第三話
ミラーハウスは、見た目がアメリカンな木造平屋。
入り口に、ミラーハウスがなんなのかっていう看板があって、他に蔦が巻きついた、デブウサギのマスコットが突っ立ってるだけだった。
ミラーハウスの看板も、当たり前のように点滅してた。
俺はミラーハウスなんて聞いたことも入ったこともなかったから、看板でも見て事前情報でも仕入れようかなって思ったら、苔と土と錆にまみれてて、何が書いてあるのか判らない。
しょうがないから、パンフレットで確認するかってポケット探ってみても、見つからない。
まさか、落とした? って一瞬ひやっとしたけど、それはDにパンフレット渡してたのを、忘れてただけだった。
ちょっと聞いた話じゃ、ミラーハウスは鏡で出来た迷路ってことだったし、それなら中入って出口目指すだけだからいっか、って思ってさ。
だから、遠慮なく中に入ることにしたんだ。
俺「お、おおおっ?」
お邪魔します、なんて軽い感じで入って、マジで驚いた。
鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡……
俺が予想してたのは、ところどころに鏡があって、迷いやすくした迷路。だけど、中入った途端、鏡だらけ。
天井と床は普通だったけど、壁は全部鏡だった。所々くもってた気がする。
中は、点いたり消えたりしてたけど、照明もついてたし、風もあって、そんなに暑くなかった。
俺「すっげ……うわ、すっげえ!」
天井につくほどの長方形の鏡が、何枚も何枚も続いて、道を作ってる光景を想像して欲しい。俺は、すごいって感想しか出てこなかった。
そんな感じで、最初はすげえすげえ連呼してた。
だけど、迷路として遊ぼうとしたら、やたらストレスが溜まって仕方ないんだ、これが。
誰かと一緒ならまだしも、何がさみしくて野郎一人で鏡の迷路にいるんだって話でさ。
しかも、どこが直線で、どこが分かれ道で、どこが曲がれる場所なのか、本当に分かりづらかった。くもった鏡があっても、ちょっとした目印にしかならないし。
何回も曲がり角だと思ってフェイント食らって、鏡に突撃した。鼻血が出なかったのが不思議なぐらい。
そんな俺が頭押さえて痛がってんのを、全部の鏡が映してるっての、想像して欲しい。めちゃくちゃ虚しいし、馬鹿っぽい。
だから腹たって、鏡に殴りかかろうとしても、蜘蛛の巣や虫が這ってるのを見て、躊躇する。
んで、また鏡にぶつかる。鏡が痛がる俺を映す。鏡を殴ろうとする。鏡に虫が這ってる…の繰り返し。
俺「…………」
結局、ミラーハウスを楽しめたのは最初の数分だけだった。途中から無言で、黙々と迷路を攻略してた。それでも何度か鏡に激突した俺は悪くない。
そんなこんなで、あっという間に十数分経って、一つ、問題が起きたんだ。
右を見ても、俺。
左を見ても、俺。
前を見ても、俺。
俺、俺、俺……
俺「ああくそっ!」
完全に飽きて、入り口に戻ろうとしたのまでは良かった。だけど、入り口がどっちにあるのか、すっかり分からなくなってたんだ。
普通、後ろが今まで来た道なんだろうけどさ、この迷路は鏡ばっかで、俺の後ろにある道が、今まで通ってきた道なのか、それとも先に続いてる道なのか、全っ然分からない。
馬鹿にするかもしれないけど、本当に道が分からなくなるって。本当に。
俺「どうすっかな……」
一箇所に立ち止まってるわけにもいかず、彷徨うこと、しばし。
こうなったら誰もいないことだし廃園だし、鏡の二、三枚割って直進して進めば出口に…だなんて、我ながらアホで短絡的なこと考えだしてた時。
俺「……ん?」
あれ? 鏡に映ってる俺、おかしくね? そう、思ったんだ。
何がおかしいっていうのは上手く言えないんだけど、でも、何かがおかしかった。直感だったけど、違和感を感じたんだ。
だから、俺は立ち止まったんだけど、特におかしな音も聞こえないし、四方に並んだ鏡の壁も、普通に俺を映してるだけだった。
俺「なんか、おかしい、よな?」
異常はない、って分かった途端、逆に鏡が気になってきた。
通路の中央に立って、一枚一枚、鏡を見回していったけど、やっぱり普通の鏡だった。そりゃあ当然だよな。普通じゃない鏡を入れてどうすんだって話。
壁になってる右の鏡に映ったは俺を見てたし、続く正面の鏡も俺を見てた。
左側の、手前への曲がり角にある鏡も俺を見てたし、振り返れば、後ろにある鏡も俺を見てた。
なにも、おかしいところはない。その時は、そう、思ってた。
……後から知ったんだけど、曲がり角にあった鏡ってさ、俺を映さないんだよな。右手側の鏡を映すだけなんだよな。
もちろん、鏡張りの家に住んでるような人間じゃない俺は、そんなことに気付くわけもなく、気のせいだと思って、さっさと先に進んでいった。
でも、違和感がどうしても消えなかった。やっぱり『何か』が気になってた。
だから、途中途中で合わせ鏡をしてみて、奥の奥の奥まで手を振ってる俺がはっきり映ってるのを確認したり、直角になってる鏡の左右に、二人の俺が大きく映ったり、小さく映ってるのも確認したんだ。
ただの鏡に、ここまで固執するなんて馬鹿じゃね? って思うだろ?
けど、どうしても、どうしても気になったんだ。
この、ミラーハウスに置いてある鏡、何か変じゃないかって。
俺「だよな……やっぱり何もな…」
ミラーハウスに入って数十分、いや、それ以上経った頃だった。
そもそも、その時間で出口に抜けられないっていうこと自体おかしかったんだけど、あの時の俺は、もうそんなこと考えてる余裕なんてなかった。
ひたすら、鏡から感じる違和感がなんなのか、確かめようとしてた。
俺「………え? は?」
それで、とうとう気付いた。
ふと見た鏡に映った俺が、笑ってた。
見間違えじゃない。間違いなく、口元歪めて、ここにいる俺を馬鹿にしたように笑ってた。
俺はそんな鏡を前に、驚いて顔が強張ったはずなのに、鏡に映った俺は、間違いなく、笑ってた。哂ってた。
なんで? どうして? 何かのトリック?
呆然と哂い続ける俺を前にして、その嘲弄の視線から逃れようとして、俺は、振り返ったんだ。
…そんなこと、しなければ、良かった。
俺「う、うそ……だろ……」
今まで続いてた通路が、なかった。ここに来るまで通った道も、なくなってた。
最初からそうだったみたいに、俺は鏡に囲まれてた。
鏡に映った『俺』の全部が、俺を見て、哂ってた。
俺「う、うわああああああぁっ?」
びっくりした、驚いた、とか、そういうレベルじゃない。一瞬でパニックになった。
叫びながら、前にある鏡を叩いても、分厚いアクリル板をぶっ叩いてるような感覚で、手が痛いだけ。
でも、その時の俺は痛みなんて感じなくて、意味が分からないことを叫びながら、割れない鏡を叩き続けてた。
だから、そのぶっ叩いてた鏡の『俺』が、不気味な笑みを貼り付けながら俺に手を伸ばしたことも、周囲にいた『俺』が同じように手を伸ばしてたことにも、全く気付かなかった。
だから、俺の手が鏡から出てきた『俺』の手に掴まれたのに気付くことも、『俺』が俺を鏡へ引きずり込んだことに気付くこともなかった。
だから、俺がそれに気付いたのは、全てが終わった後だった。