65話 青森ダンジョン
次郎がダン研に入ってから月曜日グループで学んだ物の中に、ドレイク方程式というものがある。
これは一九六一年、アメリカの電波天文学者フランク・ドレイクが、この銀河系にどれだけ交信可能な知的生命体が存在するかを説明するために用いたものだ。
N=R×fp×ne×fl×fi×fc×L
N=交信可能な文明の数
R=天の川銀河で一年に誕生する星の数
fp=恒星が惑星を持つ割合
ne=生命が存在し得る惑星の数
fl=実際に生命が発生する割合
fi=生命が知的生命に進化する割合
fc=交信可能な高度文明を持つ割合
L=文明が電波を発し続ける年数
ドレイクは、それぞれに妥当な値を入れれば、Nが一以上になるため、銀河系を丹念に探索すれば必ず他の文明が見つかるはずだと主張した。
その後、ハッブル宇宙望遠鏡やケプラー宇宙望遠鏡が登場して、計算式に当て嵌める値が次々と修正されていった。
二〇〇九年に打ち上げられたケプラー宇宙望遠鏡が白鳥座方面の約一万個の恒星を観測した結果、地球型惑星とスーパーアースが一〇〇〇個以上も発見された。そのうち五〇個は水が液体で存在し得るハビタブルゾーン内に存在し、一〇個は地球サイズであった。
ハビタブルゾーン内にある地球サイズの惑星は、程良い大気があれば引力圏内に水を引き留めておける。
宇宙には水素が大量に存在しており、太陽などの主系列星は水素を使って核融合を起こしている。また酸素も恒星の核融合や爆発などで自然発生する事が、ヨーロッパ宇宙機関のハーシェル宇宙望遠鏡による観測結果で証明されている。
それら水素と酸素が出会えば水分子が作られ、宇宙空間上に存在する岩石と結びつく。あとはハビタブルゾーン内で惑星が形成された後に、恒星系の外周から氷の天体が引き寄せられて惑星と天体衝突を起こせば、地球のように水を獲得できるというわけだ。
天の川銀河には少なくとも二〇〇〇億から四〇〇〇億個の恒星が存在している。
ケプラー宇宙望遠鏡による観測結果が、天の川銀河にある恒星系の平均だと仮定した場合、ハビタブルゾーンを公転している生命が存在し得る地球型惑星neは恒星数の一〇〇〇分の一であり、天の川銀河全体で四億~八億個ある計算になる。
fl、fi、fe、Lに関しては、今のところ想像でしか値を出せない。
但し、地球に原始海洋が誕生した四〇億年前、ほぼ同時に原始生命が誕生した事から、水が液体で存在する惑星で生命が発生する確率flは、現代ではかなり高いと考えられている。銀河自体における恒星系のハビタブルゾーンや惑星大気なども考慮して、四〇分の一と見積もる。
そうすると何らかの原始生命が発生する惑星flは、一〇〇〇万~二〇〇〇万個となる。
原始生命が誕生した惑星flで、原始生命が知的生命体まで進化するfiの割合は、一〇〇万分の一と仮定する。
一〇〇万分の一という低い数値は、恐竜などが長い繁栄の時を経ても知的生命体に進化しなかった点、現在地球に生息する多様な生命体の何れも知的生命体まで至らない点を加味した結果である。
そもそも太陽系のように、ハビタブルゾーンの外側を公転する巨大ガス惑星の木星と土星、巨大氷惑星の天王星と海王星のような、太陽系外周の全質量の九九%を占める各天体が理想的な配置になっているケースは稀である。
その中でも特に木星は、凍結線上のギリギリ外側で物質を集め続けて質量を地球の三一八倍まで増大させ、ハビタブルゾーン内にあった原始惑星の一部を太陽に引き寄せずに天体衝突を起こさせて揮発性物質を集約させ、大気が宇宙空間にあまり逃げ出さない程度に質量を増大させて、原始地球を誕生させた。
その後、土星との軌道共鳴によって小惑星帯から原始地球に資源を運び、中期にはハビタブルゾーン内の地球軌道を安定させて気候を一定に保ち、後期には長周期彗星から地球を防御して生命の長期生存を可能とした。
その上で適度に大量絶滅を引き起こして生命の進化を促すバランスは、まさしく絶妙の域だ。これほどまでに理想的な経過を辿って知的生命体を生み出す恒星系は、銀河広しと言えど極稀であろう。
すると天の川銀河では、原始生命が誕生しうる一〇〇〇万~二〇〇〇万の惑星の内、人類並みの知的生命体feが誕生し得る惑星は、一〇~二〇個程度となる。
最後のL、人類並みに進化した知的生命体が何らかの電波信号を発するか、宇宙空間に人類が観測可能な人工物を創り出して人類と交信する可能性は、相手と人類の技術力、お互いの文明維持年数で大きく変わる。
人類が知的生命体と呼べるようになったのは、チンパンジーなど他の生物も行える二足歩行や道具の使用を始めた数百万年前ではなく、農耕と牧畜によって人工的に食糧を生産できるようになった数万年ほど前からだ。但し、この時点では相手を観測のしようがないので、Lは〇である。
また電波天文学などで宇宙人の交信を受信しようと試みたのも一〇〇年ほど前であり、当時の技術力では一〇光年先の電波を捉えるのが精々であった。この時点では、相手が全銀河を覆うような大文明でない限り地球側が観測できるLの確率は〇である。
天の川銀河がある一〇万光年の範囲内に誕生する知的生命体feが一〇だとして、それら文明が平均的に分布したとすれば、互いの距離は一万光年。
すると人類が一万光年先までの全惑星の地上を観測できる技術を持てば、先発文明の滅びた遺跡か、これから知的生命体に進化しそうな生物、運が良ければ同時代を生きる知的生命体を観測できるようになるだろう。
ようするに現代の地球人が、自力で地球外知的生命体を見つけられる可能性は、一〇〇年前の技術から劇的に変わらない限り、〇だ。
結論として宇宙人と会いたければ、地球から半径一万光年にある惑星の地表に存在する人工物を、隈無く調べられる技術力を持つべきである。
但し大陸プレートの移動などで建造物が消えてしまうため、地球から観測する程度では見つからないだろう。各恒星系に直接赴いての、詳しい精査が必要である。
もっとも人類の文明力的には、未だ数千年ほど早いだろうが。
「と言うのが、ダンジョンが現われる前の定説だったんですけどね」
「宇宙人の方が、自分で姿を現わしたからね」
午後一時半を回ってようやく辿り着いた、青森ダンジョンの地下二階。
タマヤスデと戯れる一部のメンバーを眺めながら、次郎は遅めの昼食に取りかかった。
「暗き冥府より湧き出し魔物よ、汝の在るべき世界に戻れ、ファイヤーボール!」
ダン研の女子が詠唱すると同時に、野球ボールほどの真っ赤な火の玉が現われて、サッカーボール大の巨大タマヤスデに襲い掛かった。
顔に直撃を受けたタマヤスデは仰け反り、そこに男子の蹴りが入って身体を引っ繰り返される。
「この野郎、硬いんだよてめぇ!」
転がったタマヤスデの腹部に向かって、ツルハシや金槌、両口ハンマー、果ては混合ガソリンで動かす穴掘機などが襲い掛かっていった。
腹部を破壊されたタマヤスデは毒を撒き散らし、奇っ怪な鳴き声を上げながら激しく動き回る。
その声に呼び寄せられたのだろうか、タマヤスデの群れが一斉に襲い掛かってきた。
だがダン研のメンバーは一五人、次郎は休憩しているが周囲には他の探索者もおり、数では負けていない。
最悪の場合、休憩に入った次郎たちが呼ばれるか、それでも無理そうなら一階に逃げれば良いのだ。魔物達が自発的には各階層を越えない事は、既に経験則から既知となっている。
「来たわよ!」
笹森が薙刀を構え、周囲に警告を促した。
次郎はそれに構わずに携帯型の簡易折り畳み椅子を展開し、サンドウィッチを取り出し、青森県のコンビニで買った北海道牛乳のパックにストローを差し込む。
隣にはリーダーの笹森と入れ替わりで休憩に入った副リーダーの鋼が座り、彼もコンビニで買ったおにぎりとお茶を取り出した。
ダンジョン内では、軽く摘まめるサンドウィッチやおにぎり系が比較的人気で、態々崩れるお弁当を持ち込む猛者は中々いない。
「ドウシタくんは、相手がどこから来たと思うかな」
鋼が振ってきた話題は、ダンジョンを出現させた存在についてだった。
ちなみにダン研の大多数は、宇宙人説が最も有力だと考えている。
中には未来人説も少なからずいて、根拠としては日本のみ良い意味でも悪い意味でも差別されている点や、それを日本政府が独占している点が挙げられる。曰く、日本政府は未来の日本人とコンタクトを取っているのではないかというわけだ。
但し世界的には、どちらの考え方も少数派だ。
日本以外では、神によるものだという説が多数派を占めている。その内訳は、人類に対する試練の始まり、地獄の顕現、日本に対する神罰など様々だ。
なお次郎は、鋼と同様に相手の事をよく分かっていない。
実際に会った相手の自称は元和歌山県民だが、単なる和歌山県民はダンジョン作成能力など持たない。背後に何らかの存在がいて関与していると考えるのが、至極真っ当な思考である。
それが地球文明に介入しに来た宇宙人だと言われれば、おそらく信じただろう。
あるいは神や未来人だと説明されても、相手側に次郎を騙すメリットが思い浮かばないため、その説明を前提としただろう。ダンジョンを生み出して魔物を創り出している以上、紛れもなく神や未来人に匹敵する創造力は持っているのだ。
その中で今のところ最も高い可能性として、宇宙人説に立っている。
なぜ宇宙人説なのかというと、未来人が過去に移動する技術は現代では理論上不可能であるし、万能の神という存在が論理的に矛盾を来す事も知っているが、宇宙人のワープだけは理論的には可能だからだ。
「宇宙人説が正しいとして、地球から最短距離で知的生命体が存在し得る可能性があるのは、一二光年先のくじら座タウ星eですよね」
「うん、そうだね」
くじら座タウ星は、太陽に似た恒星をG型主系列星だ。
太陽よりも質量が小さく、光度が小さい為、各惑星が受けるエネルギーは太陽系の四五%ほどしか無い。
恒星系には五つの惑星が確認されており、タウ星eは地球の四倍ほどの質量で、地球と太陽の五三%ほどの距離を一六八日で公転している。
このタウ星eは惑星の質量が大きいために、地球と同様の大気が存在した場合は大気が厚くなり、宇宙空間に逃げ難い事から、表面温度は八℃ほどとなる。
地球の表面温度が一五℃のため、生物が存在するにはかなり良い条件といえる。
「仮にタウ星人が居たとして、一二光年先から真っ直ぐ地球へ来たなら、最小に見積もって人類より千年先の技術で来れそうです。まあそんな事は無いと思いますけど」
「それはどうしてだい」
「地球人に付与された転移能力は、アインシュタインの相対論で理論的には可能だと示されています。でも個人単位に付与するのは、一二光年を移動する程度の文明だと無理そうだからです」
「うん、成程ね」
鋼は納得したが、実はそれ以外にもタウ星人では有り得なさそうな理由がある。
タウ星は、単体では生物が存在するのには良い条件だ。
しかし恒星系には問題があって、エッジワース・カイパーベルトと呼ばれる恒星系外縁天体群が太陽系の一〇倍以上も存在している。
つまり、巨大隕石の衝突が多発し易いのだ。
これはタウ星系の恒星の力が太陽よりも弱いために、天体群が恒星風でタウ星系外に吹き飛ばされ難い事や、木星や土星のような巨大ガス惑星が天体群を引き寄せなかった事に起因する。
辛うじて天王星や海王星のような巨大氷惑星であるタウ星gが一つ確認されているが、それ以外にタウ星eを守る巨大惑星は配列されていない。
そのため、タダでさえ多い天体群が長周期彗星となった場合、木星や土星などに引き寄せられず、進路上に存在するタウ星eに衝突して大量絶滅を引き起こす頻度は、地球に比べて一〇〇倍以上も多くなってしまう。
およそ一〇〇〇万年に一度は大量絶滅を起こすのであれば、恐竜の絶滅から六八〇〇万年で誕生した現在の人類のような知的生命体がタウ星eで存在するのは難しそうだ。
隕石に対応した進化をするのであれば、クマムシのような極限生物の方向であろう。
仮に高度な知的生命体が誕生してもそして海底や地底に適応した生物は、陸上生物よりも宇宙に出るハードルが高くなる。タウ星人が地球に来られない所以である。
「タウ星だと、僕たちのような知的生命体の発生は難しそうだよね」
「はい。進化しても隕石衝突に強い海底生物か、地底生物が関の山でしょう。陸上生物に比べると、宇宙に出るハードルは高いと思います」
「それなら、もっと遠いんだろうね。どれくらい先から来たのかな。一〇〇光年先か、それとも一〇〇〇光年先か」
遠い目をした鋼は、実際にはどれほど遠い宇宙に思いを馳せているのだろうか。
少なくとも一〇〇光年程度ではないだろうと、次郎は考えた。
天の川銀河の直径は一〇万光年。中心部には巨大ブラックホールがあるため、反対側から大きく迂回して来るなら、移動距離は一〇万光年を超える。
もっとも、それほど遠方から来るのであれば、道中に居住可能な惑星は無数にあるだろう。次郎はなけなしの想像力をめぐらせ、一つの恒星系を思い浮かべた。
「一四八〇光年先にあるKIC 8462852だと、どうですかね」
KIC 8462852は、白鳥座を調べていた宇宙望遠鏡ケプラーが観測した、謎の減光を不規則に起こす恒星だ。
恒星は太陽よりも一段階上のF型主系列星であるが、二〇一〇年代に最大二二%という異常な減光が確認され、ハーバード大学に保管されていた記録を遡ると、過去一〇〇年の間にも不規則に最大二〇%の減光が起こっていた。
ケプラーが観測した白鳥座方面にある一万個の恒星系で、このような特殊な減光を起こしたのはKIC 8462852だけである。
そして減光が、恒星を横切った小惑星や彗星の類でない事は、NASAのスピッツァー宇宙望遠鏡による赤外線観測などによって確認された。では減光は、一体何なのか。理由は今のところ分かっていない。
そこで登場したのが、巨大人工天体やダイソン球だという仮説だ。
何しろ恒星系は太陽よりも少し強い程度で、恒星系内に恒星以外の天体がある事も分かっている。その星を発祥とする異星人が文明を発展させた可能性は、今のところ否定できない。
「一四八〇光年の彼方か。そんなに悪くないね」
鋼の感触は悪くなかった。
太陽よりも強い恒星に二〇%もの減光を不規則に起こしうる規模の巨大な人工天体やダイソン球を作れるのであれば、相手は人類に比べて数万年先の技術を持つだろう。
人類を手玉に取るくらいの高度な文明が栄えていても、不思議ではない。
そんな文明が近場の恒星系開拓では無く、一四八〇光年先の地球を訪れる理由については、わりと簡単に説明できる。
まず先方の動機は、生存環境の拡大だ。
一つの恒星系のみにしがみついていると、いずれ恒星の死によって滅亡するのは自明の理である。であれば移住可能な他の恒星系に広がるのは、生存を目的とすれば極めて真っ当な行動といえる。
次いで地球を選択した理由であるが、相手が誕生した恒星系の外に移住先を求める場合、移動可能な範囲で最も生存に適した惑星を選ぶのが道理である。そして地球は、人類や多様な種を生み出せるほど、生物にとって理想的な環境である。
一四八〇光年を移動できる技術力があれば、相手が地球を移住先に選ぶのは当然なのだ。
その際、現住生物を自分たちの生存よりも優先する訳がない。人類が地底に住まうタウ星人を自分たちよりも優先しないのと同じ理由である。
だが鋼の根本的な疑問は、未だ解消されていない。
すなわち、何のためにこれほど広大なダンジョン空間を生み出すのかだ。
日本に発生しているダンジョン空間は、日本の国土を越えている。
初級ダンジョンは、一階層が四〇〇平方キロメートル。一五階層を合わせれば、六〇〇〇平方キロメートルもある。
中級ダンジョンは、一階層が八〇〇平方キロメートルあるのではないかと言われており、二〇階層で一万六〇〇〇平方キロメートルとなる。
初級で固定された二四県を合せれば、十四万四〇〇〇平方キロメートル。
中級になった二二都府県を合わせれば、三五万二〇〇〇平方キロメートル。
日本の国土が約三八万平方キロメートルなので、出現したダンジョン空間の方がずっと広い。
国家規模の空間を生み出して、あるいは空間を繋いでどこかに転移させて、一体何をしたいのか。
地球人的に考えれば、行為に対する費用対効果が全く見出せないという事になる。人類に対する下調べだとしても、相手の行動が効率的には思えない。
次郎としても、相手の目的が『完全魔素体のデータが欲しいから……では無い』という事は直接聞かされているが、本当の目的が何なのかは想像も付かなかった。
「鋼くん、増援に来てー!」
「…………休憩は終わりのようだね」
「了解です」
鋼たちは思考を打ち切ると片付けを済ませ、地底人たちに向かって武器を構えた。
























