第28話 社畜のノウハウを見せてあげましょう
給仕が葡萄酒を配り始め、会場は歓談の場になった。
私は主催側の務めとして、人々の輪から輪へと泳いで回った。
教育関係の来賓には教材の増刷計画を、騎士団関係には訓練計画の適用範囲を。
相手の関心に合わせて話題の引き出しを開けていく。
マルガレーテが要所要所で人の流れを整え、フリーデリケが会場の空気を拾い、エリーゼは柱の陰で今日の記事の下書きを進めている。三人とも、もう指示を待たない。
葡萄酒の香りと笑い声が、天井の高い講堂を満たしていく。
半年分の仕事が、正しく伝わっていく手応えがあった。
場が十分に和んだ頃だった。グラスの触れ合う音の隙間に、鈴を振るような声が通った。
「皆様、少しよろしいかしら」
会場の中ほどで、一人の令嬢が立っていた。
蜂蜜色の巻き毛。完璧な角度で開かれた扇。
入学式で私を品定めしていた、あの目の持ち主。マリアンヌ・ヘルムシュタット伯爵令嬢だ。
「改革プロジェクトの成果、まことに素晴らしいものですわ。半年でこれほどとは、私、感服いたしましたの」
甘い声だった。甘いのに、うっすらと毒の気配が漂っている。
「ですけれど、一つだけ、どうしても気になることがございますの」
ざわめきが、潮の引くように薄れていった。
「ユリアーナ・ヴァイスフェルト様。あなた、ご入学の前から――聖属性をお持ちの平民の少女を、この学園から遠ざける工作をなさっていたのではなくて?」
グラスを持つ手が、あちこちで止まるのが見えた。
来た。
難癖をつけられるとしたら、この一点だろうと予想はしていた。他に指摘できるような穴を、残していないのだから。
「聖属性特別研究枠。表向きは国益のための、立派なご提案ですわ。ですけれど私、公文書の写しを拝見して、妙なことに気づきましたの」
扇の先が、ゆっくりと私に向く。
「提案書の日付は、あの少女の入学予定が公示されるより前ですわね。まだ誰も名前を知らないはずの平民の娘のために、枠だけが先に用意されていた。……おかしいと思いませんこと?」
会場の空気が、音を立てて固まった。
日付、ね。そこまで調べたのは、大したものだと言えなくもない。
彼女は扇を胸の前で閉じ、聴衆の方へ半身を向けた。糾弾ではなく憂いの表明という体裁で、声の角度まで、計算されている。
ふうん。なかなかデキるわね。
「かつて王家には、高い聖属性を持つ平民の娘が、聖女と呼ばれて輿入れした前例がございます。皆様もご存じの通りですわ」
来賓席のどこかで、確かに、という囁きが漏れた。年配の来賓ほど、頷きが深い。前例というのは、それだけで議論に重さを加える。
「婚約者の座を脅かしかねない少女を、殿下の目に触れる前に囲いこんだ。研究院への多額のご寄付も、飼い殺しの餌代と考えれば、辻褄が合いますわね。……もちろん、私の思い過ごしであれば、それに越したことはございませんの。ですけれど、公文書の日付を考えますと、私の思いつきだけとは思えなくて」
どこかで、細いグラスがテーブルに置かれる音がした。
それきり、音がない。
視界の端で、マクシミリアンが腰を浮かせかけているのが見える。
バルトロウが半歩踏み出し、リヒャルトの手に肘を掴まれて止まった。
マルガレーテたちの顔から、血の気が抜けていくのが分かる。
来賓席の父は動かない。ただ、こちらを見ている。
私は、平静を保ったままの視線を父に向ける。
大丈夫。これくらいのことを予測できずに、上手なプレゼンは進行できない。
彼女のこの行動の動機は何だろう。公爵家への対抗心か、嫉妬か、それとも誰かの差し金か。
いや、動機の分析は後だ。今この場でやるべき仕事は、一つだけ。
視線を会場へ向ける。
値踏みの視線、同情の視線、面白がる視線が私に集まる。
私は呼吸を整えた。
吸って、四つ数えて、吐く。前世社畜の、プレゼン前の、いつもの手順。
それから、いつもと同じ歩幅で壁際から中央の壇の元へ向かう。
「マリアンヌ様、ご質問をありがとうございます」
まず、感謝から入る。
相手はこちらを言い負かそうと待ち構えている。だから逆に、敵意を見せた瞬間に負ける。
「日付にまで目を通された熱心さには、敬服いたします。ですので、私も誠意をもって説明いたしますわね」
そう言って会場をゆっくり見渡す。
宰相閣下、教育関係の来賓、学園の教師陣、生徒たち。一人一人と、順に視線を合わせていく。
アイコンタクトは飾りではない。
聞き手は、目の合った話者の言葉を「自分に向けられた情報」として記憶する。
信頼の構築と情報の定着を同時に稼ぐ、プレゼンの基本技術だ。
社畜のノウハウは、こういう時のためにある。




