06話 二学期の異変
地下二階の発見から一ヵ月が経ち、学生の大多数が望まない二学期がやって来た。
誰も望まないとまで言い切れないのは、生徒会活動や部活動に青春の汗を流す人達がいるからだ。人生を謳歌しているようで、実に結構な事である。
なお部活を引退気味の次郎は、もちろん多数派に属する。
むしろ洞窟で汗を流していたため、二学期が訪れて人生の謳歌を妨げられた事は誠に遺憾であった。
なお誠に遺憾とは、表現が控えめの日本人にとっては、それなりに強い意思表明にあたる。
それでも毎日が日曜日という夏休みをずっと探索に費やせた事で、レベルは目標にしていた一五に達していた。
ボーナスポイントの割り振りは、巨大タマヤスデが体液に毒を持っていた事から計画を変更し、身体能力系を全て三まで上げる安全策を採った。
体液は弱毒で、山に生息する昆虫の何種類かが天に召された程度だ。
しかしタマヤスデとの戦いや受けた毒で次郎が弱っていれば、帰路に現われる数百匹のコウモリたちが容赦なく襲い掛かって来る。そして倒されれば単独であるため助けは訪れず、いずれスライムに骨まで綺麗に溶かされてしまうだろう。
従って基本方針は「いのちをだいじに」となり、身体能力の強化が行われたのだ。
そして目標が達成され、地下三階に辿り着いて巨大バッタを発見した矢先、新学期が到来した次第である。
「ジロオハ」
「ジロオハハ」
「ナカさん、キタムー、おはー」
クラスに入ると中川と北村が、一学期と変わらない挨拶を交わしてきた。
挨拶を返した次郎は、夏休みの宿題がギッシリと詰まった鞄を机の上に乗せる。
そして黙々と中身を出していくと、それを呆れた眼差しで見ていた二人が、声を上擦らせながら問うた。
「うわ……ジロー、真面目にやったのかよ?」
「マジかジロー。お前はメジャーで、コーチをしていたはずだろう?」
二人の心境には、次郎も同感である。
なにしろ夏休みに出された課題は、英文の選択問題や穴埋め、数学の応用問題集、漢字検定問題集など、それぞれが教科書一冊分にも匹敵する厚さであった。
しかも内容は、教科書のように要点が簡潔に纏められたわけでは無く、単に暗記すべき事柄の羅列や相応の分量があるだけだ。
市立三山中学校の教師には、生徒側の長期記憶に結び付けようという工夫が見られず、問題の意味を理解させようという意志も無い。
市立中学の公務員教師としてノルマを果たしているだけであり、それを感じ取れる生徒は馬鹿らしくなってしまう。
この非効率な宿題で生徒が真っ先に身に付けるのは単語や計算式ではなく、思考を停止して唯々諾々と従う日本人的な行動規範だろう。
それでも夏休みの宿題を出さないと放課後に居残りをさせられるため、洞窟に潜りたい次郎としては本当に致し方が無く、嫌々ながらも宿題を適当に完成させた次第であった。公務員教師の斯様な姿勢に対しては、誠に遺憾である。
「気持ちは分かるけど、夏休みの宿題を出さないと居残り……」
「うおおおっ、やめろジローっ」
「それだけは、それだけは言ってはならなかった」
中川は次郎の言葉を遮り、両手で耳を塞ぎながら首を横に振り出した。
それに連動して北村も、両手を自分の頬にあて、自然体でムンクの叫びを体現する。
放課後も居残り組で賑やかになりそうな二学期の教室を想像した次郎は、現代教育の哀れな被害者たちに祈りを捧げることにした。
「ポクポクポク、チーン」
「てめぇ。こうなったら宿題を写させろ!」
「そうだぞ、ジロー。俺たちは仲間じゃないか」
弔いを終える僅かな間に、二人はゾンビに進化して襲い掛かってきた。
そして連携して次郎の宿題を掴むと、おどろおどろしく呻り声を上げる。
「うおっしゃあ、宿題ゲットしたぜ!」
「やめろ馬鹿、一八人しか居ないクラスで中身が同じだったら、教師に怪しまれるだろ。しかも計算は手を抜いたから、かなり違っている。お前らと間違いが完全一致したら、絶対にバレる」
教師にバレれば写させた側も同罪となり、居残りの巻き添えでアンデッド化してしまう。
次郎は居残りの巻き添えを食らう未来を想像して焦った。こんな事で洞窟に潜れなくなる事は断じて許容しがたい。全く以て遺憾であり、場合によっては一五レベルの力を以て宿題を奪還する事も辞さない所存であった。
そんな次郎の本気を察したのか、中川と北村は連携してフォローを始めた。
「俺らは、もっと間違うから大丈夫だって。それにジローの他にも写して貰うから。色々混ぜて間違えれば、もう誰のを写したのか分からないだろ!」
「よし、さっそく他の奴の宿題も確保してくるわ」
妙に活気付き、素晴らしい社交性を発揮する二人のゾンビーズ。
彼らは次々と他のクラスメイトを襲って宿題を確保し、先に奪った次郎の宿題も合せて無作為に複製を始める。
公務員である教師側がページを埋めさせる事をノルマにしている以上、生徒側は英単語を覚えるのでは無く書き殴れば良いし、数学は間違えても問題にならない。白かった亡者達の宿題のページが、恐ろしい速度で埋まり始めた。
「感想文やってないわ。たっちゃん、去年書いた読書感想文の内容だけ手短に教えて」
「マジで?」
「大マジ。たっちゃんは何読んだの」
ついに北村が、無読書感想文という禁忌に手を染めた。
中川の成績は学年で真ん中辺り、北村は中間から三分の二までの間に居るが、要領の良さに限れば、二人は美也すら抜いてツートップになるのでは無いだろうか。
この時、次郎は不意に世の中の仕組みを悟った。
教師が課す夏休みの膨大な宿題量は、真面目に解かせる事が目的では無い。
社会に出た時に理不尽な課題を出す上司に遭遇した時、どう対処すれば良いのかを実体験で学ばせているのだ。
長期不況によってブラック企業が日本中にまかり通り、監督すべき役所が責務を果たさない現代社会。
そんな不条理な世の中で、いかに要領良く生きていくかを学生のうちから学ばせるために存在するのが、夏休みの宿題だったのだ。
そして要領良く生きている中川や北村は、宿題に隠された本当の正解を、無意識に導き出していたのだ。
さらに宿題を奪われた次郎を含めたクラスメイトの何割かは、二人から社会の仕組みと対処の術を学び取ったのではないだろうか。
次郎は驚愕と同時に納得し、感動の眼差しを以て、二体のゾンビたちが繰り広げる見苦しい死に様を脳裏に焼き付けた。
「…………と言う訳で、あの本の作者は、幸せは外に探し求めずとも、内に目を向ける事で見つかると言いたかったらしい。視点を変える心持ち次第で見方が変わるらしい」
「分かった!」
瞬く間に聞き取りを終えた北村は、読書感想文ならぬ聴取感想文を書き始めた。
課題である「読書感想文、四〇〇字詰原稿用紙二枚」に対し、読書という過程を省く大胆な発想の転換を行い、聴き取りした解釈を踏まえた想像と改行の多用で、瞬く間に用紙を埋めていく。
まさに才能の無駄遣いである。
北村が自らの才能をネット小説に費やせば、筆が速く、人気ジャンルを次々と抑えていく作家になれそうだった。
次郎は、ネット小説が好きだ。
家が向かいにある二歳年上の恭也に、お勧め小説のURLやPDFをUSBに放り込んでくれるよう、美也を介して依頼している程である。
もしも北村が小説の一本も書いてくれれば、彼への評価が「残念」から「輝いている」くらいに変わるのだが。
「はぁ、色々と残念だわ」
北村の凄いけれど、全く尊敬できない後ろ姿に、次郎は呆れを乗せた溜息を吐いた。
次郎が知るリアルのネット小説投稿者は、美也の兄である恭也のみだ。そして作者故だろうか、恭也は次郎が見つけられない掘り出し物の小説を探すのも上手い。
データを渡してくれるタイミングは不定期だが、夏休みという期間を置いた今、投稿された小説は相当の量になるはずで、即ちUSBが渡される事は殆ど疑いない。
次郎は一日千秋の思いで、美也の登校を待ち続けた。
「というか、美也遅いな」
遅刻確定まで残り二分、美也は未だに登校していない。
美也は、小学四年生の時にインフルエンザで休んだ以降は、無遅刻無欠席だった。しかし大記録は、今日で打ち止めになりそうな雰囲気だった。
そして次郎が教室の時計と引き戸を交互に眺めているうちに、登校時間はあっさりと過ぎてしまう。
やがて担任が時間通りに教室へ入ってきて、出欠簿を開いて名前を読み始めた。
「よし、出欠を取るぞ。相沢……」
「はい」
アイウエオ順で男子から名前を呼ばれ、中川と北村も内職は見逃され、続いて女子が順番に呼ばれていく。
「地家は休みだ。須藤」
「はい」
説明と共に、点呼が飛ばされた。
随分と珍しい事もあるものだと首を傾げた次郎だったが、授業が始まりそうだったので、風邪でも引いたのだろうと頭を切り換えた。
そして始まった授業を聞き流しながら、洞窟の方に思いを馳せる。
新たに発見した地下三階は、コウモリとタマヤスデの出現地帯を抜けた先にある。
生息する巨大バッタは顎とキック力こそ脅威だが、タマヤスデよりも柔らかくて毒も持たないため、物理で殴る次郎にとっては狩り易い相手だ。
問題は、地下二階よりも地下三階の往復時間が長くなる事だ。
レベル相応の身体能力を得て、移動速度が上がったとは言え、夏休みのようには探索時間が取れない。さらに秋に入れば、大まかな門限である日没時間が早くなるため、洞窟に費やせる時間はより一層短くなる。
そのため現在の探索は、最短ルートを模索するのが至上命題だ。
広大な洞窟内の正確な測量など不可能なため、実際に複数のルートを実際に走りながら、掛かった時間を比べている。
(他の洞窟の攻略方法を知りたいな。誰かネットで動画とか上げてくれないかなぁ)
北は北海道から南は沖縄まで、西日本大震災後に見つかった調査対象の地割れは、メディアに載ったものだけでも広範囲に多数発見されている。
それも人が滅多に踏み入らない僻地ばかりで発見されている事から、次郎のように行政に見つからないまま上手く隠している人もいる可能性はある。
装備品やボーナスポイントの振り方などをネット動画などで公開してくれれば、次郎の探索も随分と捗るのだ。
(まあ動画を公開したら、その日の晩には警察が玄関に現われるだろうけど)
そのように思考をひたすら洞窟に潜らせている間に、次郎たちの夏休み明け初日の授業は呆気なく終わっていった。
そして放課後に入って物理的にも洞窟へ潜ろうと考えた矢先、担任が次郎を引き留めた。
「おい堂下。確かお前、地家とは家が向かい同士だったな?」
「はぁ、一応そうですけど」
「悪いが地家に、連絡のプリントを持って行ってくれ」
「別に構わないですけど」
担任は次郎の承諾を最初から見越していたらしく、連絡のプリントが入った封筒を手渡してきた。
帰り際に美也の家へ寄る事になった次郎は、自転車置き場に向かうまでの間に携帯端末を操作して、事前に連絡を送信しておく事にした。
科学の英知は素晴らしく、即座に相手へ届いた旨のメッセージが現われる。高度に発達した科学は魔法に等しいとの言は、まさに正鵠を得ているだろう。
そんな高度な科学を体現する携帯端末は、技術が公開され、数多の人々に利便性を追求され続けた結果として飛躍的な進歩を遂げた。
(だったら、魔法も公開される事で進歩するかな)
火・風・水・土などの魔法は、確実に進歩するだろうと次郎は予測する。
明かりと石槍にしか用いない次郎と異なり、多くの人は火魔法や水魔法を料理や洗濯に用い、さらに風魔法を混ぜて洗濯物の乾燥に用いたり、冷房代わりにしたりするだろう。
土魔法は希少な鉱石を生み出すために使うだろうし、それらが広く普及すればエネルギー問題や資源問題の解決の糸口に繋がるかも知れない。
そんな風に社会学を考えながら自転車を走らせているうちに、携帯が震えて美也から了解の返信が届く。
そこから次郎は美也が準備するための時間を稼ぐべく、敢えて大回りしながら美也の家に向かった。
最初に次郎の目に止まったのは、美也の父が兼業農家として使っている軽トラだった。
積まれているのは、美也の部屋で見慣れた家具類。
そして傍には、次郎を待つ美也の姿があった。
「…………闇属性も必要だな」
さしあたって次郎は、この役目を負わせた担任にハゲの呪いを掛けておいた。