【第12話 右脚の痛み】
ミレイの休日
朝のタチミ街は、休日になると少しだけ音が変わる。
竜騎士基地から聞こえてくるはずの金属音や号令はなく、代わりに商店街から流れてくるのは、人の声と布が擦れる音、焼き菓子の甘い匂いだった。
「ほんと、基地にいると分かんないわね。街って、こんなにうるさかったっけ」
ミレイはそう言いながら、肩にかけた布袋を直した。整備服ではなく、動きやすいが少しだけ女の子らしい服装だ。濃い色の上着に、膝下までのスカート。作業用の手袋も工具も、今日は持っていない。
「うるさいっていうより、生きてる音でしょ」
隣を歩くのは、同年代の女性――リナ。
ミレイの数少ない“基地の外の友人”だった。
リナは街の鍛冶工房で帳簿と注文管理をしている。竜騎士ではないし、竜にも関わらない。だからこそ、こうして並んで歩いていると、ミレイは少しだけ自分が「普通の女の子」に戻れる気がした。
「今日は何から行く?」
「まずは市場。食材が安い日だって言ってたでしょ」
「はいはい、実利優先」
二人は笑い合いながら、商店街の奥へと進んでいく。
市場は人で溢れていた。果物、干し肉、香辛料、布地。露店の呼び声が重なり合い、風に乗って匂いが流れてくる。
ミレイはその中を歩きながら、自然と品物の“質”を見てしまう自分に気づいて、少し苦笑した。
「……あ、これ、鞍の下敷きに使えそう」
「ちょっと、休日よ?」
「分かってるって」
リナに肘で軽く突かれて、ミレイはようやく意識を切り替えた。
布を選び、乾燥果実を試食し、値切り交渉を横で見て笑う。
それだけのことなのに、基地の中では味わえない時間だった。
「ねえ、最近どう?」
ふと、リナが何気ない声で聞いた。
「最近?」
「仕事。……あと、人間関係」
ミレイは一瞬、足を止めた。
リナはそれ以上踏み込まず、ただ待つ。そういう距離感を保てるのが、彼女と一緒にいて楽な理由だった。
「……忙しいわよ。相変わらず」
「それ、答えになってない」
「でしょ」
ミレイは小さく息を吐いた。
「飛竜部隊と走竜部隊、両方に顔を出すことが増えて……正直、居場所が曖昧」
「整備士なのに?」
「整備士だから、かな」
どちらにも必要とされる。でも、どちらにも完全には属していない。
それは誇らしいことでもあり、同時に、宙に浮いた感覚でもあった。
「……あの子のこと?」
リナは名前を出さなかった。
「カイル?」
「うん」
ミレイは否定もしなかった。
「飛べない飛竜の担当なんて、最初は“外れ”だと思われてた。でも今は……」
「今は?」
「私も、どこに立ってるのか分からない」
リナは少し考えてから、肩をすくめた。
「じゃあさ、無理に立たなくていいんじゃない?」
「え?」
「浮いてるなら、浮いてるで。落ちなきゃいいのよ」
意外な答えに、ミレイは目を瞬かせた。
「仕事も、人も、全部“途中”でいいじゃない。完成形なんて、誰にも分かんないんだから」
その言葉は、妙に胸に残った。
二人は昼過ぎ、小さな食堂に入った。
木のテーブル、素朴な料理。スープの湯気が立ち上り、窓から差し込む光が揺れる。
「こういう時間、久しぶりね」
「でしょ。あんた、基地に籠りすぎ」
ミレイはスプーンを持ったまま、ふと笑った。
「……私、整備士になってよかったと思ってる」
「知ってる」
「でも、誰かの“翼”を直してるつもりが、最近は……」
言葉が途切れる。
「最近は?」
「“脚”を見てる時間の方が長い」
走るための筋肉。踏み切るための力。
空に上がれない存在が、地面でどう生きるか。
「それって、悪いこと?」
「分からない。でも……嫌いじゃない」
ミレイは、はっきりとそう言った。
「リナがこの前教えてくれた男の子、その後どうなっているの?」
リナは考えるように視線を斜め上に移した。
「ん~、頑張ってるけど、うまくいかないなぁ」
「その子のこと、どう思ってるの?」
「まだ、自分でもよくわからなくて」
「リナ様もお年頃なのね」
二人で、クスクスと笑った。
食堂を出たあと、二人は街外れまで歩いた。
遠くに見える竜騎士基地の塔。その向こうには、空が広がっている。
「休日、ちゃんと休めた?」
リナが聞く。
「……うん。たぶん」
「“たぶん”ね」
二人は笑った。
別れ際、ミレイは振り返り、もう一度街を見渡した。
ここには竜も、号令もない。でも、人の生活がある。
--私は、どこに立つんだろう?
ミレイは踵を返し、基地へと歩き出す。
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朝靄の残る草原のコース。
カイルは、「速い」その一言にどれほど救われただろうか。
走竜部隊に籍を置き、マックスと共に地面を駆けるようになってから、自分たちの存在意義を見つけた気がしていた。
--速ければいい。
踏み固められた土は、何度も削られ、走竜の爪で引き裂かれ、筋のような轍が無数に刻まれている。
草はほとんど消え、乾いた土の匂いが鼻を刺した。
マックスの背に跨り、カイルは深く息を吸う。
「いくぞ」
返事はない。だが、後脚の筋肉がわずかに膨らむ感触が伝わる。
ドスン。
地面を蹴る衝撃が、背骨を通して頭まで響く。
ドドドド
地面が震えた。
風が頬を削る。
コース脇の杭が、線になって後ろへ流れていく。
速度が上がると、世界は細くなる。
視界は前方へ収束し、周囲の音が遠ざかる。
代わりに、自分の鼓動と、地面を打つリズムだけが強調される。
ダン、ダン、ダン。
--もっと速く。
そう思った瞬間、胸の奥に別の感情が湧く。
--怖い。
カイルは歯を食いしばる。
もっと前へ。
マックスの体を内側へ倒す。コーナーを抜ける瞬間、二人の重心が同時に沈む。土が弾ける。
ダン!
小川を一気に飛び越す。
ドン!
着地の衝撃が、カイルの頭の芯まで響く。
--ぐぅっ
反動で体勢を崩したマックスは、
横滑りの後、滑るように地面へ倒れ込む。
腹をかすめるように、土煙を引きながら止まる。
その日、三度目の転倒だった。
以前は前転や空中で回転するような、酷い転倒をしていた。
いまは、そこまで酷い転倒をすることがなくなっていた。
マックスの受け身は、明らかに上達していた。
「はは、おまえ凄いな」
地面に叩きつけられながら、カイルは笑う。
むしろ痛いのは自分のほうだった。
訓練をするたびに、転倒を繰り返す。
治る前に新しい擦り傷が増える。
青あざは、次々に出来ては消える。
不思議なことに、青あざの治りは以前より早くなってきた。
身体が衝撃に慣れてきたのだろうか。
人間の身体は、順応する。
だが、ひとつだけ、消えない痛みがあった。
右脚。
転倒の痛みではない。
走るたび、上下動に合わせて鈍く軋む。
特に障害物を飛び越えて着地の瞬間に、鋭い痛みが走る。
あのとき・・・墜落した時の怪我が後遺症となって、まだ残っていた。
マックスが走り跳ねる度に、その振動は縦方向の荷重になる。
カイルは、鞍から腰を浮かし鐙の上で中腰の姿勢になる。
脚に対する負担は、通常の飛竜や走竜よりも大きい。
もし、右脚が耐えられなくなれば。
その走りにも制限がかかる。
その恐怖が、胸を締めつけた。
限界を押し上げるはずの訓練が、別の限界を突きつける。
カイルは右脚を伸ばす。表面に異常はない。腫れもない。だが内部で、何かが軋んでいる。
厩舎に戻り、カイルは水場で傷を洗っていた。
大根おろしで削ったような肘の傷跡に、細かい砂が潜り込んでいた。
「いてて・・・・」
何度擦り剥けたか分からない。
「またやったのね、大丈夫?」
背後から声がした。
包帯を手にしたミレイだった。
「ありがとう」
「いくら竜の身体が頑丈だからと言っても、あまりひどいと前足や翼骨が折れることもあるんだから、気を付けてあげてね」
カイルは苦笑した。
「竜の身体は、本当に頑丈なんだよな。今日も転倒して地面を滑って行ったんだけど、鱗に傷すら入っていなかったよ」
なぜか得意げな笑顔になったミレイが、改めて聞いてきた。
「走るのが得意な子とは言ったけど、なんで転倒するところまで速度を上げる必要があるの?」
「速く走るというのは、言葉ほど単純じゃないんだ」
包帯を巻きながら、カイルは説明を続ける。
「同じ馬でも、騎士によって速さは変わる。違いは何だと思う?」
「乗馬の技量が違うから?」
ミレイは、カイルが何を言いたいのかを推し量るように、目を覗き込むように見つめる。
「人によって、自分の中の限界速度が違うからだよ。 要するに怖いんだ」
「その怖いという感覚は、限界を超えると死を意識するからなんだ。
でも、限界には二つある。
実際の限界と、自分が感じている心理的な限界なんだ。
二つの限界の差が小さい人ほど、馬を速く走らせられる。」
「問題は、実際の限界がどこなのか、限界を超えて失敗しないと分からないんだ」
「それで何度も転んでるの?」
「そう、いろいろな場所で、どのくらいが限界なのか、身体で覚えるしかないんだ」
突然、ミレイの指がカイルの前髪をすくい上げた。
カイルの額に、治りかけている切り傷があった。
--うぉっ、まつ毛が長いんだな
カイルは、ミレイの顔が突然迫ってきたので、思わず硬直してしまった。
「無茶して死なないようにしてね」
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しばらくして、ミレイはカイル専用の頭部用防護具を渡した。
「この防具の名称はメットよ。あなた専用に作ったんだから、感謝してよね」
騎馬隊の騎士が被る頭部用防護具と異なり、カイルのメットは目の部分の開口部が大きく開き、日差し避けのツバが付けられていた。
最も違うのは軽い皮と緩衝材としての綿で作られている点だ。
「速度が高くなると、転倒した時や枝が当たった時の衝撃が大きくなるわ。身体と違って、頭は鍛えても強くならないからね」
「なんか、俺の頭が弱いみたいに聞こえるな」
「そっ、そんな失礼なことは言ってないわよ」
カイルが少し笑う
「このメット、いい具合だ。軽いし視界が広い。用意してくれて、ありがとう。」
視線の先、厩舎裏の空き地で、マックスが一頭で遊んでいた。
助走無しで踏み切り、宙へ浮く。着地。
また、跳ぶ。
何度も、何度も。
誰も指示していない。騎士もいない。ただ独りで、着地の動作を繰り返している。
「何してるんだ、あいつ」
「さあ」
ミレイは首を傾げる。
カイルは無意識に右脚を押さえた。
【あとがき】
ミレイの日常と、カイル+マックスの日常回でした。
「限界」への挑戦は、うまく伝わる書き方になっているかな?
次回は苦悩するカイルに変化があります。
第13話 「違和感」




