雪解けのピクニック
長く厳しかったファルガルド砦の冬が、ついに終わりを告げた。
分厚い雪は暖かな陽射しに溶けて清らかな小川となり、砦の周囲を囲む森には、淡い薄紅色の花を咲かせる『陽桃の木』が、春の訪れを謳歌するように満開に咲き誇っていた。。
「……ルシェラ。今日の午後は、すべての執務を休みにする」
「えっ? ですがソルスティス様、春の軍事演習の計画書がまだ……」
「皆にはもう伝えてある。お前は今すぐ、外で食べるための『弁当』とやらを用意しろ。……二人きりで、春を迎えに行くぞ」
有無を言わさぬ、しかしどこか弾んだ声で宣言され、私は慌てて厨房へと駆け込んだ。
急遽な二人きりのお花見ピクニック。
領主様からの突然の甘い命令に心臓を跳ねさせながらも、私の料理人魂は春の暖かさに負けないほどの熱を帯びていた。
(外で食べる最高のご馳走……。片手で手軽に食べられて、なおかつ春の恵みを限界まで詰め込んだ、極上の逸品を!)
私が選んだのは、前世のピクニックにおける最強の主役。
――『サンドイッチ』だ。
まずは主役となるパン。今回は、キメが細かくほんのり甘い『白麦パン』を薄めにスライスし、表面がサクッとする程度に軽く両面を炙る。
次にサンドイッチの味を決定づける「魔法のソース」の錬成だ。
風切り鳥の卵黄に、果実酢、塩、そして野生のマスタード(錬金材)……。そこに、癖のない純植物油を少しずつ、ひたすら分離しないように混ぜ合わせて……!
シャカシャカシャカッ! とボウルの中で泡立て器(特注)を振るう。
黄色かった液体が、徐々にもったりとした純白のクリームへと変わっていく。卵と油が奇跡の乳化を果たした万能調味料、『マヨネーズ』の完成だ。
さあ、いよいよ具材のビルド(構築)である。
炙ったパンに特製マヨネーズをたっぷりと塗る。
第一の層。雪解け水を吸って育った、瑞々しく甘い『春結び葉』をたっぷりと敷き詰め、その上に薄切りの『赤玉果』、そしてカリカリに焼き上げた極厚の『グリス豚のベーコン』を乗せる。
ここで一枚、マヨネーズを塗ったパンを挟む。
第二の層。香草でマリネしてしっとりと焼き上げた『風切り鳥の胸肉』のスライスを重ね、さらにその上に、黄身がトロトロの『半熟目玉焼き』を鎮座させる。
最後に一番上のパンを被せ、上からギュッと優しく、しかし体重をかけて全体をプレスする。
具材同士がマヨネーズを接着剤にしてピタリと密着したところで、鋭く研いだ包丁で対角線にザクッ、と切り分ける。
次に茹でた卵を殻を剥いて(お湯につけながら剥がすように)そして殻を剥き終わったら、潰していき、胡椒(高級錬金材)と塩、先ほど作ったマヨネーズも加える。
最後はサンドイッチの具材の王様。塩漬けの、永劫回遊の殉教魚。もといカツオを身だけにして、ほぐして、油とマヨネーズを加えていく。ツナといえば、マグロよりカツオ派。タマネギなしのこだわりで作っていく。塩漬けなので、バッチリ。塩なしも考えたが、前世のいまいち具合から独断却下。
「よし……! 完璧!」
我ながら美味しいそう!
まるで春の景色そのものを四角いパンの中に閉じ込めたような、色鮮やかな『三段重ねの箱にサンドイッチ』を詰め、私は急いで待ち合わせの場所へと向かった。おっと、その前にエルテア特製のハーブティーを忘れずに。
まさに正真正銘『魔法瓶』を鍛冶職人に特注してもらっていて、これが中々、私のワガママ再現度が高くて最高だった。
────
砦から少し離れた、陽桃の木が立ち並ぶ見晴らしの良い丘。
敷かれた厚手の絨毯の上で、ソルスティス様は春の微風に目を細めていた。
「遅くなりました、ソルスティス様! お弁当、できましたよ!」
「……待っていたぞ。外で食べる食事というのも、悪くないものだからな」
「はい♪」
私が木箱の蓋を開けると、色鮮やかなサンドイッチの断面が顔を出した。
「また凄いな! これは。パンの間に、肉や野菜、卵、ん? 魚か!? 」
「これがクラブサンド、こっちがエッグサンド、こっちがツナマヨ』です。フォークもナイフもいりません。両手でしっかりと持って、すべての層を一度に、大きな口で齧り付いてみてください」
ソルスティス様は私の指示通り、分厚いサンドイッチを両手で掴んだ。
そして、少し躊躇いながらも、大きく口を開けてかぶりついた。
「…………ッ!!」
何重にも重なる快音が、春の丘に響き渡った。
ソルスティス様の琥珀色の瞳が、信じられないものを見たかのように見開かれる。
「な、なんだこの……複雑にして完璧な調和は達は!!」
彼は咀嚼しながら、興奮した様子で私を見た。
「炙られたパンの香ばしさと、春結び葉の弾けるような瑞々しさ! 赤玉果の爽やかな酸味が口いっぱいに広がったかと思えば、直後にベーコンの暴力的な脂と燻製の香りが襲いかかってくる!」
彼はすかさず、二口目を猛然と食いちぎる。
「さらに、このしっとりとした魚の身と、とろけ出すソースのまろやかさ! これほどバラバラの個性を持つ食材たちが、なぜこれほどまでに一体となっているのだ!? 噛むたびに新しい味が弾け、決して飽きさせない。そして……」
彼はサンドイッチの断面を見つめ、唇についた白いソースを舌で舐め取った。
「この、全てを繋ぎ止めている酸味とコクのある奇妙なソース達! これが魔法の融点となり、肉の重たさを消し去り、野菜の甘みを極限まで引き出している! なんだこれは、ただ具材を挟んだだけではない……一つの完成された『芸術の小箱』ではないかッ!」
鉄血領主の完璧な食レポは、春の陽気の中でも健在だった。
彼はもう、領主としての威厳などかなぐり捨てたように、両手でサンドイッチを持って無我夢中で頬張っている。口の周りにマヨネーズがついてしまっていることにも気づいていない。
その子供のような食べっぷりが愛おしくて、私は思わずクスッと吹き出してしまった。
「お気に召して頂けて光栄です、我が領主様。口元、ついてますよ」
「と、特にツナマヨ? が気に入った!」
私が布で彼の口元を拭ってあげると、彼はあっという間に自分の分のサンドイッチを平らげ、満足げに深い息を吐いた。
お互いに景色を楽しみ、他愛のない会話を楽しみ、そして、サンドイッチを味わっていく。そして。
「……美味かった。冬の間の重たい食事から一転して、体に春の風が吹き抜けたようだ。お前の料理は、季節すらも私に運んできてくれるのだな」
彼はそう言うと、不意に私の膝の上に、コロンと頭を乗せてきた。
いわゆる「膝枕」の状態だ。
「も、もう! ソ、ソルスティス様、外ですよ!? 誰かが見たら……領主としての威厳が…さんq」
「誰も来ないように手配してあると言っただろう。……少し、このままにさせろ。春の陽気と満腹感で、心地よい睡魔が……」
彼の大きな体が私の膝の上で丸くなり、微かに甘えるような声を出している。
戦いから戻った、あの時の恐ろしい面影などどこにもない。私にだけ見せてくれるこの無防備な姿に、心臓がトクトクと甘い音を立てて早鐘を打つ。
薄紅色の陽桃の花びらが風に乗って舞い落ちてきた。
その一枚が彼の長い睫毛の上に落ちるのを、私がそっと指でつまみ取ろうとした瞬間。
「……ルシェラ」
不意に彼が目を開け、下から私の顔を真っ直ぐに見上げた。
「私の人生は、ずっと冬だった。血と鉄と氷に閉ざされた、味気ない夜のような景色だった」
彼の手がゆっくりと伸び、私の頬を優しく撫でる。
「だが、お前がここに来て、私の世界に色がついた。温かいスープが氷を溶かし、甘い菓子が心を解し……そして今、こうしてお前が、私に春を与えてくれた」
彼の琥珀色の瞳が真剣な光を帯びる。
「ルシェラ。秋の収穫祭で宣言したこと、覚えているな?」
「え、ええ……もちろん」
「夏の初めだ。……初夏に、王都から司祭を呼び、正式に婚礼の儀を執り行う。もう逃げられんぞ、私の愛しい春の女神よ」
それは春の陽射しよりもずっと温かく、甘いプロポーズの念押しだった。
私は頬を赤く染めながら、小さく、けれど力強く頷いた。
「はい。……一生、あなた専属の料理人(妻)として、世界で一番美味しいご飯を作り続けます」
私が微笑むと、彼は私の後頭部に手を回し、微笑んでくれた。
花びらが舞い散る春の丘の上。
これからは夫婦として、彼と共に歩んでいく。
きっとこの先も、私たちは喧嘩したりするかもしれない。けれど新しい食材を見つけたりしながら、どこまでも熱く、甘く、美味しい毎日を重ねていくのだろう。




