63話 最上級ダンジョン
ここ数年の日本は、近年稀に見る騒動の渦中にあるといえる。
ダンジョン発生という事象に関連して、様々な組織・団体の常識や前提が、根本から揺さぶられた。
地球外生命体と思わしき魔物や、現代科学を無視した魔法が齎した影響は甚大で、それ以上に攻略特典と称される能力の付与は、様々な方面に強烈な衝撃を与えた。
各国は外交や国防計画の練り直しを迫られ、人類を中心とした宗教の大半が地球外生命体の存在に関する解釈を求められ、数多の学会の理論・法則・定説などは土台から引っ繰り返された。
グローバル社会において、極東における限定的な事象と強弁する事は、不可能である。人々は情報を持ちすぎており、間違っている事は間違っていると知られてしまうのだ。
各組織の担当者は、自らの組織の原則論を修正するにあたって、正確な情報を求めた。中には強行に迫ってくる国もあったが、井口総理は国際協力はするとした上で、日本国内を最優先する姿勢は崩さなかった。
「総理。米政府から、ホフマン新大統領との会談を求める要請が入っております。事前調整事項の中には、先に米議会で承認のあった、日米FTAの税率についての大幅な譲歩案も示されていますが……」
日本での政権交代以降、アメリカは共和党の白人系のライアン大統領から、民主党でユダヤ系アメリカ人のホフマン大統領に交代している。
先のライアン大統領は、日本の旧与党であった労働党や大場元総理との繋がりの深く、逆に政権交代した井口総理との交渉は梨の礫であった。と、されている。
実際には大場政権時代に始まった沖縄での共同調査を継続していたのだが、アメリカのメディアが求める水準には達していなかったらしい。
なおアメリカの求める水準とは、攻略特典の折半である。
これに関して、アメリカのどんな無茶振りにでも譲歩する日本の井口総理は一切応じなかった。
そのためアメリカ人は、ライアン大統領の指導力に疑問を持ち、選挙でも新大統領に期待する風潮が生まれ、政権交代の一助となった。
そのような話を聞けば、大抵の日本人は空気を読んで自ら譲歩する。
アメリカ側は、日本人特有の性質も計算尽くであった。そしてホフマン新大統領は、先に意気揚々と議会の承認を取り付けて盛大にアピールしたわけである。
井口総理は、そんなアメリカ側の全ての事情を承知していた。
「代替条件に、攻略特典を寄越せというものがあるだろう」
「はい。そのための譲歩案ですので」
「ダンジョンは日本固有の問題であり、日本は主権国家だ。加えて我が国は防衛上、自国に被害をもたらす魔物とダンジョンの管理と攻略の主導権を持ち続ける事が不可欠だ。攻略特典の配布など、調整不可能だと伝えたまえ」
「ですが協議が不調になった場合、逆に税率を上げるというあからさまな示唆が……」
「その場合は、こちらも税率を上げて対抗する。必要な物はアメリカ以外から買えば良い」
「…………本当に宜しいのですか」
「財政を圧迫していた医療費は、光魔法で大幅に抑制できる道が開けた。核兵器に対抗する手段も得られた。魔石の転用技術も生まれた。それを、たかだかFTAの税率減、しかもいつ元に戻すかも分からない程度のもので、攻略特典を配布など有り得ん」
「畏まりました。調整不可能と返します」
井口総理が強気で居られるのは、圧倒的な支持率、衆議院の四分の三の議席、参議院の半数以上の議席、労働党の旧勢力が壊滅状態などの絶対的な政治基盤があればこそだった。
多少国民に負担を強いても、国民にはダンジョンやレベルという未来への展望があり、攻略特典を渡さない理由にも納得して支持を続けてくれる。
そんな日米の水面下での鍔迫り合いが行われていた五月。
次郎の方も、地上では六月の大学祭に向けた準備をしつつ、地下では最上級ダンジョンの攻略に勤しんでいた。
現在日本では、今後インプの氾濫を避けるために、鹿児島と沖縄に続いて国内に二〇ヵ所残るダンジョンを中級から上級に変化、あるいは白化させなければならない。
すると日本中に上級ダンジョンが増える事になり、そこからの魔物氾濫を避けるために、今度は上級ダンジョンも攻略していかなければならなくなる。
上級ダンジョンのボス退治は、次郎たちが居れば問題ない。いずれ特攻隊でも可能になるだろう。
では上級ダンジョンを攻略した後は、一体どうなるのか。
次郎は、黒ダンジョンが最上級ダンジョンだと製作者側に聞かされて知っており、それを攻略できれば魔物の地上氾濫は止められると考えている。
魔物氾濫が無くなれば、日本はダンジョンの恩恵だけを享受できる。
そうなれば日本経済は立て直しの機会を得られ、日本に住む日本人の次郎たちもより良い生活を送れるようになる。
そのような理由に基づき、次郎は最上級ダンジョンの最奥を目指していた。
最上級ダンジョンの内部は、壁も床も真っ黒だった。
魔物は上級ダンジョンと同じ種類が出てきて、数十の集落も存在し、集落の間には広い空間に黒くて深い森もあった。
森を構成しているのは、上級ダンジョンにも生えていた背の高い杉、檜、松、銀杏などの裸子植物で、いずれも黒色だった。
大地には黒い土が敷き詰められ、鉱物には黒いコケ類が張り付き、シダ植物の黒ワラビ、黒クサソテツ、黒クラマゴケなどが足元を覆い尽くしている。そして中央には、大きな黒い湖も存在した。
最上級ダンジョンは、その内部の全てが黒色に染められている。
そして魔物には、黒色以外の特徴もある。
上級ダンジョンに出てきた魔物は、武器を持ち、集落を作る知能を持っていた。
だが最上級ダンジョンに出る魔物は、最初から存在している集落や武器を一切使わず、ひたすら盲目的に得物へと迫ってくる愚かな集団だった。
それでも次郎が苦戦したのは、黒ゴブリンが並のケルベロスよりも強く、自動回復する不思議な特殊能力を持ち、数も多すぎたからだった。
本日の美也は多忙なため、サポート役は綾香である。
「…………状況は理解致しました」
「どうした。問題でもあるのか」
「どうしたは、次郎さんの苗字でしょうに」
不機嫌な綾香が生み出した緑色の風の刃が、黒色のゴブリン達を四方八方から滅茶苦茶に切り裂き、黒い血を吹き出させる。
しかし周囲に満ちる黒い霧のようなものが傷口に流れ込み、ゴブリン達は直ぐに回復していった。
これこそが最上級ダンジョンの魔物の特殊能力で、魔石を壊さない限り、やがて回復して動き続けるのだ。
四肢を斬り落としても、魔石のある身体側からは欠損した部位が生えてくる。
黒ゴブリン達も体内に魔石を持っているため、不完全魔素体の一種なのだろう。
だが周囲の黒い霧を吸収して体力や負傷を回復する点や、集落や武器を使わない点、理性を持たず盲目的に迫ってくる点は、上級ダンジョンのゴブリンとは一線を画していた。
それらに相対し続けた次郎は、黒ゴブリン達の正体が、元和歌山県民が口の端に乗せていた『瘴気消費体』では無いだろうかと想像している。
根拠の一つが、最上級ダンジョンに入れるレベルだ。
完全魔素体になった次郎たちは『瘴気消費体に変質しない』メリットがあるらしい。
すなわちレベル九九までの不完全魔素体は感染するらしいので、ダンジョンにレベル制限がされている理由は、その辺りに有るのでは無いかと思われた。
黒ゴブリンに傷を回復された綾香は、さらに魔力を上乗せすると、巨大な太刀のような風を生み出した。
生み出された風の太刀は誕生と同時に直ぐさま振るわれ、黒ゴブリン達の身体を水平方向からバッサリと寸断した。
雑草を鎌で刈るような、あるいは裁断機で紙を切断するような、一撃必殺の荒い攻撃である。
さしものゴブリン達も身体を半分にされては如何ともし難く、黒い床面で蠢きながら、綾香の生み出す炎の海に飲まれて沈んでいった。
「荒んでいるなぁ」
「どなたのせいでしょうか」
「…………うーん」
次郎は炎の海を泳いできたゴブリンの生き残りを叩き潰しつつ、心穏やかならざる綾香の心境を察した。
綾香が荒む理由は、『完全魔素体』に関してだ。
綾香がレベル一〇〇に達してから一ヵ月半ほど経った頃、綾香の目の前にステータスが現われた。
井口綾香 完全魔素体 転移A二 収納S
体力八 魔力二六 攻撃七 防御七 敏捷八
火一三 風一三 水三 土三 光七 闇一〇
もちろん綾香にとっては、完全に寝耳に水だった。
その中で次郎に対して最初に説明を求めたのは、正しい行動だった。
その時点で次郎と美也から、綾香を共犯者として引き込むダンジョン製作者との接触の説明があった。
様々にコピペされる事を理解した綾香は、総合的に鑑みて完全に次郎たちの側に付いたのであるが、完全魔素体の表示が現われるまで信用されていなかった事に不満だったわけである。
「今度、気分転換にうちの大学祭でも来るか。北大祭」
「北大に進学されたのですか?」
「ああ。綾香が北海道に住んでいるからな。六月にあるけど、来るなら色々案内するぞ」
「ではお願いします。何日ですか」
綾香の声色が、僅かに高くなった。
北大は北海道にある国立大学で、道民にとっては北海道の東大である。
道民の綾香が大学祭を見学に行こうとも、進学先に選ぼうとも、誰も疑問には思わない。
そこで次郎たちが形成した打算無しの人間関係の輪に入っていけば、派手に名前の売れてしまったこれからも、周囲へ過剰に阿る生活から多少は解放される。
そんな綾香の心境を察してか、次郎はさらに追加で気を紛らわせる案を出した。
「北大祭は、六月六日の木曜日から六月九日の日曜日までだ。それと、俺が札幌市に借りたマンションにも案内しておこう。携帯を収納でしまうなら、転移で遊びに来ても良いぞ」
「分かりました。今日のところは、大人しく騙されておきます。不満は残っておりますが、いずれ解消して頂けるものと信じておりますので」
「…………うい」
全然騙された風には見えなかったが、綾香の機嫌が良くなったので次郎は沈黙を保った。
そんな綾香の攻撃魔法は、条件提示後に巨刀の荒っぽい一刀両断から、半自動でゴブリンを撃ち抜く視線連動型の追尾レーザーに切り替わった。
今月の頭に、インプ達を残らず撃ち落としたレーザー攻撃の、地上殲滅版である。
魔力消費量が大きいためにレベル一〇〇の綾香でも疲弊するし、味方が居る方角には危なくて撃てないという欠点もあるが、それらをクリアできればビルだろうと山だろうと貫く強烈な攻撃になる。
「こうして見ていると、能力加算で魔法を引き上げるのは存外大きいな」
「そうですね。最上級ダンジョンでは、能力加算を取ろうと思います」
「まあ、綾香はその方が良いだろうな」
コピペされるなら、能力の高い方が良い。
順調に勉学に励む美也も攻略特典を望んで、ダンジョン攻略に参加の意思を示している。
綾香よりも加算分だけ能力が高い美也は、魔物の殲滅方法が綾香よりも極端となる。おそらく夏休みの間には、次郎たちが倒した魔物の数に追いつくだろう。
「ではこちらも、花子さんを置き去りにするくらい倒しておきましょう」
「了解。とりあえずゴブリンは徹底的に駆逐だな」
次郎たちは集落から外に出て、森を徘徊する黒ゴブリン達に攻撃を始めた。
























