第百十六話 アブミラとの対面
「ようこそいらっしゃいました。わたくしがアブミラです」
ブカッタ神殿にある大広間で、ゲディスたちはアブミラと対面した。アブミラは黒髪を腰まで伸ばして三つ編みにしている。薄紫色のベールとショールを身に付けていた。
彼女は白い貝殻のような椅子に座っていた。右側には一人の男が青色の軍服を着て立っていた。波のかかった黒髪に青白い肌、精悍な顔立ちであった。
クロケットは男を見て驚いた。彼女は直にラボンクを見ており、目の前に立っている男とそっくりなのだ。
彼こそキョヤス王子だ。ラボンクのような暗愚とは全く違うとクロケットは思った。
ギメチカもラボンクと面識があるが、あまりに似ているので内心驚いている。
「あなたがゲディスの母親って本当ですか?」
ガムチチがいきなり切り出した。口調は丁寧なのは貴族教育の賜物である。アブミラは全く動じない。首を縦に振って肯定した。
「本当ですよ。わたくしの本当の名前はハァクイと言い、バガニルとラボンク、ゲディスとベータスを産みました」
「というか人に聞かれていいのですか?」
ガムチチはキョヤス王子を見た。キョヤスは動じていない。そこにゲディスが声をかけた。
「この方は世間一般ではキョヤス王子と呼ばれております。ですが本当の正体はラボンクで、僕と血がつながった兄なのですよ」
ゲディスの言葉にブッラとクーパルを除いた全員が驚いた。あまりに唐突すぎるので理解が追い付かない。
「ラボンク兄さまは僕が生まれる前に、キョヤス王子と入れ替えられたのです。それ以降兄さまはキョヤス王子として新しい人生を送っていたのですよ」
ゲディスの言葉にキョヤスことラボンクは首を縦に振る。
ゲディスが詳しいのは、本人から教えてもらったためだ。
「……私は一年前、ラボンク皇帝と顔を合わせた。噂通りのボンクラだったけど、あなたとはえらい違いだよ」
「私も十三年前に顔を見たきりですが、ラボンク陛下とそっくりです。ですが生きていたとは驚きです」
クロケットとギメチカは茫然としていた。
「あんたがラボンク兄さんなのか……。なんでずっと黙っていたんだ? あんたは皇帝の座が嫌になって逃げだしたのかよ」
ベータスが言った。あまりにも露骨だがもっともである。それをアブミラが説明した。
「当時のゴマウン帝国は領土拡大を望まれました。特にアヅホラ・ヨバクリ侯爵はその先頭に立っていたのです。先代皇帝であるクゼント様は必死に止めていたのです」
領土拡大。ゴマウン帝国をさらに広げようとする野心があったそうだ。その標的にトナコツ王国やキャコタ王国も含まれていたという。
だがクゼントは外交に力を入れていたし、貴族たちの横の繋がりを重要視していた。アヅホラ卿が叫んでもほとんど無視されていたのだ。
ところが19年前にラボンクがキョヤス王子と入れ替わった。もしこの事実を知られてしまえば、ゴマウン帝国はキャコタ王国に戦争を仕掛けていただろう。自国の皇太子と入れ替わるなど前代未聞だ。子供の悪戯では済まない。
「ですがハァクイ様がアブミラになったのはどういうことでしょうか?」
ギメチカが訊ねた。ハァクイは9年前に病死したことになっている。死んだふりをしてまで偽装したのはどういうわけだろうか。
「わたくしは予知能力があります。19年前にラボンク、実際はキョヤスですが、わたくしを毒殺し、マヨゾリ・サマドゾ卿とバガニルを首謀者として捕らえ、死刑にする映像が見えたのですよ」
それを回避するためにハァクイはオサジン執政官に自身のホムンクルスを精製することを依頼した。赤ん坊の頃から育てられたが魂が入っておらず空っぽだった。
それをキャコタ王国へ送り、自分の身体と魂を交換したのである。そのため元の身体は魂が抜けたため死亡した。世間では病死扱いになっている。
当時のキョヤスはハァクイの教育で、医者の言うことを信じていた。素直に病死と信じたのだ。
だがアヅホラ卿は毒殺にしてサマドゾ夫妻を処刑にしろと命じたのだ。
それをキョヤスが反発した。医者の言うことは正しいから、黙っていろと怒鳴ったのだ。
アヅホラ卿はプライドを傷つけられ怒り狂った。娘のバヤカロと共にあることないこと吹きこみ、ゴマウン帝国から医学を衰退させるように仕向けたのである。
「なんともありえない話だな。なんで医学を潰したがるのかさっぱりわからない」
ガムチチが唸る。あまりにもありえない話だからだ。アヅホラというのは狂人なのだろうか。
「当時のアヅホラ卿はアジャック枢機卿に操られていたのです。アジャック卿はゲディスと同じ邪気中毒で、ゴマウン帝国に対して憎しみを抱いていました。本人は知らなかったと思いますが、あふれ出す邪気は他者に影響を与えます。それにバヤカロはアジャック卿の娘なのですよ」
アブミラの言葉にゲディスは唖然となった。
「私はバヤカロを見ましたが、若い頃のアジャック卿に似ていたのです。デルキコ卿は母親のサゥチス夫人に似ておりましたね」
アブミラはすべてを知っていたのだ。まさかバヤカロとデルキコの父親がアジャック卿とは夢にも思わなかった。
「しかしとんでもない話ですね。もちろん他言無用でしょうね」
「当然です。それよりもガムチチさん。改めて挨拶します。あなたがゲディスの愛しい人なのですね。そしてブッラとクーパルという愛の結晶を生み出した」
アブミラが立ち上がるとガムチチの手を握る。
「ゲディスは女性が苦手なのです。すべてはわたくしの責任なのですよ。ありがとうございます」
「あなたのせいですって?」
「そうです。13年前に邪気収集の儀式をゲディスに見られてしまいました。そのためゲディスは邪気中毒になってしまったのです。ギメチカを執事として同行させて邪気を抜かせましたが、あまりうまくいってなかったようですね」
アブミラの言葉にギメチカは首を横に向いた。ギメチカは元は女だ。今は性転換魔法で男になっている。ゲディスには女と男で初体験を施した。しかしゲディスは女体よりも男が好きになっていったようだ。
「ゴマウン帝国と言いますか、旧ゴマウン王国、現在はゴスミテ王国の人間は男でも妊娠はできます。そのため女性よりも男性に興味を抱く傾向が強いのですよ。もちろん個人差はありますが」
「そうなのですか? なら私がいなくても子供は出来ていたのか」
クロケットが言った。彼女は元はドライアドというモンスター娘だった。カホンワ領の庭に生えている栗の木から生まれたのだ。そしてドライアドになった彼女はゲディスのいのちの精を奪い、ウッドエルフへ進化したのである。
次にガムチチから生気をもらい、ブッラとクーパルを出産したのだ。
「あら、あなたはゲディスの子供を産みたくなかったのですか?」
「いいえ、私は全く後悔してません」
アブミラの問いにクロケットははっきりと答えた。
「ならいいではありませんか。それにブッラとクーパルが愛しいのは変わりありません。どんな命でも尊いものなのです」
アブミラが言うと目を瞑り、顔を上に向ける。彼女はキョヤス王子がラバアになったことを思ったのだろう。
「それとベータス。あなたもガムチチさんと結ばれて子供が生まれたのですね」
「生まれたけど望んだわけじゃない。こいつに無理やりやらされただけだ」
ベータスはそっぽを向いた。ちなみに子供のコンレは巫女たちが世話をしている。
「ですがガムチチさんは貴族です。あなたは平民なので認知されることはないでしょうね」
アブミラが言った。その言葉にベータスが噛みつく。
「なんだよそれ!! 貴族とか平民とかいきなり言い出しやがって!! そんなに身分が大事なのかよ!!」
「大事ですよ。確かにあなたはわたくしの子供です。ですが世間的には死んだことになっており、いわば死人です。それにガムチチさんは貴族で、ゲディスと繋がりがあります。あなたとは身分が違うのですよ」
アブミラの言葉は辛らつであった。ベータスは初めて出会った母親に特別な感情はなかった。そもそも母親と言われてもピンとこない。
しかしいきなり身分のことを言われると腹が立つ。自分とゲディスを比べられて怒り狂ったのだ。
「ちくしょう!! 所詮は貴族様なのかよ!! そんなに身分が大切なのかよ!!」
ベータスは走り去った。目から涙があふれていた。
「……アブミラ様。なぜあのようなことを……」
ゲディスが非難するように母親を見る。だが彼女の顔は涼しいままだ。
ガムチチの方を向いて、彼に問うた。
「それでガムチチさんはどうしたいのですか?」
「どうしたいとは?」
「ベータスとどうしたいかです。子供を作っておいて放置はないでしょう? 身分の差はあっても埋める方法は幾らでもあります。あなたはどうしたいのですか?」
アブミラの質問にガムチチは詰まった。今はカホンワ王国の貴族だ。嫁はいないがいずれはもらわなくてはならない。しかし嫁が来ていないのに男の愛人を置くのはどうかと思う。
さらに相手はゲディスの双子の弟だ。兄弟を愛人にするのはゲディスに失礼だと考えている。
「ガムチチさん。僕は認めますよ。ベータスを側室にするべきです」
「そっ、それってガムチチパパがゲディスパパだけでなく、ベータスと一緒にキャッキャウフフすることだよね? ぽ~~~!!」
「よいではありませんかガムチチお父様。そもそもベータスを相手にしたのもゲディスお父様に似ていたからでしょう? 放っておけないという点において」
ゲディスに、ブッラとクーパルが励ました。ガムチチは決意を固め、部屋を出たベータスを追いかける。
それを見たアブミラはほほ笑んだ。
「うふふ。ベータスは一年前のガムチチさんそっくりですね。似た者同士ですわ」
ゲディスは思い出す。一年前の戦後処理でも貴族でないガムチチは腹を立てて飛び出した。
先ほどのベータスと同じである。
「アブミラ様は知っていたのですね。だからベータスを煽った」
「当然です。女であろうと男であろうと愛する人がいるなら守らなくてはなりません。歴代の魔女は試行錯誤を繰り返してきました。その結果が現代なのです」
ゲディスの言葉にアブミラは答えた。恐らく長い間魔女は愛する人を理不尽に奪われたのだろう。それを防ごうと必死に新しい魔法を生み出した。だが成功するどころか失敗することも多かったのだ。
二千年という血脈の中で魔女の知識と技術は世界で類を見ないものとなった。
それが幸せとは限らない。本当の幸せとは自分が大事な人と一緒にいられることではないか。
ゲディスはそう思った。




