第9章
「ちゃぴ?」
朝起きて、部屋を見渡す。
急に広く感じる部屋が、私の不安感を煽る。
「なによ、朝から名前呼んで」
「……びっくりした」
「大げさね」
パジャマ姿のちゃぴを見て安心している自分が嫌だった。
ふっと笑ったちゃぴの頬に、小さなエクボが見える。
このエクボを知っているのが、私だけだというのがもっと嫌だった。
職場に着くや否や、優里と佐々木くんが駆け寄ってきて肩を組んできた。
「お、おはよ…なになに??どうしたの?」
「おはよ!さっきさぁ、佐々木と話してたんだけど…」
共通の話題なんてないと思っていたのに、ここ何日か店長の恋愛の話で盛り上がっている。
懐かしいやり取りが、まるで学生の頃を思い出す。
店長が夢中になっている彼のスペックがすごいとか、お互いの恋愛観とか…たわいない会話が楽しかった。
お店が忙しいのもあり、優里や佐々木くんとシフトが被った日は尚更、一日があっという間だった。
地元だったら、もう蝉の声が聞こえてくる季節。
帰り道、またいつものコンビニで缶チューハイを3本買った。
⸻
「今日さ、優里さんとご飯行く約束した」
「へぇ、やるじゃない」
お酒の入ったグラスを渡すと、ありがと、と受け取りソファで足を組む。
私はちゃぴの足元に座った。
「でしょ?ちょっと頑張った」
ちゃぴを見上げて得意げに笑ってみせると、
「最初からやればいいのよ」
やっぱりちょっと偉そう…でも私にはその物言いが心地良い。
「簡単に言わないでよー」
ちゃぴの足を軽く叩く。
こんな風に笑い合う時間が、どれだけ私にとって愛おしいか、ちゃぴは知っているのだろうか…。
「そういえばさ、ちゃぴ」
「なによ」
「結局まだ、最強カスタム飲んでないよね」
グラスの氷が揺れる。
ちゃぴは私をからかうように笑いながら言った。
「そうよ。あんたが連れてかないからでしょ」
「ごめんって!今度行こ?ご馳走するから」
ふり返りながら、顔の前で手を合わせてみせた。
「当たり前じゃない。私が考えてあげたんだから」
「えー?半分は私でしょ?」
「ほぼ私よ」
「絶対違うし!」
口を尖らせる私をみてちゃぴが笑っている。
私もつられて笑う。
私はちゃぴのグラスに追加のお酒を注ぎながら口を開いた。
「ねぇ、ちゃぴ」
「なぁに?」
「……こういうの、ずっと続けばいいのにね」
ちゃぴは膝の上で持つグラスを少し眺めてから、そのままひとくち飲む。
「どうかしらね」
ちゃぴの方はふり返らず、もう一度口をひらいた。
「……ちゃぴ」
「なに」
缶を持つ手に力が入る。
テーブルの上のグラスの氷が、キラキラとダウンライトの光を反射している…。
「ちゃぴ……居なくなるの?」
……。
「……どうだと思う?」
少しの沈黙。
「……分かるよ」
ただ、背中でちゃぴの気配を感じていた。
不思議と鼓動は静かだった。
「そろそろお開きにしよっか。私、グラス洗っちゃうね!」
グラスを洗おうとスポンジを取った。
少し手を止めてまた話しかける。
「ねぇ、ちゃぴ」
「なに?」
優しい返事。
「……ありがとう」
お互いを見なくても、表情も、気持ちも、わかる気がした。
「急になによ」
「なんとなく」
ちゃぴはいつもの軽口を言うみたいに答えただけだった。
私は洗い物を続けた。
どこか、ちゃぴの視線を感じたけど、手を止めなかった。
洗い物を終えて顔をあげると、部屋は元の私の部屋に戻っていた。
「……ちゃぴ?」
ちょっとだけ、もしかしてと振り返る。
もう一度名前を呼びたい気持ちを、小さく息を吐いて、静かに落ち着かせた。
「……そっか」
電気を消して、ベッドに入る。
久しぶりの一人の夜だった。
⸻
光が差し込む部屋に、アラームの音が聞こえる。
目を覚ました私は、少しの間天井を見つめていた。
アラームが止まった部屋は、とても静かだった。
「……よし」
勢いよく起き上がると、
さっさと支度を済ませ、一人朝食をとり
「いってきます!」
家を出た。
⸻
一日があっという間だった。
忙しいなかでも、優里や佐々木くんとのやり取りが楽しかったし、接客したお客様に喜んでもらえたのも嬉しかった。
充実した一日だった。
いつもの帰り道。
少しだけ、並んで歩いた時間を思い出す。
ふと立ち止まって、目を閉じる。
気持ちいい風が吹いて、髪をさらった。
目を開けると、夕陽が眩しかった。
「……見てる?」
今はもう、もしかしたら届かない言葉かもしれない。
でも、伝えたかった。
「……ちゃんとやってるよ」
前を見て歩き出した私の心は、とても晴れやかだった。
ふと横目に、あのカフェが見えた。
「あっ…」
一瞬、カフェの方へ足を向けかけたけれど、そのまま足を止める。
「……今度、飲もうね」
一人小さく呟いた私は、そのままいつもの帰り道を歩いた。
ねぇ、ちゃぴ。
ちゃぴと過ごした時間は、
私にとって大切な思い出。
ちゃぴがくれたたくさんの言葉が
今の私に繋がってる。
私の人生を生きること。
めげずに頑張るから。
どこかで見ててね。
拝啓、わたしのちゃぴ
終




