第29話 自由を右手に ≪side 美緒≫
「美緒、本当に任務へ行くのか?」
「行くよ。これは私がやりたいことだからね。――お母さん」
母は眉を顰めながら低い声で私へ問う。
目つきが鋭いことから一見怒っているように見える。
だけど、その心は常に誰かのことを案じていることを私は知っている。
「まさか、その廃墟に特殊な結界がかかっているなんて、誰が思うか」
「私も聞いたときはびっくりしたよ」
「はぁ。そうでなければ、私たちがすぐに対処しに行っているというのに」
目が据わっている。
冗談でも、建前でもない。本気でやるつもりだったみたいだ。
私は一昨日知ったばっかだけど、あの廃墟には私たち以外入れない結界が張られているらしい。
ある部隊が改めて調査に向かったが、結界に触れることすらできなかった。
それで、ようやく判明したのだ。
「ハハハ。本当はその方がいいけどね。でも、私やるよ」
「……頑固なところは一体誰に似たのかしら?」
「お母さんに似たんじゃない?」
やれやれと言いたげに彼女はため息をつくけど、悩ましげではない。
口角がわずかに上がっているから、実はまんざらでもなさそうだ。
「その様子なら大丈夫だな。入院していた時みたいだったら流石に止めたんだが」
「あの時、そんなに酷かった?会う人みんなに言われるんだけど」
自覚がないわけじゃないけどね。
あの時の私は何をやるにも、気力が入らなかった。
*
『右手の霊力管が切れていますね。神にでも祝福を与えられない限り、復活することはないでしょう』
病院で目が覚めて、医者から温度のない声でそう告げられた時は、頭が真っ白になった。
あの任務のときにパランディンが破壊されてしまった。
だから、もう一度描く必要があった。
それがもう二度とできない。
つまりは、私がもう二度と陰陽師として戦えないことを、いきなり突き付けられたのだ。
『普通に生活する分には大丈夫なんですよね?それなら、それでいいです』
何とか笑みを繕ってそう返すのが精一杯だった。
『生きているだけ大勝利』なんて言葉があるけど、あの時の私にとっては、完全な敗北だった。
だから、生きる気力なんてなく、ただ怠惰に病院で過ごしていた。
*
「立ち直れたのは、あのお友達のおかげか」
「うん。私が忘れていたものを取り戻してくれたから」
私を見舞うほとんどの人は、励ましの言葉をかけていた。
十分嬉しかった。
あの時の私はいろいろと荒んでいたから、癒しになったのは確かだ。
でも、心のどこかで否定してほしい自分がいた。
『みんながみんな、全部を正しくできるわけないじゃない!』
結芽のまっすぐな怒りが、私が無意識に自分へ嵌めていた枷を、痛いほどはっきりと自覚させた。
そのおかげで、すっかり狭まっていた視界が開けて、己と向き合えるようになったの。
「私がずっと前から【自由】だったってことを、思い出させてくれたの」
どうして、青の『レガリアス』が私を選んだのかは今でも分からない。
もしかしたら、ただの気まぐれかもしれない。結芽に最も近い人間だったからかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
最後にその力を手にしたのは私だったのだから。
「よし、お母さん。行ってきます!!」
「行ってらっしゃい、美緒」
*
『汝は答えを見つけられたようだな』
「うわっ、びっくりした。どこから出てきたの?」
集合場所である支部へ向かう途中、やたらと視線を感じると思ったら……。
見知った青い霧が人の形を成して、私の目の前に現れた。
思わず壁際に後ずさるのも仕方がないだろう。
「あなたの本体のカードは結芽に返したはずよね?どうして、ここにいるの?」
『なんでって、我の所有権はすでに汝へ移っているからだが』
――すっかり忘れておるな。
悟り顔でそう言われても、まるで覚えて……あ。
初めてカードを手にしたとき、『もっと段階を踏んでから』と言っていた。
ただそれだけで、仮とは一切言っていなかったような気がする。
『思い出したか。それなら、あのことも覚えているな?』
もちろん、覚えているに決まっている。
私がここまで荒んだ原因の一端を担っているもの。
――汝は汝で【自由】に関する答えを1つ、見つけて来い。
あまりにも抽象的な問い。答えを見つけるなんて不可能だと思っていた。
でも、案外難しいことではなかった。
そもそも、すでに答えをちゃんと、見つけられていたのだ。
「時として、【自由】であることは苦悩を抱える。でも、それがあるから私たちは【自己】を持ち得るの」
これが私の答え。私だけの答え。
違う、だなんて誰にも言わせるつもりはない。
『我とは真逆な答えだな』
「まぁ、それでもいいでしょう?だって【自由】なんだから」
――それもそうか。
フッと、柔らかく笑みを浮かべた彼は今にも消えそうに輝く。
『全てをやり切った』と満足げに微笑む彼は、私の右手にそっと手をかざす。
指先から彼の形が崩れ、右手から私の中へ入ってくる。
「これは……」
『汝はとうに果たすべき試練を乗り越えた。【自由】の答えを見つけると言うな』
懐かしそうに晴れやかな青空を見つめながら、さらに続ける。
『徒労を歩むことになる若者よ。これは汝へ与えられる最初で最後の祝福だ』
彼の流す霊力の勢いがさらに強くなってくる。
このままじゃ完全に、彼が消えてしまう。
私が彼の手を私から引きはがそうとすると、彼はその手を払いのけた。
『よせ、継承者よ。どのみち我はこうなっておった』
その言葉を最後に彼は光になり、空気へ溶けていった。
最後に残ったのはあの武装を展開したときに使った筆と右手に刻まれた刻印。
途切れていたはずの霊力管は、何事もなかったかのように元の機能を取り戻していた。
「最後に残す言葉があれだなんて。随分と重荷になりそう」
重ねられた羽のような印を見つめながらそう吐くが、返す人は誰もいない。
「よし、行くか」
心の中に不安はないわけじゃない。
でも、間違いなく私は前へ進めている。
*
「お待たせ、美緒」
「結芽、待っててくれてありがとう」
全てを1人で抱え込む必要はない。
それを気づかせてくれた友だちが、今、隣に立って歩いている。
「それじゃ、一緒に行こうか。準備は良い?」
「うん、もちろん」
――だって、今の私なら空も飛べそうだもの。
「よし、行こうか。すべてを終わらせよう」




