53:それは希望か絶望か(ヒロイン視点)
その日はやけに蒸し暑い夜だった。いつもならひんやりとしている地下牢がまるでサウナのように感じて、滲み出た汗がいくつも頬を伝った。
わたしを貶めるすべてに復讐を誓ったあの日から何日経っただろうか。あれから両親だった人たちはもちろん、やっぱり王子もわたしに会いには来なかった。もう気持ちなんてとっくに冷めているし期待なんかしていなかったが……こんなに蒸し暑いのに、頭の芯だけはずっと冷え切っている気がした。
そして誰とも会話すら出来ない日々が続くと、食事を持ってくるだけの兵士たちの存在すらも毎日の楽しみになっていた。周りが静かなせいで耳がよく聞こえるようになった。ほら、今日も足音が聞こえてくる。
いつも二人組でやってくる兵士たちは暇を持て余しているのか、この地下牢に誰も近寄らないからと油断しているのか、酒場にでもいるかのように噂話を口にする。たぶんわたしが何も言わずに黙っているから余計に口が軽くなるのだろう。馬鹿馬鹿しい下世話な話が多いが今のわたしには大切な情報源だ。
「そういえば、他の国から王様が来たらしいぞ」
「ああ、異国の王だろ?俺らとは肌の色が違うってメイドが言っていたな。なんでも人を探しているとか」
「閉鎖的な国だって聞くが、この国に人探しになんて絶対訳ありだろ!実は犯罪者が逃げ出したとかだったりしてな!そうだとしたらその国の王様はとんだマヌケだ!俺だったら犯罪者を逃がしたりしねぇぞ!」
「おいおい、下手なこと言って誰かに聞かれたら懲罰をくらうぞ~!」
「ははっ!ここに誰が来るっていうんだよ!」
兵士たちが馬鹿みたいに笑って、そんな話をしながらわたしの前に食事を置いた。
「……」
わたしが何も言わずにその食事を食べ始めると、兵士たちは鼻で笑いながらその場に留まり話を続ける。たぶん誰かに聞かれたら処罰をくらうような内容なのだろう。ここならば気にせず話せるとまるでこの場を休憩所のように扱い、今では勝手にタバコまでふかしている始末なのだ。それにしても、それってわたしに聞かせてもいい内容なのかしらね?
だがそれは、わたしにとっては好都合だ。
とにかくここから出たかった。このままでは復讐なんて出来ないし、なにより惨めだ。だから、そのためなら自分の武器はなんでも使ってやると決めていた。その時のわたしにはなぜか自信があったのだ。必ずチャンスはやって来るはずだと信じていたから。
だからわたしは、そのチャンスを作るために行動に出ることにしたのだ。
「た、助けて……苦しいの……!」
わたしは食事中に苦しくなったフリをして手に持っていたフォークをサッと隠す。そして胸を押さえるとジタバタと暴れて見せた。
自分で服の胸元を引っ張ってはだけさすと「苦しい!苦しい!!」と大袈裟に胸元を掻きむしり、足を動かしてスカートの裾をめくれさせた。
「お、おい!どうしたんだ?!」
「急に暴れだしたぞ……もしかして毒、とか?」
「お、俺じゃないぞ?!王妃様からはまだ生かしておけって言われているのに……」
そしてタイミングを見計らって、あらかじめくすねておいたタバコの吸い殻をポロッと側に落としてみせた。それを発見した兵士たちの顔色が一気に変わるのを見て思わず笑いそうになったが必死に我慢する。
ほら、もう少し。
「も、もしかしてタバコが……確か、吸い殻の灰が直接体内に入ると毒だって聞いたことがあるような……」
「う、嘘だろ?!ちゃんと後始末はしてたはずなのにあいつの食事の中に落ちてたっていうのか?!こんなことバレたら俺たち……」
「と、とにかく早く胃の中のものを吐かせるんだ!食事に入ったとしても少量だろうし、吐かせて胃を洗浄すれば死にはしないはずだ!」
ほら、慌てた兵士たちが碌な確認もせずに鍵を開けて中に入ってきた。そして暴れ続けるわたしの体を押さえようと近付いてきた瞬間。
わたしはその兵士の腕を掴んで引っ張ると、隠していたフォークを兵士の眼球に突き刺してやったのだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「うわぁぁぁぁぁ!?お前、なんてことを……ま、待てぇ!」
わたしは全身に“赤色”を浴びながら混乱する兵士たちの隙をついて開けっ放しになっている牢屋の扉から逃げ出そうとした。しかし、後から入ってきたもう一人の兵士に捕まりそうになったのだが────。
「なかなか面白いことをやっているな」
ヒュッと、わたしの横を《《何か》》が通り過ぎた。《《それ》》が銀色のナイフだとわかったのは、兵士が《《それ》》を脳天で受け止めて倒れた後だった。
「……お前が噂の男爵令嬢か」
耳にざわりと纏わりつくような声が聞こえて、わたしは逃げ出すのも忘れて恐る恐る視線をそちらに向けた。そこにいたのは、赤い髪と紫の瞳をした怖いくらいに美しい男だった。
「……なかなか男を操るのが上手いじゃないか。まぁ、こんな浅はかな手に引っ掛かる程度の男しか相手にしたことなどないのだろうが見込みはありそうだ」
そう言って男が腕を手を動かすと、わたしの背後から「ぐぁっ!?」と潰れた蛙のような声が聞こえて、さっきわたしが目を刺した男が絶命したのだと見てはいないが確信していた。だって、この赤い髪の男から目が離せなかったのだ。
誰かに似ている。髪色も瞳も、この美しさも……。
「あ、あなた、なに……誰……?それに、その赤い髪……。あなたの事、どこかで見たような……そうだわ、いつもセリィナの隣にいたあの男に……」
肌や髪の色の濃さと言う違いがなければまるで生き写しだ。そして男は赤く汚れた手を差し出してきた。すでに乾いているそれは動かすたびにパラパラと剥がれて落下していくが、どうしてすでにそんなに赤く汚れているのかなんて気にしている余裕はなかった。
わたしが目を逸らせないでいると、男は妖艶な笑みを浮かべてわたしにこう言った。「お前が俺に協力するのならばここから出してやろう」と。
「え……?」
これは危険信号だ。頭の中の何かがこの男は危険だと知らせている。だってどう考えてもこの男は危ない人間だろう。もしかしたら絶望を与えに来たのではないか。そんな考えがよぎらなかったわけじゃない。
ああ、それでもその手を拒むことが出来ないのた。“だって”と、わたしは迷いなくその手を取った。
“だってこれは、神がくれた唯一のチャンスに違いないから”
わたしの本能が危険信号を消し去り、そう告げたのだった。




