70:それは狂ったように(ヒロイン視点)
「え」
背中に感じた衝撃でわたしは気を失った。痛くて、熱くて……でも誰かのぬくもりを感じて……。そして気が付いた時に視えたのは、ガラスの埋め込まれた小さな四角い箱がたくさん並んでいて……その箱の中に無数の“わたし”が映っている光景だった。
『……なに、これ……』
まるで本物のように“わたし”そっくりのそれらは、泣いたり笑ったりと様々な表情をしている。だけど時々その顔がグニャリと歪んだりザーザーと音を立てて崩れていたりして、細切れのようになった“わたし”の顔を見て背筋がゾッした。
そんな“わたし”から目を逸らすと、次に視えたのはその並んだ箱の前に立つ2人の男の姿だ。2人はその場で立ち尽くして箱の中の“わたし”を見ながら眉を顰めている。
「せっかく悪役令嬢の人気が出てきたから、新しい追加コンテンツをアップロードしようと企画したのに……まさかヒロインのデータにバグだなんて!この企画は間違っていたのか……?」
「そんなことないですよ!悪役令嬢のキャラデザの人気がここまで急上昇するなんて予想外でしたけど、悪役令嬢の隠れファンも多いみたいですから友情エンドは絶対にウケますって!ただ、なんというか……まさかヒロインのデータを書き換えようとしたら悪質ウイルスに感染するなんて誰も思わないじゃないですか。……あぁもうこれじゃ、ヒロインがただの性悪女ですね。純真無垢の欠片もない……」
「こんなの発表したら、ヒロインファンが苦情を言ってくるだろうな。悪役令嬢救済ルートのはずがなんでこんなヤバいストーリーになってるんだ?勝手にゲームデータを書き換えて全く違うストーリーにするなんて……こんなウィルス聞いたことないぞ!せっかくシークレットキャラの情報を解禁した流れに乗ろうと思ったのに……」
「どうやってもデリート出来ないし、それならと別のデータベースを作ってそこに上書きしてるんですが……切り離してるはずのデータベースにも感染が広がってさらに酷いストーリーに書き換えられていくんです。警護システムも役立たずですよ、我が社のパソコンが全部乗っ取られました。このウィルスを作った奴は……ヒロインを憎んでいるとしか思えませんね。頭のおかしな元侍女がヒロインの本当の母親なんて無理がありますけど、ヒロインが1番嫌がる展開じゃないですか」
「それひと通り見てみたけど、どうやら元侍女はヒロインが姉と公爵の子供だと本気で思い込んで死んだ姉に復讐するために自分が母親だと刷り込もうとする……って設定になってたぞ。せめて母親の立場を乗っ取ってやればあの世で悔しがるだろうと思った。みたいな感じで……サイコパス過ぎてヤバいだろ。これのどこが乙女ゲームなんだよ。ホラーじゃないか」
「うちのゲーム会社への嫌がらせですかね?ほら、ニュースで流行ってるランサムウェアとか……でも身代金の要求はきてないしなぁ。それにしたって手が込んでますよ……このウィルスを作った人間は天才ですね。いや、なんかこれ……もしかして悪役令嬢とシークレットキャラのカップリング推しに見えなくもないような……。全く、ハッカーなんて辞めて自分のゲーム作って配信したらいいのに」
「バカ野郎、犯罪者を褒めてどうする!それに悪役令嬢とシークレットキャラは何の接点も無いはずなのにこの幼少期の出会いがすでに異常なんだよ!ヒロインじゃなくて悪役令嬢がシークレットキャラとハッピーエンドなんて俺の作りたかった乙女ゲームじゃねぇんだよ!……あぁもう!とにかく、どのみちこのデータは使えないな。残念だが今回のアップロードは中止だ。謝罪して他の企画考えて……くそっ、損害がどうなるか……」
「そ、そんな!それじゃ会社の今後が────」
男のひとりが大きなため息をついた時だ。突然、雑音の入った“わたし”の声がその場に流れた。
『“わ%#∑し”の名前はフィリア・ダマランス#$&&#≮。これでも男爵令※£∝∀*。
ねぇ、まさか“わたし”が公爵家の娘だっ多多多なんて!夢みたい!赤ん坊の頃に侍女によってすり替えられていたんで∂∋√β!今のお父様とお母様がニセモノ#%☆$∑悲しいけど……でも、ちゃんと真実を教えてくれた侍女の事は許すすすすすヮワヮわ。
悪役令嬢だって《《みんな》》が言ってたあの子が死んだノぉぉぉ。“わたし”を殺そうとシシシしていたせいで、みんなが怒っちゃっ$$$$@#%よ。だから“わたし”は悪くナナナァイわ。悲し∑#∀けど、でも、仕方ないイイイイイわよネ゙。“わたし”はあの子の分も幸せにォィォィォれが公爵令嬢として幸せにな≮#%$&あの子のためメメメ○∬∌≯……』
そして音声がプツリと途切れると、その場がシーンと静まり返った気がした。男たちが青褪めているのがわかる。わたしだってさすがに不気味だ。
「い、今の……ポルターガイストかよ。マジで?なんだよこのキャラデザ……。やっぱり恨まれてたんじゃ……いや、でも、俺らのおかげであいつの知名度も上がったんだし……」
「もしかして……このゲーム呪われてるんですかね。そういや、シークレットキャラの特集が発表された頃に女子高生が通り魔に殺されたってニュースやってましたし……その犯人がこのゲームのことを呟いていたって噂も……。だ、だからあんな事やめとけば……」
「お、おい!それはお前も共犯だろ?!確かにあのイラストレーターには悪役令嬢のキャラデザを使うの嫌がられたけど、騙してサインさせたのはお前が────」
ポチッ。
「ぶ、部長!今、何押したんですか……え、パソコンの画面……!」
「は?……な、なんで、指が勝手に……。おい、これ……このぶっ壊れたデータを世界中に配信してるぞ?!早く止めないと……!」
「と、止まりません!電源を落としても……ダメだ!止まらない!」
男たちが言い争っているその様子ををわたしは呆然と見ていた。彼らが何を言っているのかほとんど意味がわからなかったけれど、“ヒロイン”と言うのが“わたし”の事なのだと……それだけはなんとなくわかった。
そして、全ての箱の中の“わたし”の顔がマーブル状に歪んでいき……それが画面いっぱいになったと同時にわたしの意識はプツリと音を立てて消えた。
***
はっ!と、急に意識がハッキリとしてわたしは慌てて周りを見渡した。薄暗い部屋だがあの変な箱がひとつもない事にホッとする。
「今のなんだったの……?夢、よね?……そうだ、わたしあの王様に顔を掴まれて無理やりこの部屋に────」
せっかくセリィナを連れてきたのに、ルネス王がなぜか怒り出してわたしの顔面を掴んで引き摺られたことを思い出して痛みを感じる頬を擦っていると……気が付いてしまったのだ。
この部屋にいるのが私だけじゃないことに。
「やぁっと会えたわ」
ニタリと口の端をつり上げたのは、わたしを貶めた原因の元侍女で……その口からはまるで呪いの羅列のように言葉を溢れさせてきたのである。
「あたしがあなたの本当の母親なの……!」
「あなたはあたしから産まれたの……!その体にはあたしの血が通っているの……!」
「な、何を言って……」
そんな事なんて信じない。そう言ってその女に掴みかかった。抵抗されて、殴られて……そしてずっと「あたしが母親だ」「お前はあたしから産まれた」と、何度も何度も洗脳するかのように叫んでくる。
わたしはだんだん訳がわからなくなり……気が狂いそうだった。
「いやぁぁぁぁあ!!」
そこから“わたし”の世界は早送りのように感じられた。“わたし”はこの女を殺して部屋の外へ飛び出すとルネス王を見つけ……拾った剣をその背中に刺してやったのだ。そしてあの赤い髪の奴も“わたし”を馬鹿にしてるんだと思ったら悔しくて、だからこいつもルネス王と同じ目に遭わせてやろうと思った瞬間。
「────セリィナ・アバーライン!キサマは僕が殺してやる!」
「え」
またもや背中に同じ衝撃を感じた。痛くて、熱くて……でも誰かのぬくもりを感じる。そうだ、さっきもこんな風に感じて気を失っ────。
『……うそ』
そして再び気が付いた時に視えたのは、ガラスの埋め込まれた小さな四角い箱がたくさん並んでいて……その箱の中に無数の“わたし”が映っている光景だ。2人の男が言い争っていて、箱の中の“わたし”が歪んで……。
『……繰り返してる、の……………………?』
それは、何度も何度も。その瞬間だけを永遠に繰り返す。




