中途半端な空
「イリヤ、よく来たね」
国王と王妃に出迎えられて、イリヤは王宮内の食堂に入った。
左肩の後ろには、まだ生々しい傷跡が残っている。普段は肩の開いたドレスを好んで着ていたが、これからはもう少し落ち着いたデザインのドレスを選ばなければならないなと思いながら腰を下げて挨拶をする。
「父上、母上、ごきげんよう。大変ご心配おかけして申し訳ございませんでした」
「本当に心配したわ。でもよかった」
「あぁ、大変だったな。ゆっくり食事をとろうか。おい、始めてくれ」
国王の合図で、給仕たちが一斉に動き出し、食事の皿を並べていく。
国王、王妃、イリヤの手元のグラスには、それぞれワインが注がれた。
「あら、ワインですか?」
「昼間からこんなご馳走、贅沢ねぇ。あなた、ありがとう」
「娘の快気祝いだ、今日はゆっくり楽しもうじゃないか」
国王も機嫌がよくグラスを空け、イリヤも恐る恐る口をつける。社交デビューの時に飲んだ以来、あまり飲んだことはなかったのだが、飲みやすい味と葡萄の香りが口に広がる。
その後は、主にイリヤの山で体験したことを主に話が進んだ。ある程度は国王と王妃もウィスターから報告を受けていて知っていたようだったが、イリヤの話を熱心に聞いてくれていた。
深夜心細い中、ネコに助けられた話をすると王妃は目元を拭った。
「ネコと一緒に夜を明かしたなんて…」
「本当にイリヤは頑張ったんだな」
「はい、身体中痛くて寒くて…本当にあの穴ぐらには助けられました」
「そのあとはどうしたの?起きたらもう明るかったのよね」
「はい。起きたあとは川沿いに山を下って行きました。麓の町についたのは一時間くらいでしたでしょうか…」
「診療所で世話になったということだが、そこまではどうやって行ったのかい?」
「歩いてです。ちょうど麓で農作業をしていた町の方に教えていただきました。今思えばすごく怪しいですよね…。山から泥だらけの女が下りてくるなんて」
あの時の困惑した男性の顔を思い出す。
イリヤ自身は必死だったのでなりふり構っていられなかったが、かなり恥ずかしい状況ではあった。
国王はかじっていたパンを置いて天井を見上げた。
「まぁ…まさかそれが我が国の王女だと思いもせんだろうからな。診療所やその町には何か褒美はやらんといけないな」
「そうね、イリヤの恩人ですものね」
「ええ、ありがとうございます。………あの、父上」
「ん?どうした」
「私は今後、どうなるのでしょうか」
ずっと聞きたくてたまらなかったことを口に出す。
国王はまた難しい顔をしたが、イリヤをまっすぐに見返した。
「どうなる、とは?」
「……今は王宮に戻ってきてしまいましたが、また、フェルディナへ行かなければならない、ということですよね」
「婚約は破談になったわけではないからな。ただ、アレキサンド国としては、フェルディナへ安心して送り出せる状況とは言えなくなった。王城に情報屋がいるという話もあるし」
ため息をついて腕を組んだ国王は、歯切れが悪かった。やはり難しくて悩ましい問題なのだろう。
「正直に言おう。ここでイリヤが死んでいた可能性もあるんだ。王城の中に情報屋がいて、そのせいで我が国の王女が死亡したとなれば事は甚大だ。今回はイリヤの運の良さもあってそれは免れているが、これはもはや外交問題だ。イリヤが切りつけた、攫おうとした男の行方も分かっていないし」
「……私が、殺してしまったのでしょうか」
「例えそうだとしても、フェルディナから責められる謂れはない。それだけのことをされたんだ、イリヤは何も間違っていないよ。そのための短剣だったろう」
イリヤはそっと自分の右手を掴んだ。
あの時、飛び散った赤。手に残った不愉快な感触。無我夢中だった、致命傷になっていたとしても不思議ではない。
ーーーいくら正当防衛とはいえ、人を殺した王女が、これから結婚なんてできるのか。
「私としては、フェルディナはイリヤに合った嫁ぎ先だと思っていたんだが。状況が変わってしまった。イリヤを振り回してしまって申し訳ない」
「父上のせいではありません、謝らないでください!」
眉を下げて謝罪をされ、イリヤは首を振った。
「私は、ここに戻ってこられて嬉しいです。父上や母上にまた会えて。けれど…ドレスや、色々、負担をかけてしまって申し訳ありません。私こそ謝らなければ」
「それこそイリヤのせいじゃないのよ。大丈夫よ」
「そうだ。イリヤは私たちの娘だからな、甘えていいんだよ。これからどうなるかは正直分からない。しかし、イリヤを、安全ではない場所に無理矢理送り込む事はしない。それが国益にもなることだと思っているよ」
「…はい」
「今はまだ分からないが、すぐすぐに決まるとは思えない。ゆっくり過ごしてくれ。夜会なんかも、無理して出なくていい。心身の回復が一番だ」
よかった。そんなことは口には出せず、イリヤはやっとの思いで頷いた。
「……ありがとうございます」
さすがにウィスターにも何か礼をしなければならないな。国王が独り言のように呟いた。
*
ワインでくらくらする。
少し飲みすぎたかもしれない、ふらつく足取りで頭を冷やそうと思ったのは自室近くの中庭だった。冬の冷たい空気が肌に心地いい。
イリヤはそのまま中庭のベンチに腰掛けた。
正直、国王からはすぐにでもフェルディナに行くようにと言われると思っていた。しかしよく考えてみれば、自分の身の危険は外交問題だというのは確かに納得できる話ではあった。
「でも、これから何をしろと…」
何にせよ、中途半端な状態であることに変わりはない。半ば恨み言のような独り言を吐いて空を見上げた。
今日は曇り空。分厚い雲の下に太陽は隠れているが、雨や雪が降りそうな天気でもない。何とも中途半端な天気だった。
「わたしと一緒ねぇ」
「何がですか」
急に振ってきた声に驚いて振り返ったが、その急な動きに頭痛が増した。
目線の先にいたのは欠伸を噛み殺したようなウィスターだった。
「びっ……くりした…頭いた…」
「殿下こそなぜこの寒い中わざわざ中庭にいるんですか。私こそびっくりしました。また熱でも出したいんですか」
そうだ、この男のこともあるんだったと頭を抱える。諦めようと何度も振り払ったのに、気付けばなぜかやっぱり近くにいるこの男。昨日まで散々見た顔なのに、やはり胸がちくりと痛い。
そんなイリヤの気持ちを知ってか知らずか、ウィスターはイリヤのベンチに近づいてきた。
「ん〜……ちょっとお昼からワイン飲んだの。頭いたい」
「あぁ、今日は陛下と昼食でしたね。何か言われましたか」
「ひとまずゆっくりしなさいって言われた…よかったぁ」
うまく舌が回らなくて子供みたいな話し方になる。
しかし、それを恥ずかしいと思う冷静さはどこにもない。
「フェルディナで私が危険な目にあったらそれこそ問題になるって…意外だなぁ。父上のことだから、外聞が悪いから行けって言うと思ってた」
「陛下を何だと思ってるんですか。貴女が我儘で駄々をこねているなら別でしょうけど、そうじゃないでしょう」
「そうなのね…。婚約のはなしの時も思ったけれど、ウィスターは父上のことよくわかるのね」
「素晴らしい方ですよ、国王陛下は」
ウィスターはベンチの背もたれに手をついて、遠くを見るような目をしていた。イリヤは首を上げて振り返る。
「ウィスターにお礼しなきゃって言ってたわよ」
「ははは、それは嬉しいですね。何にするか考えなければ」
「大体、ウィスターも疲れてるでしょう。今日はてっきり王宮には来なくてゆっくりしてるかと思ったわ」
「あのくらいで疲れ果てるような鍛え方はしてませんよ。診療所でもゆっくりしましたし」
ウィスターの黒髪が風になびいているのをぼーっと見る。
なぜそう思ったのかは分からないけれど、診療所や帰りの馬車の時よりも、少し距離があるような気がした。
「ねぇウィスター。わたし、…私ね、父上のお荷物にはなりたくない」
「……何の話ですか」
国王に言おうかと思ってやめた本音が、ぽろりと出た。怪訝な顔をするウィスターに、話し始めると舌は回らないながら、口は止まらなくなった。
「フェルディナへお嫁に行くのが親孝行だとおもったの。国のためなんて、大きいことはわからないけれど、父上も母上も喜んでくれて、寂しいしいやだったけれど、これでいいと思った。けれど、わたしはそれもできなかった」
「……」
「あんなに喜んでくれた両親を裏切って、事情を知らない貴族たちからはきっと言われるわね。『嫁ぐって言ってたのに、第一王女はいつまで国にいるんだ』って。『早く国のために結婚しろ、それを許す父上もよくない』って。私にできることは何もないわ。ただここにいて、何もしないだけ。私のせいでフェルディナとの関係も悪化するかもしれない。わたしのせいじゃないってみんなが言っても、それを知らない人は絶対いるの。そして、その人たちは父上と私を批判するの。仕方がないことかもしれないけど、すごくくるしい」
支離滅裂なことを言っていることは分かった。
分かったけれど、ワインが脳内に雲をかけたように覆っている。ただ次から次に紡がれる思いを、なんの精査もせずにそのまま口に乗せた。ウィスターはベンチの背もたれに手をかけた姿勢のまま動かない。
「このままフェルディナとの婚約が破談になったら…きっとわたしは一生お嫁にいけないわね。賊とはいえ、フェルディナの人間を一人殺したかもしれない王女、しかも身体に傷が残っているなんて、どの国も欲しくないわ。貴族たちにこっそり笑われて、役立たずと思われて、でも直接言われることはない。ただ、そういう空気というやわらかいトゲにずっと刺されるだけ。なんか、かなしくなっちゃった。でも、ここにこのままいられるのは本当はうれしい。だから、私は中途半端なの」
空を見上げる。曇り空は暗かった。
なぜウィスターにこんな話をしているかは分からないけれど、微妙な距離感が心地よかったのかもしれない。近いようで遠い距離が、妙に口を軽くさせた。
やや無言の間があった。
そして黙っていたウィスターが、イリヤの後頭部を小突いた。
「痛ッ!」
イリヤが後頭部を押さえて振り返ると、ウィスターは呆れた表情でイリヤを見下ろしている。
「いいじゃないですか、それでも」
「いいって、だからそうやって王家の評判を下げるようなことはしたくないの」
「下がりませんよ、そう簡単に」
そう言ってウィスターはニヤリと笑った。
「殿下次第ですよ、全て」
「私次第?」
「はい。私に対する態度を見ていれば分かります。貴女は、言われっぱなしで満足するようなお人ではない」
「……褒めてる?ばかにしてる?」
思わずイリヤが眉をひそめると、それにウィスターがまた面白そうにくつくつと笑った。
「まぁ、どっちもです」
「どっちも!?」
「はいはい、そういうところですよ。言いたいことは言う、負けっぱなしでは終わらせない。負けず嫌いなあなたは、貴族たちに笑われてお荷物と思われていても、きっとそれを黙って終わらせることはしません。ちゃんと突っかかって、間違ったことはちゃんと否定する。そういう人なんですよ、あなたは」
「…まぁ、それはそうかもしれないけれど」
「例え貴族にどう思われようと、王女でしょう。そういうことを言われたら叱ってやればいい。思う存分、怒り返したらいい。その権利も身分も、あなたにはある」
「なんか我儘な王女だと思われそうね」
「それでいいんです。例えなんと言われようと、殿下はその薄暗い嫌がらせに負けるような人間ではない」
ウィスターの言葉は、きっとものすごく褒めてくれている。
イリヤは何となく恥ずかしくなって、自分の膝に視線を下ろした。
「背筋を伸ばして、しゃんとしてろ。姫様はそれが似合う」
ウィスターの言葉を聞いていると、本当にそれで全てが解決するような気持ちになる。
背後ではウィスターが微笑んだ気配がした。
「そうして前を見ている我が国の第一王女はとても格好いい。私はそう思います」
ーーーーあぁ、こういうところだ。
直接「私は味方です」とは絶対言わないくせに、それよりも大きな言葉をくれる。イリヤが負けそうになると常にこうして背筋を伸ばしてくれる。
こんなところが、ずっとーーーーー
「…ありがとう。貴方の言うとおりだわ」
イリヤはベンチから立ち上がった。
冬の風のおかげで、足取りはここにきた時よりもかなり軽い。
「ウィスターに励まされるなんて、私もまだまだね」
「…その自覚があるようで何よりです」
「馬鹿にするのか持ち上げるのか、どちらかにした方がいいわよ」
「まぁまぁ。でも、殿下。無理はせずに」
ウィスターの手がそっと伸びてきて、髪を避けた。その下には矢が刺さった傷跡が残っている。ウィスターが一瞬痛そうな顔をした。
「…無理をしない第一歩として、まずはお部屋に戻って暖かくしていただけると私は安心です」
「もう、分かったわよ。過保護なんだから」
少々憮然としながらベンチを立ち去る。別れ際、「ありがとう」と呟いた。
その声が届いたかどうかは分からないが、ウィスターはまた楽しげに笑っている気配がした。




