43:蘇った記憶(王子視点)
「アバーライン公爵家に婚約の打診をしました。すぐに返事がくるでしょうから、お前もそのつもりでいなさい。異論は認めません」
愛しいフィリアと引き離され、軟禁状態のまま部屋に閉じ込められて数日。これまで僕のやることにほとんど口を出さなかった母上が部屋にやって来たと思ったら、挨拶すらせずに氷のように冷たい目をしてとんでもない事を言ったのだ。
「は、母上……!何をふざけたおっしゃっているのですか?!アバーライン公爵家に婚約の打診って……まさかあのセリィナ・アバーラインと婚約しろなんて言うつもりではないですよね?!あんなキズモノと婚約なんて絶対に嫌です!」
思わず腰を下ろしていたベッドから立ち上がって反論すると、母上が無言で右手を振り下ろした。その手はバチン!と僕の頬を打ち鳴らし、僕はその衝撃にヨロヨロと床にへたり込んでしまう。
母上に殴られたのは初めてのことだった。
「ふざけた事をしたのはお前の方でしょう。自分が何をしたのかわかっているのですか?男爵令嬢を侍らしていたのは子供の遊びだと目を瞑っていたらまんまと唆されるとは情けない。あのような茶番劇を後から報告されたわたくしの気持ちを考えたことがあって?」
「そ、それは!父上があんな平民に爵位なんて与えるから上手くいかなかっただけで……!」
母上は僕とそっくりな見た目で僕を蔑むように見下ろすと、大きなため息をついた。
「……本当に愚かね。あの平民に叙爵しなければならなくなったのも結局はお前のせいでしょうに。国庫の中身の補充だけならばまだしも、アバーライン公爵からお前の“オイタ”の証拠まで見せられてしまっては了承するしかなかったわ。お前は危ない連中に金を渡してセリィナ嬢を襲わせようとしたのですよ?それをアバーライン公爵家から訴えられたらどうなると思っているの」
「そんなの、僕は王子なんですから!どうとでも……!」
バチン!!と、またもや母上の手が振り下ろされた。さっきとは反対側の頬をさっきより強く打たれる。爪の先が掠ったのかヒリヒリと痛み出し、恐る恐る自分でそこに触れると指先が赤く汚れていた。
恐ろしい形相となった母上は側で控えていた執事から愛用の扇子を受け取ると、それを両手で握り締め……僕の目の前で真っ二つにへし折ったのだ。
「その“王子”が!“裏社会に通ずる無頼漢の輩”に!何の罪も無い“公爵令嬢の暗殺依頼”を出したと露見したのですよ?!しかも平民の女に唆されて!!これがどうとでもなる案件だと本気で思っているのならわたくしはお前を地下牢に閉じ込めて二度と外には出しません!!本当なら廃嫡どころか王家の顔に泥を塗った罪で死罪だってあり得る程の事をしたのですよ?!」
そして無残な姿となった扇子を床に叩き付け、苛立ちをぶつけるようにヒールの先でグリグリと踏み付けた。まるで、次にこうなるのは僕だとでも言いたげな視線を向けてくる。
「……いいですか、ミシェル。お前に出来ることはセリィナ嬢を誰よりも愛して尽くす事のみ。1日でも早くセリィナ嬢を婚約者に据えますから何が何でも彼女を籠絡しなさい。アバーライン公爵をこれ以上刺激しないように、セリィナ嬢に愛される努力をするのです。あちらだって王家との縁は欲しいはず……あなたたちが婚約すれば王家とアバーライン公爵家が和解したと世間にも公表できます。しばらくすればみんな、あの茶番劇も忘れてしまうでしょう。これは王妃からの命令です、わかりましたね?」
「ははう「わかりましたね?ミシェル」……はい」
僕に有無を言わさぬ圧をかけて返事をさせると、母上は満足そうに頷いた。
「わかったならいいわ。────あの平民女はこちらで《《処分》》しておきます、野良犬に噛まれたと思って忘れてしまいなさい。それがあなたの為なのよ」
僕がどんな顔をしているのかなんて見もしないで、母上はそう言って部屋から出ていった。執事も侍女も全員いなくなると、僕はまだヒリヒリとする頬を撫でながら床に落ちたままの扇子に視線を向ける。踏み付けられてバラバラになった扇子はまるで僕の心のように見えた。
おかしい。こんなことはおかしい。
ガリガリガリ……とひたすら爪を噛む。噛みすぎて爪が無くなり、指先から血が滲んでくるが噛むのをやめられない。
母上は僕の為だと言った。しかしこんなこと納得出来るわけがない。僕があのセリィナ・アバーラインと婚約?あんな女を愛せだって?僕にはフィリアがいるのに……!ああ、それもこれもあの元侍女が嘘の話を教えるから……。
「まさか……」
その時、もしかしたらこれは全てあの女の目論見なのかもしれないと思った。
実はあの女は、最初から僕の婚約者の座を狙っていたのではないか。元を正せばあの元侍女だってアバーライン公爵家の関係者だ。例えば、セリィナが王子妃になりたいとわがままを言ったとしたらアバーライン公爵はどうする?あの溺愛ぶりだ、そのわがままを叶えるためにどんな汚いことだってするだろう。元侍女に嘘をつくように脅し、僕とフィリアが幸せな未来を夢見ている姿を嘲笑っていたに違いない。そうでなければ、あんなに都合良くセリィナを擁護する証拠ばかり揃えられるはずがないじゃないか。
僕とフィリアは嵌められたんだ────!
このままではフィリアと結婚出来ないし、あのキズモノが僕の婚約者になってしまう。それだけは嫌だ!あんな女と結婚するなんて考えたら気持ち悪くて仕方が無い。苦しむ僕を嘲笑うセリィナの姿を思い出すと憎しみのあまり余計にイライラが募る。もう噛むための爪はほとんど残っていなかった。
ああ、憎い……あの女が憎い!!フィリアを陥れようとするあの女が、僕の幸せを邪魔するあの女が。
僕の、僕を……、僕を殺したあの女が!
「あ、れ……?」
そこまで思いを巡らせて、ふと爪を噛むのをやめた。指先の皮膚は裂けてめくれ上がり、赤いものが溢れているのを見ながら僕は不思議な感覚になった。
なんで、僕はこんなにもあの女を憎んでいるんだろう?と。
確かにあの女は嫌いだ。公爵令嬢だからと男爵令嬢であるフィリアを馬鹿にし蔑むとんでもない悪女だ。キズモノで公爵家のお荷物な厄介者。貴族の恥。そんな噂もあり余計に嫌いだった。
だが、僕があの女と直接顔を合わせたのはデビュタントパーティーとあの断罪の場くらいだし、いくらフィリアからあの女の酷い所業を聞いていたからってなぜ僕があの女に殺されたなんて思ったんだ?
婚約者になるのは嫌だが、実際僕は生きているしあの女に刃物を向けられた訳でもな……い。
その時、ゾクリと背筋に冷たいなにかが走った。
「刃物……。そうだ、僕は首を刃物で……」
そうだ、僕は知っているのだ。僕の首を刃物が切り裂き血が吹き出る感覚を。あの女が手間取らせたせいで僕は捕まり、抵抗した時に刃物が……。
僕は後頭部を思い切り殴られたような衝撃に襲われた。怒りと悲しみと憎しみが入り雑じり気が狂いそうで血に濡れた指先で頬を掻き毟った。
「思い出した……思い出したぞ……!!」
僕とは違う“僕の記憶”が脳内で暴れまわっている。そうか、これは僕は前世の記憶なのだ。
前世の僕は、僕の信じる正義のために悪い人間を狩っていた。あの日だってそうだ。暗くなった路地裏に若い女がいたんだ。ああいう女は人通りの無い所に男を誘っては人を陥れようとする悪い人間だと決まっている。財布を盗まれたり、冤罪をかけられて脅されたり……とにかく碌なものじゃないと知っているんだ。
僕はそれまでも何人も悪い女を裁いてきた。でもこれは正義の裁きであって正しいことだ。だからいつも上手くやれていたし、警察に捕まることもなかった。
だかあの日は少しだけ違っていた。
裁きを終えてその女が罪の意識から動けなくなるのを確認していると、その罪人が持っている物が目に入った。
僕はそれを見て激昂した。
前世の僕はゲームが大好きだった。特に乙女ゲームに熱中していた。あの悪役令嬢という罪人を断罪するシーンはいつも最高の気持ちになれたからだ。地位や権力のある人間ならば大勢の前で人を裁いて殺しても誰にも咎められない。いつか僕もこうなりたいと願いながら夢中でプレイしていたくらいだ。
その女が持っていたのは、悪役令嬢の断罪シーンが無限にあって素晴らしいとその時1番ハマっていた乙女ゲームの最新情報が載っている雑誌だった。
僕が手に入れられなかったあの雑誌をこの罪人が持っていたのだ。あんな素晴らしいゲームの情報が載っている貴重な雑誌を、男を誘う小道具に使おうとしていたなんて……そう思ったら怒りがおさまらず、雑誌を奪い取りビリビリに破いてやったんだ。
でも、最後のページを破いていたら警察がやって来てしまった。
いつもなら罪人が罪を悔いて動かなくなったらすぐに立ち去っていたのに、予定外の手間のせいで警察に囲まれてしまったのだ。刃物を振り回し、自分の正当性を叫んだが警察は聞く耳を持たない。暴れて暴れて暴れて……。
そして、気がつくと僕の首は切り裂かれていた。
痛い痛い痛い!なんでこうなった?!なんでこんなことになったんだ?!
ちくしょう、あの女のせいだ。あの女が悪いんだ。恨んでやる。一生許すものか。
その時、なぜか上空からあの女に見られている気がして……血がさらに吹き出るのも構わず上を向き「許さないぞ」と呟いて……死んでしまった。
そして、今ならハッキリとわかる。あの時の悪い女は、セリィナだ。僕が死んでしまった原因である“悪い女”がセリィナの正体だったのだ。。
僕は、セリィナの前世である人間のせいで死んでしまった。だから、こんなにもセリィナが憎かったのか……。
セリィナはやはりとんでもない悪女だと、改めて理解した。あの女は前世での僕を死に追いやり、生まれ変わった今も窮地に追いやろうとしている。あの女は僕の敵だ……!!
僕はこれから何をするべきか。前世とは違う、地位や権力を持つ今の僕に出来ることを考えた。これ以上、あの女のせいで不幸になる人間を出してはいけない。僕が王子に生まれ変わったのはある意味運命だったのだ。
「今度こそ断罪してやる……」
あの悪役令嬢を“本当の意味”で断罪しなければいけないのだと、僕は思ったのだった。




