46:わからない気持ち(ライル視点)
その日はセリィナ様の様子が明らかに変だった。
なんというか、いつもと纏う雰囲気が少し違っていたのだ。それに、表情は強張っているし頬なんて熟れたトマトみたいに真っ赤になっている。右手と右足を同時に前に出すなんて器用な動きまでしているが、その度にカクンカクンとよろけてコケそうになっていた。
体調でも悪いのだろうか?と本気で心配になった。あんなに真っ赤なのだから熱だってあるのかもしれない。
いや、それにしてもセリィナ様の部屋の前に待機している侍女たちは変化に気付かなかったのか……本当に熱がありそうならセリィナ様がアタシの前に姿を現す前に報告がありそうなのに、現時点では使用人たちはチラチラとこちらを見てくるだけで何も行動は起こしてこなかったのだ。いつもと何かが違う。そんな気もした。
そして体調も心配だが、セリィナ様の態度がなにか言いたい事があるような様子だったのでどうしたものかと戸惑っていると……なんと舌を噛んで座り込んでしまったのだ。
もしかして強く噛んでしまったのではないかと思って、怪我をしてないか確認をしようと小さな口の中を覗こうとしたら今度は「ひにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」とよくわからないけれどなんとも可愛いらしい叫び声をあげながらセリィナ様はどこかへ走り去ってしまったのだが……もしかしたらだけど……今、避けられたのかしら?
叫び声があまりに可愛くて一瞬動きが止まってしまったせいもあるが、抱きつかれるならまだしもこんな風に逃げられるなんて初めての経験である。
まさか、動揺するような衝撃的な“何か”でもあったというのか。しかし、最近のセリィナ様の変化と言えば夜中にベッドに潜り込まなくなったくらいのはずだった。まぁ、それは例の悪夢を見なくなったからだとしても……。
いつもなら特別に用事がなくても、まるで生まれたてのヒヨコのようにアタシの後を付いてきていたあのセリィナ様が。
膝の上に乗せて餌付けしたり甘やかしても恥ずかしがりはするが絶対に嫌がりはしなかったあのセリィナ様が。
なにか心配事があれば真っ先にアタシの元へ来て相談してくれていたし、髪を撫でて抱き上げれば頬擦りをしてきて抱きついたまま眠ることだってあったセリィナ様が。
「セリィナ様が、アタシを避けた……?」
自分で口にして、思った以上にショックを受けていることを思い知ってしまったのだ。これこそ重大事件である。
「おやおや、どうしたんですかライル。まるで今までベッタリくっついて離れなかったセリィナお嬢様に突然避けられてしまったからショックを受けているような顔をして」
「ロナウドさん……悔しいけど、まさにその通りよ。こんなにショックなこと初めてかもしれないわ」
耐え切れなかったのかニマニマと笑いを堪えた顔をしながらロナウドさんがやって来た。いつから見ていたのかはわからないが、セリィナ様が逃げ出した所を目撃されたようだ。
「アタシ、なにか嫌われるようなことしたかしら?」
「気になるならセリィナお嬢様に直接聞いてみればいいじゃないですか。おっと、顔を見せたら逃げられるのだったら聞きたくても聞けないですなぁ。残念残念」
ロナウドさんはなぜこんなにも楽しそうなのかのか。まぁ、思い当たることしか無いけれど。
「ロナウドさんったら……もしかしなくてもこの間、セリィナ様がアタシの膝から離れなかった事を根に持ってるんでしょ」
「……いいえ、別に。ソンナコトアリマセンヨー」
途端に真顔になって、ツーンとそっぽを向かれてしまった。しかもなんでカタコトなのかしら。
うーん……これはだいぶ根深い気がするわ。ロナウドさんってば、セリィナ様のこととなるとすぐこうなるんだから困るわ。
するとロナウドさんの背後にいつの間にか人影が現れたかと思うと、なにやら耳打ちをしてサッとどこかに消えてしまった。あれって公爵家が密偵として使ってる影よね?
「ライル。セリィナお嬢様なら、さっきの叫び声をお聞きになったローゼマインお嬢様とマリーローズお嬢様が瞬時に駆けつけて保護されたようですよ。どうやらローゼマインお嬢様の自室でお茶をなさるようですな」
「そう。それなら安し「と言うわけで」へ?」
にっこりと笑顔になったが目がまったく笑ってないロナウドさんの手が伸びてきてガシッと肩を捕まれる。見た目以上に力が込められているのかミシミシと骨が軋む音が聞こえてきた気がした。
「セリィナお嬢様になにをしたのか、じっくり聞かせてもらいましょうか?」
「お、お手柔らかに……お願いシマス」
どうやらアタシはお説教部屋に連行されることになってしまったようだ。ロナウドさんのお説教ってやたらと長いのよね……。
それにしても、セリィナ様はどうしたのだろうか。もしも嫌われたのだとしたら、やっぱり悲しいな。と、つい視線を落としてしまう。
「────そんなに落ち込まなくてもいいのでは?セリィナお嬢様だっていつまでもライルにひっついて歩くヒヨコのままではいられないと気付いたのでしょう。もう年頃のご令嬢なのですから、我々にはわからない事も増えてくるものですよ」
「……そうですね」
これまでは、セリィナ様の事ならなんでもわかっている気になっていた。セリィナ様の成長は嬉しいのに、それがどこか寂しいと感じるなんて執事としては傲慢だったのかもしれない。
そんなアタシの気持ちを察したのか、ロナウドさんの諭しながらも励ますような言葉が少しだけ胸に刺さった気がしたのだった。




