第百六話 霧のクジラ
「まったく、なんで俺がこんな目に……」
見渡す限りの海に霧のクジラに乗っているベータスはぼやいていた。彼は戦争が嫌いだった。どんな理由でも認めるわけにはいかなかった。それも感情的で理知的に考えないから始末に悪い。
「まだ文句を言ってるのか。覚悟を決めろ」
それをガムチチが咎めた。彼も戦争が好きなわけではない。だが戦わなければならないのだ。
倒すべきはキャコタ王国の王子キョヤスだ。戦争好きな馬鹿王子と思いきや、用意周到に準備をするなど評価が一定しない。ガムチチは薄気味悪い敵だと考えている。
周囲の冒険者たちはのんびりしていた。これから戦うのにやけに落ち着いている。
先ほどトナコツ王国の軍艦に追われていたが、霧のクジラはあっさりと振り払った。クジラは霧を発生して軍艦を巻いたのである。さすがは魔女ゴロスリが保有する魔法のクジラであった。
ふんどし一丁のシフンド兄弟はふんどしを引き締めていた。
サリョドは魔獣のアルジサマを背に昼寝をしている。
レッドモヒカンチームのフチルンたちは輪になって相談していた。
他にも冒険者たちはいるが、割と軽装である。
ぷっぷっぷー♪
不快な音を立てているのはアフロマッチョのオカマである。ピンク色のアフロに髭を生やし、黒革の釣りパンツを履いていた。鍛えられた肉体を晒している。ナルシストの様だ。名前はヘダオスという。花級の冒険者だが、本人ではなく、彼のチームが花級であった。禿げ頭のパンツ一枚のマッチョと、ふんどししかしてないでぶの三人組だ。
ベータスはそれを聞いてますます不愉快になる。彼の周りには冒険者が集まり、何やら話をしていた。
ベータスにとってどうでもよい。
「というかあいつらなんで薄着なんだ? 戦争に参加するのに自殺したいのかね」
ベータスは文句を言う。彼もまた薄着だ。へそ出しのシャツに黒いスパッツを履いている。とても戦いに行く姿ではない。ガムチチはパンツ一丁で、ギメチカも男の姿で、黒パンツ一枚だ。首に黒い蝶ネクタイをつけており、革の靴を履いている。
「俺もそれには同意見だよ。あれでも花びら級や花級なんだ」
「あんたらもそうだけど、あの人らは念道布を、身に付けておるんよ」
それに口を挟んだのはマッカであった。念道布とはなんであろうか。
なんでもサマドゾ王国から捕れる植物から作られるという。それをハボラテの職人たちが織るのだ。
念道布は身に付けている人間の意思を感じ取り、思い通りに動かすことができる。
バガニルのバニースーツも念道布でできているそうだ。それを聞いてガムチチは驚いた。
「ガムチチはんのパンツも念道布でできとるんよ。裸一貫やから神経を使う。それゆえに普段以上の力を発揮できるんや」
マッカが説明した。もちろん初心者にはお勧めしない。シフンドたちのような歴戦の冒険者でないと無理らしい。
「ベータスはんはゴロスリ様の弟子やからね。念道布を使いこなすのは問題あらへん」
説明を聞かされてもベータスは納得していない。念道布を身に付けていようが戦争をするのは嫌だ。かといって他人に任せたくない。
「しかし広い海だな。陸はおろか島も見えない。こんな景色は初めて見るな」
ガムチチはそう言ってベータスを抱き寄せる。彼は嫌がるが振りほどけない。マッカはそれを見て笑いながら立ち去った。
「なんだよ、離せよ!!」
「いいじゃないか。今の俺たちは恋人に見えるだろう? 見せつけてやろうじゃないか」
「恋人って、俺たちは男同士じゃないか!! 変態と思われたらどうするんだ!!」
「もう俺たちは変態だよ。そもそも男同士で愛し合うなんて珍しくないぜ。もちろん普通に女も楽しめるけどな」
ガムチチは歯を剥き出しにして嗤う。そしてベータスの尻を撫でた。引き締まったいい尻である。
「やっ、人の尻を、触るなぁ!!」
「なんだ感じているのか? よしよし、もっと可愛がってやるよ」
ガムチチの手はしつこくなる。尻の割れ目を撫でたり、尻肉を摘んだりとやりたい放題だ。
ベータスの顔は熱くなる。身体が火照り汗が流れていた。喘ぎ声も上げている。
「まったくお前はゲディスそっくりだな。あいつもお前みたいにとろけた顔になるのかな?」
「おまっ!! 俺をゲディスの代わりにするつもりか!!」
「そうだよ。ゲディスと会えない寂しさをお前で紛らわせているのさ。でなければお前なんか相手にするものか」
ガムチチの言い分にベータスは反論しようとしたが、まったく口に出せない。
酸いも甘いも嚙み分けるガムチチが相手では、ベータスは太刀打ちできなかった。
「ところでキョヤス王子ってどんな奴なんだ?」
ガムチチが言った。ベータスもよく知らない。マッカが教えてくれた。
キョヤス王子はアークイ王女の息子だった。アークイはゲディスとベータスの母親、ハァクイの妹である。
幼少時からわがままで暴れん坊だった。弱い者いじめが大好きな悪ガキだったという。
ところが八歳の頃、母親と共にゴマウン帝国に行ったそうだ。表向きは友好のためである。
その時皇太子のラボンクと出会ったが、まるで双子のように瓜二つだったそうだ。
もっともキョヤス王子は田舎者のくせに生意気だと、ラボンクに蹴りを入れようとした。だが彼はあっさりとかわし、キョヤスの無礼をなかったことにしたという。その行為にラボンクは褒めたたえられたが、キョヤスは鬼のような形相でにらみつけたそうだ。
一応、ふたりっきりで話すこともあったようだが、あまり仲は良くないようだ。主にキョヤスが叫ぶことが多かったという。
ところがキャコタに帰国後、キョヤス王子の様子が変わった。面倒臭がってさぼっていた剣の訓練や座学に力を入れるようになったのだ。
執事が訊ねると「確かに今までの自分はそうだった。だが広いゴマウン帝国を見て、自分がちっぽけだと悟ったのだ」と答えた。
「昔は神童と呼ばれたけど、最近はぼんくらになったと聞いたけどな。どうやらうちらは噂に踊らされたようやな」
マッカは空を見上げた。商人でありながら情報を読み間違えたことを恥じているようだ。
「権力欲の権化と思っとったわ。イコクドと同じアホかとね」
「イコクドって誰だ?」
「海軍司令官や。歳は五十ほどでキャコタ国王の側室の息子や。今の地位も奥さんの実家と外国の商人たちからの貢物で得たんよ。庶民には威張り散らして、王族にはこびへつらう典型的なド外道や。むしろクーデターならイコクドが率先してやると思っておったわ」
ガムチチの問いにマッカが答えた。
しばらくして前方に船が見えた。キャコタ海軍の船だ。船には番号が書いてある。
その先頭には一人の男が青色の軍服を着て立っていた。波のかかった黒髪に青白い肌、精悍な顔立ちであった。
ガムチチはその顔を見て驚いた。その顔はラアバの塔に飾ってあったラボンクの首とそっくりなのだ。
この男こそキョヤス王子であった。
「あれや、あのイケメンがキョヤス王子や!!」
マッカが指を差して叫んだ。どうやら相手は間違いないようである。
「では、マッカ様は保護させていただきます」
ギメチカが言うと、マッカは霧のクジラから発生した霧に包まれた。彼女は水晶の棺に入っている。
マッカは戦えずに閉じ込められたのだ。
「うち、戦えへんからちょうどいいわ。みんな、たのんまっせ」
マッカは平然と手を振っていた。さすがに戦争に参加することはできないので、本人としては願ったりかなったりだろう。
「ああ、あんたは特等席で見物してくれ。こちらは俺たちが決着をつける!!」
「くそぅ! 戦争はしたくないのに! でもお前らを放置するのはもっとだめだ!!」
「ベータス様が暴走したら、私が止めますのでガムチチ様は安心してください。
ガムチチは黒く太い棍棒を構えた。
ベータスは槍を取り出し構える。
ギメチカは眼鏡を指でくいっと直すと、両腕を後ろに組み、眼鏡を光らせた。
「さぁ、号令よ!!」
ぷっぷっぷー♪
ヘダオスの放屁が大海原に鳴り響いた。ベータスはそれを見てますます機嫌を悪くするのだった。
ヘダオスのイメージは外見がアフロヘアのクイーンのフレディ・マーキュリーで、踊りはオードリーの春日氏がモデルです。




