第21話 沈黙の真実
南米本部の作戦室は、夜になっても明るかった。
大型モニターには、第七施設の記録保管室から発信された通信ログが映し出されている。
発信元。
南米第七施設、記録保管室。
対象識別。
RC-01。
SHADE。
送信内容。
施設記録の一部。
送信経路。
複数中継。
到達先。
不明。
外部拡散の可能性。
あり。
通信担当の職員たちは、誰も大きな声を出さなかった。
だが、空気は明らかに荒れていた。
黒瀬蓮が記録保管室から送ったデータ。
それは完全には消えていなかった。
送られた量は多くない。
だが、一部が外に出た。
「中継点を再確認しろ」
南條光太の声が落ちる。
「南米側、国内側、外部回線。すべてだ」
「了解」
通信担当が端末を操作する。
画面には、いくつもの線が走っていた。
第七施設から伸びた細い線。
途切れ、分かれ、別の回線へ移り、また途切れる。
まるで、追われることを前提に作られた逃げ道だった。
南條は黙ってそれを見ていた。
その横で、一真が腕を組んで立っている。
肩にはまだ固定具。
腕には包帯。
処置室に戻れと言われても、戻る気はなかった。
「黒瀬のデータか」
低い声だった。
職員の何人かが、一真を見る。
誰も答えない。
一真は南條を見た。
「外に出たんですか」
南條は画面から目を離さない。
「確認中だ」
「便利な言葉ですね」
南條は答えなかった。
一真は奥歯を噛む。
「黒瀬は、残したんだ…」
その言葉に、作戦室の空気が少しだけ止まった。
南條は静かに言う。
「まだ、そう決めるには早い」
「でも、消えてねえ」
一真の声に熱が混じる。
「あいつが命懸けで送ったものは、まだ残ってる」
南條は、一真を見た。
「……騒ぐな」
「またそれかよ」
「お前も監視されたいのか」
一真は低く笑った。
「もうされてんだろ?監視……」
南條は答えない。
その沈黙を、一真は見ていた。
◇
通信担当が復元できた断片を表示した。
画面に、黒い背景と白い文字が並ぶ。
児童適合群。
TAIDA-V改変試験。
S-07系統。
適合率異常。
死亡扱い処理。
国内中枢施設への移送記録。
SP候補群。
A-Prime関連データ。
作戦室の片隅で、ユリの指が止まった。
「SP候補群……」
小さな声だった。
啓介がその横で気づく。
「お前の記録にあった言葉か」
ユリは頷いた。
目は画面から離れない。
A-Prime。
SP候補群。
S-07系統。
昨日、自分の記録の奥で見た文字と重なる。
黒瀬が送ったものは、南米第七施設の記録だけではない。
自分の過去に繋がる何かも、その中に含まれている。
ユリは胸の奥が冷えていくのを感じた。
「黒瀬は……どこまで知っていたの」
誰も答えない。
啓介は画面を見ていた。
南米第七施設の記録。
子どもたちの番号。
施設の奥に隠されていたもの。
そして、ユリの記録に重なる言葉。
すべてが、同じ根に繋がっている。
啓介は静かに言った。
「黒瀬が残そうとしたのは、あの施設だけじゃない」
南條の目が、わずかに動いた。
啓介はそれを見逃さなかった。
「南條さん」
南條は答えない。
啓介は続ける。
「あんたは、何を知ってる」
作戦室に沈黙が落ちた。
その時、上層部からの通知が入った。
赤い文字が、大型モニターの右端に表示される。
RC-01送信記録、完全遮断対象。
受信先を特定。
関連端末を回収。
接触者を確認。
必要時、接触者の処理を許可。
一真の顔が変わった。
「接触者の処理……?」
職員たちは画面から目を逸らした。
一真の拳が震える。
「真実を知っちまった奴は全て消す気かよ」
南條は低く言った。
「声を抑えろ」
「抑えられるか」
一真が一歩前へ出る。
「どこまで消せば気が済むんだよ」
「施設を燃やして、鬼塚を置き去りにして、黒瀬と相良の機体を事故にして」
「それでもまだ足りねえのか」
南條の声が少しだけ強くなる。
「剣城」
一真は止まらない。
「あいつらは記録じゃねえ」
「処理済みのデータじゃねえ」
「人間だったんだよ」
作戦室が凍りついた。
啓介は一真を止めなかった。
ユリも何も言えなかった。
南條は一真を見ていた。
怒りを受け止めるように。
だが、それ以上踏み込ませないように。
「怒りで自分を見失うな」
一真の拳が震えた。
「俺は道具じゃない」
「知っている」
南條は静かに返した。
「いい加減大人になれ」
一真は南條を睨んだ。
「黙って言うこと聴いてりゃ何か変わるんですか」
「感情だけ走っても何処にも辿り着けない」
「辿り着く…」
南條は答えなかった。
一真はその沈黙を見る。
何かがある。
南條は、ただ命令に従っているだけではない。
だが、それが何なのかは分からない。
啓介もまた、二人を見ていた。
南條は何かを隠している。
一真も、それを感じている。
だが、今は誰も核心に触れられなかった。
◇
ユリは、復元された断片を別端末に転送していた。
正式な解析ではない。
自分用の控えでもない。
ただ、目の前で消される前に、一瞬でも多く内容を記憶したかった。
SP候補群。
A-Prime関連データ。
国内中枢施設。
母胎適合候補。
第七系統。
文字を見れば見るほど、胸の奥の記憶が疼く。
白い廊下。
消毒液。
番号。
冷たい手。
ユリは深く息を吸った。
啓介が横に立つ。
「無理するな」
「無理しないと、また消される」
啓介は何も返せなかった。
ユリは画面を見たまま続けた。
「黒瀬が送った中に、私の記録に繋がるものがある」
「ああ」
「でも、これもすぐに消えちゃう」
ユリの声は静かだった。
だが、その奥には焦りがあった。
「私の過去も、啓介の黒血も、黒瀬が見つけた記録も」
「全部、同じ場所に隠れてる」
啓介は画面を見る。
「なら、それを探す」
ユリは首を振った。
「今のあなたは動けない」
「またそれか」
「あなたを止めたいわけじゃない」
ユリは啓介を見る。
「でも、今あなたが動けば、組織はそれを理由にあなたを閉じ込める」
啓介は黙る。
「だから、今は私が動く」
「一人で背負うな」
「背負わない」
ユリは短く答えた。
「でも、必ずみつける」
「私が何者なのか…」
啓介は、その横顔を見た。
かつて内勤区画で、淡々と端末を操作していたユリ。
任務の後、傷を処置してくれたユリ。
いま目の前にいるユリは、そのどちらでもあり、どちらでもなかった。
自分の過去へ踏み込もうとしている。
恐怖を抱えたまま。
◇
夜が深くなった。
作戦室から人が減っていく。
通信担当たちは交代に入り、監視員も別の区画へ移った。
大型モニターには、黒瀬の送信ログがまだ表示されている。
送信先、不明。
その文字だけが、消えずに残っていた。
南條は一人、作戦室に残った。
しばらく画面を見ていた。
やがて、机の下に手を伸ばす。
通常端末とは別の、小型の黒い端末を取り出した。
認証を入れる。
画面が、静かに点灯する。
表示されたのは、公式記録には存在しない断片だった。
破損した映像。
欠けた名簿。
読めない施設番号。
黒く塗りつぶされた複数の項目。
その中に、いくつかの文字だけが残っていた。
S-07。
SP候補群。
A-Prime。
AL-α。
南條の表情が硬くなる。
画面の端には、開かれていない音声ファイルが一つ残っていた。
◇
作戦室を出た南條は、白い廊下を歩いていた。
途中で、一真が壁にもたれて立っていた。
待っていたのだろう。
南條は足を止める。
「寝ていろと言ったはずだ」
「聞くと思ってたんですか」
一真は顔を上げる。
目の下には疲れがある。
だが、その目は眠っていない。
「黒瀬の送信先、本当に分からないんですか」
南條は少しだけ間を置いた。
「今、確認できていることはない」
「便利な言い方ですね」
一真の声は低かった。
「作戦室の連中は焦ってた」
「でも、南條さんだけは違った」
「焦っても、見えるものは増えない」
「そういう話じゃない」
一真は南條を見た。
「黒瀬が残したものは、また消されるんですか」
南條は一真の横を通り過ぎようとした。
その時、一真が低く言った。
「南條さんは、どっち側なんですか」
南條は足を止めた。
振り返らない。
「今のお前には、そう見えるか」
「質問に答えてください」
「答えれば、お前は動く」
一真は黙った。
南條は低く続ける。
「今のお前は、怒りでしか動けない」
「それでは何も守れない」
一真の顔が歪む。
「……鬼塚にも、同じこと言えますか」
南條は答えなかった。
その沈黙に、一真は舌打ちした。
「やっぱり、あんたは面倒くさい人だ」
南條は歩き出した。
白い廊下の向こうへ消えていく。
一真はその背中を見送った。
南條は何かを隠している。
それだけは分かった。
だが、その隠し事が誰のためものなのか。
今の一真には、まだ分からなかった。
◇
その頃、上層部から新たな通知が南米本部へ届いていた。
RC-01送信記録、完全遮断対象。
関連職員の監視強化。
AS-01管理移行継続。
SP-07再照合優先度上昇。
AS-02行動記録確認。
WARDEN権限監査準備。
AL-α起動準備段階へ移行。
南條は自室で、その通知を見た。
WARDEN権限監査。
自分にも手が伸び始めている。
南條は静かに息を吐いた。
「……来たか」
驚きはなかった。
遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。
南條は通常端末の通知を閉じる。
そして、秘匿端末をもう一度開いた。
公式記録には存在しない断片が、そこにある。
南米第七施設の子どもたち。
ユリの記録に繋がる文字。
啓介の黒血。
そして、AL-αへ至る道。
南條はしばらく画面を見つめていた。
やがて、データを別の保管領域へ移す。
消すためではない。
守るために。
南條は端末の画面を閉じた。
「まだ、消すわけにはいかない」
画面が暗くなる。
公式記録では、黒瀬蓮はもう存在しない。
だが、彼が残したものは、誰にも見えない場所で、まだ静かに燃えていた。




