4、人脈作り
夜の静かな廊下を、目を凝らして慎重に進む。
どこ部屋ももう灯りがともっておらず、館全体が眠りについているようだった。
時刻は午前2時。
フィリアとの談笑を終え、彼女が眠りについたのを確認してからこっそりと部屋を抜け出した。
本来ならばそのまま使用人室で睡眠をとるのだが、今日はどうしてもしたいことがあった。
昼間に見た、奴隷の少年のことである。
俺はあの時、何もできずにただ暴力を見つめていることしかできなかった。やはり日本で暮らしていた弊害か、強い衝撃を受けてしまったのだ。
だが、あの時からずっと頭を冷やして考えていた。
今でさえ破格の対応を受けているものの、俺だって彼と同じ。奴隷なのだ。それは左手の甲に刻まれた刻印が否応なしに証明している。
ならば、俺もいつ暴力を振るわれてもおかしくない。ただの執事服を着た奴隷なのだから。
しかし今ならば、少しだができることはある。他の奴隷とは違って自由に動けるうちに、少しでも負担を軽減させてやりたかった。
思いがけない対応による罪悪感が生んだものだとしても、俺の自己満足だとしても、同じ奴隷として何かしてやりたかった。
だが表だって奴隷を擁護すれば、俺も奴隷たちも酷い目にあうのは目に見えている。フィリアの我儘のみで今の立場なのだから、一つでも文句の付けどころがあれば普通の奴隷に落とすのは簡単だろう。
己の情けなさに乾いた笑みが漏れた。
結局俺は、助けたいといいながらも、奴隷同士だといいながらも、今の立場から落とされることを恐怖しているのだ。中途半端にも程がある。
暗闇の中を少しずつ進み、地下室の入口へと辿り着いた。
奴隷たちは皆この地下室にいて、許可なしでは出られないようになっているのだ。
豪華な階段を下っていく。5段程度下ったところで、階段が進むたびに汚くなっているのが分かった。身分の差というのはこんなに細かい部分でも滲み出ているのか。
やがて最後の段を下りきり、持ってきていた小さな蝋燭に魔法で火をつける。足元の近くのみを照らす頼りない火だが、これで我慢するほかない。
魔法で広範囲を照らし続けるという手もないことはないが、魔法を使いづつけるとレイリス家お控えの魔術師に感づかれてしまう可能性がある。警戒を生むようなことはなるだけ避けたかった。
足音を忍ばせながら地下室を進んでいく。カビ臭い空気が蔓延しており、不衛生さが窺い知れる。この時点で使用人たちは鼻をひん曲げて顔を顰めているのだろうが、俺は2年間似たような場所にいた。今更どうとも思わない。
蝋燭の光が暗闇の中に大きな扉を照らし出す。だが俺はその扉の前を素通りして、先へと更に汚染された空気を感じながら進む。
地下室には大きな倉庫が中心に構えており、その周りに申し訳程度に奴隷たちの部屋がある。これが、お喋り好きのローレンツから得た情報である。
ローレンツもよもやその情報が早速使われているとは思うまい。
所々に倉庫からあふれ出した荷物が置かれており、体を横にしてでないと通れないほどの細道。
躓きそうになりながらそこを通り抜けると、扉すらついていない小さな小さな部屋が見えた。
……こんなに小さいのかよ。
俺はここに入ってもいいのだろうか。
今更ながら気後れしそうになる気持ちを、軽く頬を叩いて吹き飛ばした。
中で寝ているだろう奴隷たちを起こさないように、慎重に足音を消して中へと入る。
古ぼけた柵だらけの部屋だった。狭い室内に所狭いしと生えている柵の中には、ボロボロの人々が膝を折って眠っている。そのほとんどがまだ小さな子供ばかりだ。
悲惨ともいえる状況に、無意識に顔を顰めた。
鍵すらかかっていない柵を越えて、中にいる人々に次々と浄化の魔法をかけていく。
魔法は普通、小学一年生あたりの歳から習い始める。だが、ここにいる人々はそれを習う前に奴隷にされたのだろう。でなければこんなにボロボロになることはないはずだ。
浄化とはいえ、急に全員が清潔になるのは不自然だ。ある程度効果を押さえて、段階ごとに綺麗にしていくことにした。
魔法をかけていく途中で昼間の少年を見つけた。やはりその体には痣が痛々しいほどに残っている。胸にチクリと刺さるものを感じて、浄化に加えて抑えた光魔法で少しだけ痣をなくす。
全員を少しずつきれいにした後、最後の仕上げとしてこの部屋に少しの浄化魔法をかける。汚染された空気がほんの少しましになった気がした。
罪悪感と達成感が入り混じったよくわからない気分のまま、俺はその場を後にした。
就寝時間が遅かったために、落ちてくる瞼をどうにか押し開ける。
修業は午前9時からだが、俺がすべきことは修業だけではない。
フィリアの私室横の使用人室から出て、厨房へ。
朝の活気に沸く廊下の隅を歩く。すれ違う使用人たちにも会釈で挨拶。
使用人たちは少し戸惑いながらも小さく会釈を返してくれた。
1階の廊下を渡りきった奥に、大規模な厨房がある。
扉の前に立つと向かい側から美味しそうなにおいが漂っているのが分かる。思わず腹が鳴る。
今は午前6時で、もちろん食事もまだとっていない。
湧いて出た食欲を抑え込んで、厨房の扉を開く。
一層強くなる匂いにもう一度腹が鳴った。
厨房の中は食器や調理道具が大きな机の上に並べられていて、朝食の準備が整えられ始めている。数人の料理人たちは忙しそうに手を動かしている。
俺がすべきこと。それは人脈を作ることだ。
清潔な白のエプロンに一人だけ白いコック帽を被った、料理長と目が合った。
突然の来客――客といっていいのかわからないが――に戸惑っているようで、一瞬手を止める。
その隙に俺は料理長の元へと歩み寄り、精一杯笑顔を作って礼をした。
「何か手伝わせてください」
近寄ってわかったが、料理長は大柄な体躯をしておりエプロンがやけに似合っていた。
この料理長に断られると、料理人の人脈を作るのは絶望的になってしまう。
おそるおそる頭を上げて料理長の顔色を伺う。面食らったような顔をしていたが、やがて豪快に笑いだした。
予想外の反応に度肝を抜かれた。
「あ、あの……」
「お前、どんな奴かと思ってたが結構面白いな! 何で手伝うのかはわかんねえけどいいだろう、こき使ってやるぜ」
「あ、ありがとうござ――」
「料理長!」
気前のよさそうな料理長に安堵し礼を言おうとしたところで、料理人の声に遮られる。
料理長の近くで俺を睨み付けていた奴だ。
「こんなやつ、ここにいるだけで料理をまずくしますよ! 今すぐにでも追い出すべきです!」
鋭い目で俺を睨みながら料理長に申し出る姿に、唖然としていた他の料理人たちが「そうだそうだ」と賛成の声を上げる。
まずい、これはまずいぞ……。
俺が無言で焦り始めたころに、力強い声が厨房に響き渡った。
「料理をまずくするのは料理人の腕だ。こいつがいるかどうかなんて関係ねえな。それともなんだ? お前ら、客に文句つけられたら言うのか? こいつがいるせいですってな」
「い、いえ……」
「ならいいじゃねえか、雑用係が増えて大助かりだ!」
言い切ると、料理長は真剣な顔をやめて豪快に笑いながら、俺の背中をばしばしと力強くたたいた。
見た目からも筋肉あるだろうと思ってたが予想以上だ。超痛い。
「じゃあまずは皿洗いから、頼んだぞ」
「いっ!」
俺の背中が悲鳴を上げ始めていた矢先に、料理長は一際強くたたき、ようやく叩く手を止めた。
騒然としていた厨房を一喝で黙らせると、料理人たちは渋々料理に取り掛かる。
こりゃあ頼りになるが、癖の強そうなやつだ。
小さく笑い声を漏らすと、俺もすぐに山になった皿を崩しにかかった。
皿洗いを終え、厨房を出ると食事に向かっているフィリアの姿があった。
食事中は執事が主人の後ろに立ち、食べやすいように気遣うのが仕事なのだが、まだ見習いな俺はその役目がない。
誰がフィリアの後ろに立つのだろうか、と気になり歩くフィリアを見つめる。
ふと視線を上げたフィリアと目があい、嬉しそうに手を振るフィリアに小さく会釈をする。
頭を上げると、いつの間にか刺さっていた視線に気が付いた。
フィリアの後ろ、そこにある男が立っていた。
どこか見覚えのあるその顔と視線に頭を捻る。ついこの間も、殺気が入り混じったような視線を浴びせられたような気がするのだが。
俺を睨んだまま通り過ぎた男の姿を凝視する。
「……あ」
思い出した。
食事へ行くからか剣こそ身につけていないが、あの男はフィリアの私室まで乗り込んできた護衛ではないだろうか。背筋が凍るような殺気で思い出したのが何とも無様だが、恐らくそうに違いなかった。
そういえば、妙に俺に突っかかってきたんだよな。
もしかすると、あの男は俺が来るまでフィリアの執事だったのかもしれない。急に降って湧いて出た執事、それも奴隷などがいたら、その胸中は穏やかではないだろう。
恨まれるのは勘弁したいものだが、その気持ちは理解できる。
何とも複雑な気分である。
一つため息をこぼしてから、ローレンツとの修業に向かうため廊下の隅を歩く。
奇異の視線を集められるせいで真ん中を歩くと、穴だらけになりそうだ。気分的に。
隅を歩いていても集まる視線に辟易しながらも、視線を落として歩く。
ふいに、廊下が騒めきだした。見上げるように近くの使用人たちを見ると、俺以外のある一点に視線が集められていた。使用人たちがこそこそと囁きあっている様子が見える。
なんだ……?
視線がなくなったせいか急激に軽くなったような体を感じながらも、視線の集中する方を見やる。
傍目からもわかる高級品を身につけた男と、その後ろを控えめに歩く可愛らしい少女。
昨日の暴力男がふんぞり返って歩いている姿に怒りがわいたが、それを吹き飛ばす衝撃があった。
後ろを歩く少女の、左手の甲。
俺と同じ烙印が刻まれていたのだ。
艶のある黒髪にどこかおぼろげな大きな黒目。暴力男の趣味なのか、ひらひらとした白いワンピースを身にまとっている。どこかの令嬢か何かかと思わせるような出で立ちだ。
まるで俺と同じような存在である。
俺自身が異端だと自覚していたがゆえに、大きな衝撃だった。
何故少女はあんな姿なのだろうか。使用人とも思えないし、一体何をさせられているのだろうか。
視線を浴びながら遠ざかる小さな背中にをじっと見つめて、俺は困惑していた。




