ユリィになった私
はふう、と息を吐く。ホットココアがおいしい。今の季節は秋の終わり頃らしく、ちょっと肌寒いので、私は暖炉の前に陣取って暖まっていた。
時間は夕暮れ時。家族が急いで連れてきた医者を、やっと帰した所だった。
私が、「ユリィ、って誰ですか?」と首を傾げた時の周りの反応は凄まじかった。まず、私の顔を覗きこんでいた女性が酷く心配そうな顔になり、「ユリィはあなたでしょう!」と叫んだ。隣にいた男性は「一体どうしたんだ、ユリィ。どこか悪い所でも打ったか?」と聞いてきた。周りには、その二人以外に似た服を着た男女が数人、心配そうにこちらを見ていた。
だが、そこまでは良かった。上手く誤魔化して流せば良かった。しかし、狼狽えていたのは私も同じ。いきなり知らない人達に矢継ぎ早に問い詰められれば、狼狽えてしまうのも、わからなくはない。
あそこで黙っていれば良かったのに。
私は、只でさえ狼狽えている周りの人達に、余計な波紋を生む爆弾を投下してしまったのだ。
「待ってください。あなた達は誰ですか?それに……ここは、どこ?」
その時、私はとてもびっくりしていた。不安でもあった。それに、見たことがない服装で、顔立ちから見ても、日本人ではなかった。それはわかる。仕方ないことだとわかる。
それでも、何度言い訳をしようと、余計な一言であることに変わらないだろう。
案の定、周囲はどよめいた。女性は息を呑み、悲痛な声で「ユリィ、私よ、メイアよ!一体どうしてしまったの!」と叫び、私を抱き寄せ、男性は「誰か医者を呼べ!すぐだ!」と怒鳴り、使用人らしき人達が数人駆け寄って、口々に「ユリィお嬢様、どうなさったのですか!?」や、「ユリィお嬢様、私です。エーリュです!」などと言い、大混乱に陥った。周囲が大袈裟な位あわてふためくので、私はすぐに冷静になった。そして、すぐに、何故もっと早く冷静になれなかったのか、と後悔した。
その後、使用人に引きずられるように駆け込んできた医者に診てもらった結果、階段から落ちて後頭部を強く打った為、一時的に記憶喪失に陥ったようだ、と診断され、一時的な形で収まった。
「エーリュさん、ココアのお代わりが欲しいんですけど」
「エーリュ、とお呼び下さい、ユリィお嬢様。今、お注ぎいたします。」
濃い緑の髪にクリーム色の瞳のこの女性は、エーリュというらしい。他にも、私付きの使用人として、ルノー、クレア、ミレイという三人の側仕えがいるらしいが、使用人は周りに沢山居たので、顔と名前が一致しない。エーリュは、私と最も仲が良かったらしく、一緒にいれば何か思い出すかもしれないと言われ、付けられた。
エーリュは、きっかけがあれば何か思い出すのではないかと、色々な物を引っ張り出してきたのだが、どれもこれも見知らぬ物ばかりで、これは何だ、とか、何に使う物だ、とかそんな話にしかならず、物をきっかけに思い出させることは一旦諦めたらしい。
今は、こんなことになる前の状況、現在の状況などを確認していた。
ユリィの記憶は持っていないから、転生じゃない……よね。なら多分、入れ替わっちゃったのかな。それなら、なんとなく想像はつくし。
実は、歩道橋にいた時、階段近くにいたことを思い出したのだ。あの時は雨も降っていたし、お茶のぬくもりに気をとられ、滑って落ちても不思議はない。でも、何故か、原因がそれだけにしか思え無かった。歩道橋にいた時の状況、さっきまでのユリィの状況、よく似ている所があるのだ。
階段から落ちて頭を強く打ったこと、秋の終わり頃で、雨が降っていて寒いこと、それからもう一つ。浮かれていたこと。
これも、さっき思い出したのだのだが、私が歩道橋を渡っていたのは、帰宅時のことだった。学校の予定で、明日から一週間程、休校になるので、それに浮かれていたと思う。そして、ユリィの方は、二週間後、近隣で舞踊コンテストが開催されるらしく、張り切って練習していたらしい。そして、張り切り過ぎて、踊って階段から落ちたらしい。因みに、ユリィは最近はずっと浮かれっぱなしだったそうで、突然転んだりぶつかったり、階段を落っこちたりなんてことは日常茶飯事だったらしい。周りからしてみれば、動かないと思ったら記憶喪失に陥っているものだからとても驚いたそうだ。
まあ、私からして見れば、そんな頻繁に転んだり落っこちたりしていることに驚いたよ……。
いきなり廊下で踊りだすユリィを見て止める人はいなかったのだろうか。そもそも、練習場所でない所で、歌って踊って、なんてしてたら邪魔になるのは必然だ。止めなかったことの方が不思議だ。
うーん、と思考に耽っていたら、ドアの向こうからノックが聞こえた。
「ユリィ、メイアよ。入っていいかしら」
私がエーリュに合図を送ると、ドアが開かれ、華やかなバーミリオンレッドの髪にコバルトブルーの瞳の、気の強そうな女性が速足で向かってきた。
「ユリィ、どう?何か思い出した?」
明るい青の瞳が不安そうに揺れる。ユリィのことを相当心配しているのだろう。それでも、先程と同じ答えしか返せないことに罪悪感がちくり、と胸を刺す。
「ごめんなさい。まだよくわからないです。」
「ああ、そんな顔をさせたい訳じゃないのよ、ユリィ」
しょぼんと落ち込む私を見てメイアが気を使う。メイアは、本当に良い姉なのだろう。優しさが痛い。
メイアは4歳年上の長女だ。ユリィをとても可愛がっていたそうで、エーリュと同じ位仲が良かったそうだ。何故、エーリュと一緒に居なかったかと言うと、私がメイアを知らないと言った直後、パニックを起こし私を抱き締めたまま号泣したので、落ち着くまで引き剥がされていたからだ。
ユリィの家族は8人という大所帯で、姉が一人、兄が二人、両親、叔父、祖母と大勢いる。目が覚めた時、メイアと一緒にいたのが、次男、ナルジスだ。
ホットココアをコクンと飲んで、窓の外を見た。もう雨は止んでいるが、外は暗い。
何を言おうと、これから私はユリィとして生きていくのだろう。見たことがない異世界に来てしまったけれど、新しい家族は優しそうで、家庭もそこそこ裕福だ。ある意味幸運かもしれないと考えれば、それほど苦ではない。過ぎた事は掘り返しても仕方ない。美織として生きてきた世界の気掛かりもあるが、私はユリィになったのだ。これからユリィとして生きればいい。
メイアに呼ばれてカップをエーリュに渡し、席を立った。
ユリィの周りの人達の、紹介回でした。美織、以外と適応力が高いです。
次はお家の探索です。