ベクトリールへ(再)
「もう少しでベクトリールだよ」
「どんな所なんでしょうか、楽しみです!」
ゆっくりとした足取りで岩道を進んでいく二匹の馬の牽く馬車の中でそわそわしている少女。好奇心を隠そうとしていないのは、その忙しなく揺れる尻尾から容易に読み取れるだろう。
「観光に来た訳じゃ無いんだけど」
揺れる馬車の中、爬虫類のそれによく似た尻尾で器用にバランスを取っている銀髪の少年は、そう注意して猫耳の少女、ルーガに視線を送った。
アシュトルスとベクトリールの戦争が終結して約半年、この王国にも変化が現れていた。
大国ベクトリールに一小国が勝利した、という事実はすぐさま他国にも広がり、アシュトルスは圧倒的な注目を集めた。
具体的にはアシュトルスに貿易を希望する国やそれに伴う人や物資の流通が増え、入国希望者が増加したのだ。それによって領地を持つ貴族の方へ入植者が劇的に増え、開拓地の切り開きが急ピッチで行われたりしているらしい。
ちなみにこの入植者、ルーガが自ら開拓地を持つ貴族に振り分けていて、一部の貴族には一人も開拓者が入らないようになっている。
この一部の貴族というのは、戦争時にルーガの協力を拒んだ輩で、戦争に一切関与しなかった貴族なのだ。どさくさに紛れて甘い汁を飲もうと考えていたみたいだが、それを許すようなルーガではなかったという事だ。
当然援助を蹴った貴族達からは非難の声が殺到したみたいだが、「この戦争に関する『一切』を問いませんと言いましたが?」の一言で論破していた。
今では表立って文句を言う輩はいないらしい。
それとベクトリールだが、勝利した俺達は賠償金と互いの貿易の強化、それとアシュトルスとの平和協定を結んで友好な関係を築く運びとなった。
マグナ王は今回の戦争の責任を負う形で息子の王子に王位を譲り、裏手に回って俺達に色々と便宜を図ってくれているのだとか。
「かんこー?」
「色々なものを見て回って楽しむ事」
「へー」
淡い青髪の少女ライムは、ファルの説明に納得の表情で傾いた。
ベクトリールとの戦争の後、ライムは正式に俺の妹という扱いになり、『身寄りの無い人間の子供を子供冒険者が拾った』という事で世間一般では広まっている。
「分かってますよ。転移魔方陣の設置と試運転、アスオフ王との話し合いが……うわぁ見てください! 凄い大きい門ですよ!」
「言ってる側から……」
ベクトリールを象徴する巨大な門を前にテンションが急上昇したルーガは、ファルの呆れた視線をものともせず窓から上体を乗り出した。
こうなってしまってはどちらの方が子供か分からない始末である。
「たまには良いんじゃないか? こういう場所なんてやたら滅多に行くもんじゃあ無いし、女王もたまには息抜きも必要だろうしな」
手綱を握ったままファル達の方へ顔を向けたジャックがルーガにそうフォローを入れた。
近衛隊長という役職故に殆ど休みの無い彼にとっても、命令と言えど他の国へと足を踏み入れるのは楽しみなのだろう。
「むぅ……」
ジャックさんは知らないからそう言えるんだ。たまにルーガが城を抜け出して遺跡で無双したり城下町を正体隠して歩いたりして色々と発散してるのを。……そしてそれらの被害を俺が全般的に被る事も。
「ファルちゃんとライムちゃんはもう既に一回来てるんですよねぇ」
どうでしたか? と暇そうに足をぶらぶらとさせていたライムを膝に乗せてそう聞いたルーガ。
「ん。おんせんいッタ」
ライムもさして嫌がる素振りを見せずに答えている。戦争が終わってからというもの、ライムは俺以外の人物に対しても警戒せずに接するようになったのだ。その事についてライムに聞いたら、「ファルを好きな人はいい人(翻訳済み)」なんだとか。
……まぁ成長が見れたから良いけど。。
「やる事終わったら私達も入りたいですね!」
「一応女王って事を忘れないでよ?」
分かってますって。とは言っているものの、犬のようにパタパタと振れる尻尾のせいで説得力が欠片も存在しないルーガであった。
「アシュトルスから遥々、御労足をおかけしました」
巨大な門の前に置かれている関所で予め渡されていた文書を見せて入国した俺達はベクトリール城へと到着し、初老の男性に出迎えられていた。
彼はベクトリール城の執事長で王の側近らしい。
「こちらこそ、日にちの都合を合わせて頂きましたから」
最初に馬車から降りた俺はそう言って面会の内容が書かれた文書を渡した。
中身に目を通して「確かに」と確認した男性は文書を仕舞い、恭しく一礼してファル達を案内する。
「立ち話も何でしょう。部屋を用意しましたので面会の時間までお寛ぎ下さいませ。ご案内致します」
「あの、一つ宜しいでしょうか?」
たった今馬車から降りたルーガが、歩き始めた男性に声を掛ける。
「如何しましたか?」
「数日ほど馬車の中で過ごしたものですから、ベクトリール王と面会する前に身を清めたいと思いまして……」
単純に温泉に入りたい、という事なのだろうが、理由が尤もだったので俺は何も言わない事にした。
確かに二日も馬車だったから、体を洗いたいっていうのは分かるけどね。
「それでしたら浴場の方を準備致しま……、す……」
ここにきて声の主が俺ではない事が分かったのだろう。振り返ってルーガの顔を見て固まった男性。
「有難うございます」
「申し訳ございません、まさかアシュトルス女王様が直々にお越しになるとは思わず……」
ハンカチで額を拭いながらそう謝罪する男性。ルーガは殆ど気にした風もなく笑みを浮かべてそれを受け入れた。
「いえいえ、私が突然押し掛けてしまったのですから」
そうだぞ、本当は俺とライムと別の兵士で行く筈のやつにルーガが突然「私もいきます! ジャックさんもどうでしょう?」とか言って無理矢理付いてきたからこうなったものであって、貴方は悪くないんだ。
「それでは、浴場の準備が完了しましたら使用人がご案内致しますので、ごゆっくりお過ごしください……」
「ファルちゃん聞きました? お風呂の準備をしてくれるみたいですよ!」
足音が完全に聞こえなくなったところでルーガが嬉しそうにそう言う。
「俺達も今のままじゃ衛生面でも……っていう配慮だろうけど、それにしても使用人さん、凄い驚いてたな」
後半なんか冷や汗ダラダラで喋ってたしな。
「そりゃあアシュトルスの女王が来るなんて知らされて無かったんだろうからな。ましてやそんな女王を客と同じような扱いをしたんだ、無理はないだろうよ」
こんな子供っぽいルーガでもれっきとした女王だ。そんな人物を俺達と同じ待合室に案内するなんて、形だけ見れば無礼刑ものだろう。ルーガはそんな事絶対にしないだろうが。
「それにしてもベクトリール、楽しそうな所ですよね。戦争なんてしないで初めから友好的な関係を築いていきたかったです」
腰掛けたソファーの肘掛けの部分に彫られている溝をツツ、となぞりながらルーガが呟く。
「それは難しかったんじゃない? マグナお……さんから聞いた話だと自分含めて殆どの家臣が「国としてまだ不安定な内にアシュトルスを!」みたいな状態だったって言ってたし」
戦後、マグナさんは暫くの間アシュトルスに拘束されていたのだが、その時にベクトリールの事などの話を色々と聞いていたのだ。
「それはそうですけど……うぅ、やっぱ国って難しいです」
「結果としてはこれで良かったんじゃないの? まぁ俺達アシュトルスに限っての話ではあるけど」
死者の数がアシュトルスは千人と少しに対して、ベクトリールはその十倍近くの兵士が命を落としたのだという。
俺達も敗北する気は更々無かったが、俺達が得たものとベクトリールが失ったものはどちらもかなり大きいだろう。
「ここでするような話じゃないが、仕掛けた戦争に負けて、それで賠償払って協定結んで終わりなんて、普通はあり得ないんだからな?」
「私も家臣の人から同じような事を言われましたね。「国家間での戦争で勝利したのに敵国を属国にしないとは~!」って」
「そういう事だ」
つまりはルーガの行った処置が生ぬるい、という事なのだろう。
「俺はルーガの判断に賛成だったけど、ルーガ自身は何か考えとかあったの?」
「搾取するというのはあまり好きじゃないんです」
それだけですよ。と言うルーガ。
……うん、それだけなんだろうな。
「国を担う人物としては問題ありの発言だな」
「うっ」
「だが、多分セイル様も同じような事を言っただろう」
ジャックさんが過去を懐かしむようにそう言った。
「私のお父さん、ですか?」
セイル=アシュトルス、ルーガの二代前の王でルーガの父親である人物の名前が出て来て、ルーガの表情が少し変化した。
そういえばジャックさんはその人物と幼馴染兼側近なんだっけ。
「平等を第一に考えてた方だから、子も似たんだろうな」
「なんかむず痒いですね……」
肖像画でしか親の顔を知らないルーガは、その人なりを知らない自身の父親と似ている、と言われて複雑そうな表情で頬を掻きながら視線を泳がせた。
「浴場の準備が整いました」
「あ、お風呂できたみたいですよ!」
と、ちょうど良いタイミングで扉の向こうから聞こえてきた声にルーガが嬉しそうに反応した。
……その切り替えの早さには感服せざるを得ないだろう。
「よし、じゃあ先に入ってきて。俺達は後で「なぁに言ってるんですか、ファルちゃんとライムちゃんは一緒ですよ」速っ!? って離せ!」
「温かいお湯なんて久し振りに入りますね~」
いつの間にか背後に回り込んでいたルーガが俺を担ぎ上げ、そのまま部屋を出ようとした。体勢や体格の関係で逃げられない俺は、悲しいかな拘束を解く事ができず空しく手足をバタつかせ、近くのジャックに助けを求める事しかできなかった。
「じ、ジャックさん!」
「……まぁなんだ、女王と入れるまたとない機会だと思えば多少は気が楽だろう」
「それ全然フォローになってないからっ……!」
その後、ほぼ強制的に浴場へ同行する羽目になったファルは、とてつもなく広い浴場に驚いたり背中を流す使用人がいたりと全くリラックスができず、夜中に一人で公共の温泉に入ってやる、と固く心に誓ったのだとか。
「ふぅう、結構長かったですね」
王との面会が終わった俺達は、急ピッチで準備されたのであろうルーガの個室に集まって体を休めていた。
風呂から出た俺達はその数分後に王との面会の時間となり、少し湯気の出ているような状態で面会に応じたのだ。
マグナさんの息子という話だったので、体格が良くて重々しそうな人かな? と思ったがそうでもなく、少し痩せがたの物腰が柔らかい青年だった。
王という役職にまだ慣れていないのか、緊張した面持ちでルーガの対話してる様子だったアスオフ王との面談は、かれこれ三十分近くも掛かってしまった。
「簡単な貿易関連の話をするだけの筈が、ルーガが来たって事で急遽両国の今後とかの話にまで発展しちゃったのが原因なんだけどね」
普通、一国の女王が護衛二人で他の国に行く等あり得ないのだ。
「ファルちゃん達だけが観光に行くなんて言語道断です!」
「だから観光じゃ無いって!」
「まぁやる事はほぼほぼ済んだし、アスオフ王もゆっくりしていけと言ってた事だから残りの数日をベクトリールの文化を知るって名目で城下町に降りてみるのもどうだ?」
文化を知るって……言い方違うけどそれを観光って言うんだからね? ジャックさん。
「それもそうですね! では早速出発しま「今日は駄目だからね?」えぇっ、何でですか!」
「当たり前だろ!」
そんなぁ、というルーガの声が部屋に響いて空しく消え去った。




