20 馴染んで慣れて、深みにはまっていく
雨の音がする。乾いた世界のはずなのに、水の匂いと降りしきる柔らかな雨の音がする。
その雨に濡れた頬に手を当てて、私はまた目を覚ました。
「……これで四日目か」
一番初めに、雨の降る夢を見た後から、私は毎晩雨が降る夢を見ている。
それが一体どういう意味なのか、皆目見当がつかないって奴だけれど、世界が渇いているせいで、余計に雨が恋しいのかな、と思ってしまう。
おかみさんの所にいた時は、雨ってあんまり好きじゃなかった。洗濯物は全然乾かないし、雨だから傘をさして仕事場に行かなくちゃいけないし、水たまりで靴を濡らすし、雨だとギルドの酒場にたむろする冒険者の人たち、すごく増えたから、その対応で余計に忙しかったし。
なのに乾ききった場所に来て、雨が恋しいなんて、現金な私だ。
そんな事を思いつつ、ごろりと寝返りを打つと、やっぱりあの男が隣に寝転んでいる。
目を閉じているけれど、これで寝入っていると思うのは甘い。
この男、めちゃくちゃ眠りが浅いんだ。まるで野生動物って位にすぐ目を覚ます。
私が寝返りを打った事で、この人たぶん意識が覚醒している。
そんなの思いつかなかった数日前に、寝てると思ってうっかり
「寝てても怖い顔に見えない……皆何を見ているんだろう……」
って彼の目を閉じた顔を見て、真剣に独り言を言った結果、それを聞いた彼が爆笑して、私は顔から火が出そうになった。
ああいう他人への評価って、誰かに聞かれる事を想定していない時は、相当恥ずかしい物だって、改めて実感したんだ。
そして彼は笑いに笑って、それから、私の頬に唇を当てた。
もう、あんまりにも自然な動作だったから、何が起きたのか理解する前に顔が離れて、彼の匂いが近いままで、彼はじっと私の顔を覗き込んでいた。
「……何か、ついてる? まさか私よだれの跡があったりするわけ!?」
流石にこの歳になって、よだれの跡があるとか、なかなか他人に見せていい顔じゃない。慌てて口元をこすると、彼は首を振った。
「……俺に馴れてきたな」
「……ええと」
「最初は尻に火が付いた兎か思うほど、慌てふためいて寝台から飛び出そうとしただろう」
「……」
事実を指摘されて、私はもごもごと口を動かした後、開き直ってこう言った。
「それで転んであなたに抱えられちゃ世話ないわ」
「確かにそうだな」
私の言葉に彼は納得した様子で頷いて、私はそこでほっぺたにキスされたという事実に思い至り、かっと顔に血が上った。
「……何でキスしたの」
血が上って、思わず問いかけた疑問に、彼は柔い顔をして聞いてきた。
「唇の方が情緒があったか」
「そういう話をしているんじゃなくって……」
「お前はそういう経験が少ないだろう。見ていればよくわかる。俺はこわばって怯える女を、好き勝手する趣味は持ち合わせていない。だが」
彼はそう言い、体を動かして、まるで寝転がったままの私にのしかかるように体勢を変えて、私の顔に自分の顔をぎりぎりまで近付けた。
金色の、超高温の溶けた黄金が流れる瞳が、私を見つめている。
見つめているというよりも、何かを測っているような視線だった。
私は素直にその目を見返していた。よくまあ、こんな珍しい瞳の人がいたものだ、と何度目かわからない事を思いつつ。
見返したまま、怖いとかそういうのは何にも思わなかったし、表情とか態度とかにも出なかった私を見て、彼が一つも表情筋を動かさないで、言葉を続けた。
「俺に馴染むおまえは好ましい」
直截な好意の言葉って奴に、私が目をぱちくりとさせているのに、彼はまだ続けた。
「俺に染まり切ったお前を、暴くその日を俺は楽しみにしている。まだ馴染ませる必要があるがな」
「えーっと……そういう事をしたいの」
「考えろ。泣きもわめきも失禁もしないで、俺を見上げて頬を染める女が無抵抗で寝ているんだぞ」
据え膳もいい所だ、と彼は言った。でもまだそれに食らいつく時ではないって言いたそうだった。
この人の理性ってどうなってんだろう。……それとも、それ位私が大事にされているって事なのかな。
「私を大事にしてるの」
言いたい事を素直に言った。聞きたい事をまっすぐにぶつけた。
それはこの人が、私がそうでいいと言ってくれたから、言える事だった。
この問いかけに対して、彼はこつり、と私の額に自分の額を合わせた。
眼はまだそらされないし、私も逸らしてない。
「そうであって、何が悪い」
当たり前の事を当たり前に言っている声だった。そんな風に、何の打算もない感じで、大事だって言われたのは、新鮮だった。
新鮮過ぎて、思わず言った。
「あなた童貞?」
それにしばし、彼は目を瞬かせて、呆れたようにこう言った。
「欲を吐き出す相手は、この身の上だ、いくらでもいる。だがこうして、顔を見合せてどうでもいい会話をする相手はいなかったからな。俺も久しぶり過ぎるのか、どうにもお前の前では浮かれる」
浮かれた態度じゃないんだけどな、でもこの人の浮かれた運転がこの状態なんだろう。
……私で浮かれるっていうこの人に対して、ちょっとだけ口元が緩んだ私がいた。
そんな数日前があったから、私は聞かれて恥ずかし独り言を、言わないようにして、欠伸をした。
誰かが隣で寝ているって、けっこう無意識で気を使うと思ったけど、私の寝相はなかなか遠慮がなく、一回完全に上下さかさまで寝ていた。
その時は起き上がって現状が理解できなくて、驚いていたら彼が
「子供の寝相か? 上掛けが軽いと子供は寝相がすごくなるという話だが」
「いや、私十七だからさすがに」
なんて会話もした。
「……慣れてってるなあ」
男に。男のあれこれに。男のいろんなものに、私は慣れて、馴染んでいる気がする。
こんなに適応能力高かったっけ、私。
そうやって考えても、いやそこまでじゃなかったって言う判断ができるから、やっぱりこの人が例外なんだろうなという事で、納得する事にしていた。




