ガラン=アドゥナ 七
何か聞きたさそうにしてるドレア。
俺の目を覗き込むように顔を近付けてきた。
きっと、何故、あのタイミングでこっちを見たんだという疑問だろう。
「むぅ……」
何度も角度を変えて俺の目を覗いても何も変わらないはず。
仕方ない。ここは俺一人で行こう。きっと何とかなる。
家に連れてきたらレイナがいるし。
そんなわけで、ドレアには、
「お客様がいらっしゃったようなのでお迎えに行って参ります」
と、声をかけた。
「あたしも行くよ。喋らないけどね」
ドレアは俺に笑顔を向けたまま気配を薄めていく。
不思議なものでドレアがいた場所の先の景色は見えるし、ドレアがいた場所には魔力の残滓のようなものがぼんやりと淀んでる。
俺の目の前でスキルを使ったということは、気配を消したドレアを見て目が合ったのかもしれない。
バレたと感じたんだろう。
(やっぱ、見えてるよね?)
声なのか?
声じゃないのか?
どこからするのかわからない。そんなような音が俺の耳に届いた。
「見えてないですよ」
そう答えたけどどうやら信じてもらえてないようで
(え? マジ? 思いっきり目が合ってるんだけど?)
目が合ってる?
俺の目には家の玄関しか見えない。
おもむろに手を、指先を伸ばして──。
すると、ぷにっとした感触が……。
しっとりとした柔らかい感触に、一瞬、心臓が揺さぶられた。
触れたところの空間が歪んだように見えると俺の指先にはドレアの桜色の唇が。
俺の指はぷっくりと膨らむドレアの唇を突き抜けて口の中に押し込むかたちになってしまった。
指先はしっとりとした感触からねっとりとした粘液質に包みこまれる。
この感触は……。
頭の中に過ぎる泡沫の夢。まるで昨日の出来事のように思い出せるその光景。
瞼の裏に過日の情景が蘇りそうになったその瞬間、俺の指に激痛が走った。
「痛ッ!!」
慌てて手を引いたらドレアがスキルを解いて──
「変態ッ!! 行くんでしょ!?」
と、俺の手首を掴んで、俺を睨んだ。
「すみません。そんなつもりはなくて……」
「わかってるよ。完全に見えてるわけじゃないんだね」
「姿は見えないですし、気配もわかりませんが、魔力だけは感じられるみたいです」
若い女性の口に指を入れるなんてとんでもないことをしてしまった。
それも、お貴族様の。不敬と言われて殺されてもおかしくないけど、ドレアは睨みはしても怒っていないようだった。
ドレアが手を離してくれたので、そのまま南の船着き場に向かう。その道すがら、ドレアは俺に恩恵のことを教えてくれた。
途中、いろいろと見せてくれてドレアが何をしているのか何となく理解。
さきほどの声のようで声でないような声も恩恵によるものらしく、確かに微かに魔力が働くよう。
魔素を糸のように細くこより、口元の空気の振動を相手の耳元で空気の振動を復元するらしい。
気配を消すのもどうやら似たような原理らしく、空気の流れや揺れを恩恵が補正して、存在感を弱めていた。
それと目の前にいるのに消えているように見えたのものは、光を屈折させて視認を阻害。これも、恩恵が補正してよしなにしているのだろう。
理屈はわかったし出来ないことはなさそうだけど、真似るのは難しそうだ。
「じゃ、あたしは隠れるから。あとはよろしくね」
船着き場に着く直前。ドレアは気配を消して視界から消えた。
船着き場には一組の男女が待っていた。
貴族の男性は軽装でコートを羽織っているが、女性は軽鎧を装着していて帯剣してる。
きっと、ここに身分の高い者が来ると思っていたのかもしれない。
俺は身なりの良いふたりに近寄り、彼らが俺に気が付いたタイミングを見計らって両膝を地面につけて頭を下げた。
「申し訳ございません。今こちらに案内できる者がおりません。私──ロインとラナの息子、クウガと申します。家に戻ればレイナ・イル・セア様がおりますので、そちらまでご案内させていただきます」
貴族の顔は見てはいけない。だから、頭を下げたままの発言である。
「うむ。では、案内せよ」
男性の声からして、若干若いように思う。
俺は「かしこまりました」と声を出してから、家までの道を先導した。
(そんなに遜らなくても良かったんじゃなーい?)
どうやらドレアは俺の隣を歩いているようだ。
(いや、さすがに初対面の貴族は怖いんでムリですよ。)
ドレアを真似て見た。
魔力を感知できるから彼女の耳に俺の声を届けることができるはず。
そしたら、ドレアは驚いたようで。
(ええ!? すっご。クウガさん。あたしの真似してんの?)
俺はうまく出来て満足。
この応用で聞こえない言葉も聞き取ることが出来そうだ。
なるほど。これが〝間者〟という恩恵か。
(はい。やってみたらできました)
会話はできるけど、ドレアの姿は見えない。こっちを見てるような気がするけど視線がこっちを向いているのかはわからない。
そして、こうして喋っていても後ろのふたりには声が聞こえていないようだ。
(普通、恩恵で授かったスキルって真似てできるものなの? クウガさんってすごいわ)
それは、俺もそう思ってる。どうして、こんなに簡単に模倣できるのか。
だいたいのことは脳裏に描けば何となく出来てしまう。
この世界にないような知識や前世の記憶にないものでも、手を動かせばそれとなくうまくできる。
ドレアのスキルも何となくできるようになったし、父さんから学んだ索敵と組み合わせると遠距離でも耳元で囁くように会話ができそう。
とまあ、そんな感じでドレアと言葉をやり取りしながらお貴族様を家に招いた。
「レイナさん、お客様を連れてきたんだけど……」
居間に入る前に一声かける。
「ん。通して良いよ」
レイナの美声が返ってきた。
「狭いですが、こちらへどうぞ」
目を伏せてふたりの貴族を居間に招く。
レイナは大きくなったおなかを重そうに抱えながら彼らを迎えた。
「あら、貴族の方ね。こんな見苦しい姿で申し訳ないわ」
「いえいえ。お構いなく。お体に触りますからお座りください」
「お気遣い。痛み入るわ。でも、名前を名乗りませんとね」
レイナはワンピースをつまんで流麗にカーテシーを見せる。
「セア辺境伯、先代ゴンド・イル・セアが妹、レイナと申します。どうぞ、よろしくお願い致しますわ」
レイナは名を名乗って「それでは、申し訳ないけれどお言葉に甘えさせていただくわね」とソファーに腰を下ろした。
レイナが座ったのを見計らって男が胸に手をあてて頭を下げる。
「カヌエル子爵家、フィクス・イル・カヌエルが次男、テリオンと申します」
「私はソニア・イル・カゼミールです」
カヌエルと名乗った男に続いて、武器を携帯する女性がカーテシーをして名を名乗った。
「それではテリオン様、ソニア様、どうぞお座りなさって」
レイナは三人掛けのソファーに座るよう促して「クウガくん。お茶をお願いできるかしら?」と俺の顔を見て声をかける。
「承知いたしました」
台所に移動してお茶を淹れる準備にとりかかる。
ドレアは一言も発さず、スキルを使って気配を殺しながら、俺の隣にくっついていた。
レイナたちはここまで声が届かないよう小さな声で言葉をやり取り。
なのだが、悪いと思いつつも覚えたてのスキルを使って彼女たちの会話を盗み聞きしてしまった。
それは隣のドレアも同じようだったが……。
最初にテリオンという男が喋った。
(本日はこちらにメル皇女殿下とニム皇女殿下が保護されていると伺ってお迎えに参りました)
(メル殿下とニム殿下は今、外に出ていて二時間ほどは戻らないわ。それで、お迎えということは、もしや……)
(ええ。帝都を奪還いたしました。帝城の安全も確認でき、エリニス王国、フェトラ王国とも講和を結び、お迎えできる状態となったため〝女皇陛下〟のお願いでこちらを伺わせていただきました)
(お願い?)
(はい。まだ、戻らないということであれば、このままこちらに滞在しても良いとも仰せつかっております)
(そういうことならメル殿下、ニム殿下とも、戻ると言うかしら……?)
(強制ではないですから、もし、事が良い方に運ぶようなら、そちらを優先するべきだとも仰られておりましたので……)
(ああ、そういう……)
テリオンの言葉で何かに勘付いたようなレイナの声音。
レイナは続けて異世界人のことが気になったようで、
(それでは、勇者たちは、どうなったのかしら?)
と、テリオンに訊いた。
(勇者たちは逃亡。行方はわかっておりません)
(それでは帝城にはいないということなのね?)
(はい。そうです。カゼミール領軍が帝都、および、その周辺で捜索にあたっております)
それからも、ヒソヒソと会話を続けていたけど、ソニアという女性は口を開かず、テリオンとレイナの会話を見守っているようだった。
ドレアは俺の隣で気配を殺して耳を傾けているよう。
お茶の準備が整って三人に届けようとしたところ、ドレアが俺の服の裾を掴んで引き止めた。
(あたし、ここにいるから)
なるほど。あまり近付きたくなさそうなので、俺は
(わかった。ではお茶を置いておきますね)
と、そう伝えてキッチンにお茶を注いだカップをひとつ、置いていく。
トレーを持った俺に気が付いたレイナとテリオンは口を噤んで俺の顔を見る。
「お茶をお持ちいたしました」
いつもと違って丁寧に、お茶を配り、頭を下げて台所に戻ると、ドレアが姿を見せた状態でお茶を飲んで俺を待っていた。居間からは死角の位置で。
そして、彼女は俺に話しかけてきた。
目の前で口は動いているのに、声は頭に直接響くような──魔素を使って。
(そういえば、もう週に一回の定期連絡が来てもおかしくないんだけど、来てないんだよね……)
ドレアはため息混じりだった。
まあ、彼女は密偵としてここ──ガラン=アドゥナに潜り込んでてロマリー公爵家の間者と定期的に連絡を取っていた。
話だけを聞けば北ファルタのほうが良いんじゃないかと思うけど、ここにはふたりの皇女がいるし、セア家のレイナや異世界人もいる。
情報としての価値はガラン=アドゥナのほうが重要になるよね。そんなわけでドレアはここにいて何故か俺と益体のない会話をする間柄にまでなってしまった。
で、話を戻すと、ドレアの定期連絡がなく、ミル皇女が帝城を取り戻した。女皇陛下と呼ばれていたことを考えると皇帝の座を皇家に取り戻せたよう。
ならば、メル皇女とニム皇女を帝城に戻したいというのは当然の話だろう。それで、ふたりとも帝都に帰れば、ドレアがここにいる理由はなくなる。
難しい表情の彼女。どんな言葉をかけてあげたら良いのかと考えあぐねたけど、所詮、俺は平民で、王侯貴族の間のことに口を挟むのはムリ過ぎる。
それから言葉を交わすことなく、しばらく時間が経ち、メル皇女とニム皇女が母さんやエルフのラエル、異世界人の結凪と柊と一緒にぞろぞろと帰ってきた。
「母さんたちが帰ってきたみたいです。俺は食事の準備をするけど、ドレアさんはどうします?」
そろそろ昼ご飯の時間だから、俺は人数分の料理を始めることに。ドレアがキッチンにいるからこれからどうするのか訊いてみたら、
「手伝うよ」
と、口端を上げて答えてくれた。目は笑ってないから、難しいことを考えてそう。
それから帰ってきた母さんたちにお茶を出すと、メル皇女とニム皇女がテリオンとソニアを連れて居間を出た。
客間に連れ出したんだろう。これからここはお昼ご飯の準備に入るからね。すると、ドレアが
(やっぱ、気になるから話を聞いてくる)
と言って、スキルを使って姿を消した。
もちろん俺はドレアの気配を魔力で追えるからどこに居て何をしてるのかだいたいわかる。
ちなみにドレアがこうして密偵として潜り込んでいることは皆に知らせてあるけど、彼女は暗殺などの危害を加えるような命令は受けていないからやらないということなので、自由にしてもらっている。とはいえ、彼女がスキルを使って身を隠しても、父さんと俺はドレアのスキルを見破ることができるので、もし、誰かを害するということなら彼女の行動を止めることはできる。
身を潜めて誰にも気付かれないように行動することはできても、戦う膂力に欠けてるドレアだから能力的に暗殺などの暴力に不向き。つまり、ここでのことを伝えられたとしてもそれほど問題にはならないとわかっているから、好きにさせるようにしていた。




