識な空間だな」
次郎は呆れたように肩を竦めたが、ダンジョンの最奥に踏み入った者であれば、大抵は同様の感想を抱くだろう。
各ダンジョンの最奥の構造は、いずれも道中の通路や広いだけの空間とは一線を画している。
チュートリアルは黒い草原、初級は黒床の闘技場、中級は黒い森、上級は黒い丘と平原。いずれも人類の常識から見て、非常識という言葉に当てはまる。
そして最上級ダンジョンの最奥も、黒い土壌と、雲の高さまで伸びる黒い壁に仕切られた、殆ど何も無い黒い空間だった。
海底一万メートルの深海から生物を取り除けば、このような光景になるだろうか。
常識を置き去りにした光景に次郎が見入っていると、美也が警告を発した。
「次郎くん、壁が変」
美也が指さしたのは、通路があった位置から一〇〇メートルほど上方の壁だった。
光魔法に照らし出された壁に、壁とは色が異なる無数の人影が映っている。
人影は次郎達から見て左側へ走っており、その背後から黒い津波が迫ってきて、次々と人影を飲み込んだ。
津波は美也の指差した場所で固定されており、人影たちは必死に逃げながらも続々と引きずり込まれ、津波と同化して消えていく。
声も無く見入る次郎たちの眼前で、黒い津波は沢山の人影を飲み込み続けた。
やがて津波の勢いが弱まった頃、美也と綾香の光源が急激に弱まり、空間全体が暗闇に覆われ始めた。
「美也、綾香、俺と手を繋げ」
強力な光源を出し直す代わりに手を繋いだ三人の姿が、急速に暗闇の中へと沈んでいった。
























