64:悪役令嬢と終焉の刻
最後に見えたライルはいつもと同じ優しい微笑みを浮かべていた。どんなに手を伸ばしても届かない。どうして……。
「ライル────…………!」
「セリィナ、目が覚めたのね?!」
「よかった!何日も目を覚まさないから、どれだけ心配したか……!」
伸ばした手が宙を彷徨うと同時に目が覚める。私の左右にはそれぞれ同じ顔……お姉様たちがいて私を抱きしめてきた。
「……お姉様たち……?ここは……。そ、うだ……ライルが────!」
「落ち着いて、セリィナ!」
「そうよ!あなたケガもしてるし、まずは自分の事を……」
「私の事なんてどうでもいい!」
私の事を心配してくれてるからこその言葉だとはわかっているのに、抱きしめてくる手が煩わしく感じて思わずそれを振り払ってしまった。
「だって、ライルが……!服が赤かったの!血が……!私を庇って、逃がすために……きっと刺されたんだわ!いっぱい赤くて……どうしよう、ライルが、ライルがぁ……!!」
パシィっ!
「!」
「ローゼお姉様?!セリィナの頬を叩くなんて……!」
取り乱して叫ぶ私の頬を打ったのは、ローゼお姉様の右手だった。そしてマリーお姉様が慌ててその手を掴むが、打たれた私よりローゼお姉様の方が痛々しい顔をしていた。
「……」
私は初めての衝撃に思わず言葉を失ってしまった。そして、そう言えばあれ程いつか殺されると怯えていたのに……あの頃に手を上げられた事なんかなかったな。なんて、そんな場違いな事を呆然と考えていた。
お姉様たちはいつも私を大切に想ってくれている。それは全てを打ち明けてから嫌になるほど感じていたから、ローゼお姉様の手が震えているのもすぐにわかった。
「……ローゼお姉様…………」
「しっかりしなさい!ライルが誰を助けるためにそんな事になっているかわかっているの?!……全部、セリィナを守る為でしょう!?セリィナの為にライルは命を投げ捨てる覚悟でそんな事になったのに、そのセリィナが取り乱してどうするの?!」
そして、厳しい表情で私を見るローゼお姉様の瞳から涙が溢れたのだ。
「────あなたに何かあったら、ライルのした事は全て無駄になってしまうのよ?ライルを大切に想うなら、まずは自分を大切にしなさい!」
……そう言われて、初めて体の節々が痛いと悲鳴を上げていることに気付く。痛いということは体が生きたいと訴えているということ……そうか、私の体も限界だったんだ。
「……お姉様…………。でも、じゃあ、私はどうしたらいいの……?もう、わからない……なにもわからないの…………」
いつの間にか赤く腫れた頬が涙で濡れていて、このまま泣きすぎて枯れてしまうんじゃないかと思うくらいに涙が止まらない。
「……セリィナ。あなたが眠っていた間に、わかったことがあるの」
マリーお姉様がそっと私の手を握ってきた。その手もローゼお姉様と同じように震えていて、マリーお姉様は視線を足元へと落とすと静かにゆっくりと口を開いたのだ。
「……マリーお姉様…………?」
「……落ち着いて聞くのよ。まず、“ラインハルト・ディアルド”と言う名の男の死亡が確認されたと報告があったわ……」
「────!」
その名前を聞いた途端、私はヒュッと音を立てて息を呑んだ。だって“ラインハルト・ディアルド”という名は、ライルが私とパーティーなどに出席する時に使っていた偽名だったからだ。
「も……もしかして────ライルが?」
かすれた声を絞り出したが、声が震えているのが自分でもわかる。咄嗟にあの時に見た血塗れのライルの姿が脳裏に浮かんできた。
「……わからないの。ただ、報告書にあるのは赤い髪をした“ラインハルト・ディアルド”と言う名前の成人男性が死んだ。ということだけよ」
マリーお姉様は申し訳なさそうに首を横に振った。しかし握った手には力が込められていて、まるでそれが「真実だ」と言われている気がしたのだ。
「あの時、ライルが突然わたくしたちの前に現れたの。セリィナを助ける為に力を貸して欲しいと言って……。その結果、セリィナは助けられたけれどライルはそのまま戻ってこなかったわ。詳しい事は何もわからないの。セリィナを助けようと乗り込んだ影を覚えている?彼は毒にやられながらもセリィナがライルに助けられたのを確認して自力でその場から脱出したそうなのだけど、影によればライルは王子に刺された後に王子と兵士たちを倒しユイバール王と対峙していたと……でもその後はどうなったかわからないそうよ」
「……その“ラインハルト・ディアルド”については多少の情報が出回ってるわ。その者はユイバール国の王家の血を継いでいるかもしれない人物で、極秘でユイバール国の現王妃に保護されていたらしいとか、あの国では実は内戦が起きていてその“ラインハルト・ディアルド”を王妃の養子にして国王の首をすげ替えようとしているとか……。でもその情報すらもあやふやな物が多くてどれが真実かもわからないのよ。まるで誰かが裏で情報を操っているかのようなの。つまり、本当はライルがどうなったかも不明のままなのよ……」
「そんな……」
そしてその騒ぎのせいで国内が騒然としているらしい。確かに、閉鎖的ながらもかなりの力を持っているユイバール国の次代の王もなるかもしれなかった人間がこの国で死んだとなれば大問題である。
「わ、私が……っ。私がライルを探しに行くわ!ライルが死ぬはずないもの……!ケガをしていたからどこかで動けなくなっているのかも……」
「ダメだ」
やっぱり少しでも希望に縋りたくて立ち上がろうとした私を制したのはいつの間にかその場にいたお父様だった。いつからそこにいたのかは知らないが今はそんなことどうでもいい。
「お父様……!だってライルが────」
「“ラインハルト”なる人物は死んだ。一緒にパーティーに参加し、お前の婚約者だと噂されていた赤い髪の男は死んだのだ。それが真実なのだよ、セリィナ」
そしてお父様がパサリと音を立ててベッドの上に赤い色をした髪の束を落とす。それを見てお姉様たちが私から手を離すと、私は瞬きすら忘れてその髪の束にそっと指先で触れた。少し柔らかい、鮮やかなワインレッドの髪は濃い緑色のリボンで束ねられていて……それは私がライルにプレゼントとしたリボンだとわかってしまった。
「アバーライン公爵家は“ラインハルト”の死を確認して認めた。そして“ラインハルト”の死によって奴は公爵家の遠縁の田舎貴族の息子だと証明された。たまたまあんな髪色をしていたがユイバール王家とはなんの関係も無かった事がわかり、スリーラン王妃もそれを認めて下さった。全てはユイバール国王の勘違いだったそうだ」
「……」
私が髪の束を見つめたまま黙っていると、お父様は何も言わずに話を続ける。
「スリーラン王妃が王の首をすげ替えようとしているというのも単なる噂で、ルネス王が勝手に疑心暗鬼になり国王の座を守ろうとして“ラインハルト”を暗殺したと認めた。元よりルネス王の御落胤など存在しなかったのだ。だが勘違いにより他国の貴族を暗殺した罪によりスリーラン王妃はルネス王を王座から降ろし自身が新たな王となると決められた。迷惑をかけた“ラインハルト”の家とアバーライン公爵家には改めて謝罪をするとおっしゃってくださったのだ。あの傍若無人なルネス王がまるで別人のようにおとなしくなるとは驚いたがな」
「……その、“ラインハルト”がユイバール国と関係ないことはどうやってわかったのですか?」
「そうですわ。だってあんなに執着していたのに……」
お姉様たちが恐る恐るお父様に質問すると、お父様は大きく息を吐く。
「あぁ……どうやら証拠だと言っていた指輪の模様が違っていたらしい。とてもよく似ているが王家の者にしかわからない違いがあったらしくてな。単なるアンティークリングだったと判明したのだよ。……“ラインハルト”が死んだ後にな。なんともはた迷惑な話だ。────さぁ、これでこの話は終わりだ。明日には遠縁の“ラインハルト”の葬儀がおこなわれる。一応婚約者候補とまで言われた相手だから家族で参加して冥福を祈ろう。それで、全て終わる……わかったな?」
有無を言わさぬお父様の眼光にお姉様たちも素直に頷いていたが、私はただ……ずっと髪の束を見つめる事しか出来なかったのだった。




