第6話 透視テストと等価交換
五月の遠足の日。行き先は県内の大きな森林公園だ。
大型バスの座席で、僕は窓の外を流れる景色を眺めながら、首筋にチリチリとした熱を感じていた。
隣の席では、悪友の健太がなぜか落ち着きなくモゾモゾと動いているが、問題は彼ではない。背後だ。
僕の真後ろの席には、真乃極先輩が座っている。
彼女は乗車してからずっと、僕の後頭部に向けて高出力の視線を照射し続けている。普通の人間ならプレッシャーで胃に穴が空くレベルだが、僕は冷静だった。
やはり、彼女は僕をモルモットにしたがっている。視線という不可視のベクトルを用いた、精神波攻撃でもしているつもりか。
僕は学生鞄から、昨日新調したばかりのキャンパスノートを取り出した。表紙には油性ペンで『エスパー育成防衛対策録』と記してある。
僕はペンを走り書きした。
『照射角、後方約四十五度。持続時間、すでに三十分を経過。僕の心拍数は平常時よりわずかに上昇している。まさか本当に能力持ち? いいやそんなはずはない。ただの気のせいだ』
今日から本格的に、彼女の視線や行動の物理的データを記録し始めることにしたのだ。
ふと、隣の健太が深いため息をついた。
「あーあ……なんで俺、お前の隣なんだよ」
「バスの座席はくじ引きという公平な確率論に基づいて決定されたはずだが。僕の質量が君のパーソナルスペースを圧迫しているなら、あと三センチほど窓側に寄ろう」
「そういう問題じゃねーよ。……はぁ」
健太の視線の先を物理的にトレースすると、数列前の座席で、女子たちと楽しそうにお菓子を食べている幼馴染のさくらの後頭部にぶつかった。
健太はさくらの近くに座ろうと画策していたようだが、見事に失敗したらしい。
「佐藤くん、未練がましい視線はエネルギーの無駄だ。諦めて睡眠でもとったらどうだ」
「うっせーな。お前みたいに割り切れるかよ」
健太は拗ねたように腕を組んだ。彼の非生産的な感情の揺れは放っておくとして、僕は再び背後からの精神波攻撃への防衛に集中することにした。
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森林公園に到着し、自由昼食の時間となった。
僕は木陰のベンチを確保し、持参した高機能プロテインバーと水で効率的な栄養摂取を開始しようとした。
「頼斗くん、ここ、いいかな?」
不意に声がして顔を上げると、リュックを背負った真乃極先輩が立っていた。彼女は僕の返事を待つまでもなく、物理的な抗力が働かない絶妙な距離感で隣に腰を下ろした。
「頼斗くんはお弁当、それだけ?」
「はい、真乃極さん。三大栄養素を最も効率よく摂取できる完全食ですから。咀嚼と消化にかかるエネルギーも最小限で済みます」
「ふふっ、相変わらずだね」
真乃極先輩は可愛らしく笑うと、自分の膝の上に風呂敷で包まれたお弁当箱を取り出した。
そして彼女は、その包まれたままの四角い箱を両手で持ち上げ、僕の目の高さまでスッと差し出した。
小首を傾げ、上目遣いで僕をじっと見つめる。
「どう?」
たった二文字の短い問いかけ。
僕は瞬時に脳内コンピューターをフル稼働させた。
中身が見えない閉鎖空間を提示し、「どう?」と尋ねてくる。これは明確だ。箱の内部構造を言い当てろという、高度な『透視能力』のテストに違いない。
「……なるほど。そういうことですか」
僕は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、弁当箱を鋭く観察した。
「風呂敷の結び目の沈み込み、およびあなたが持ち上げた際の腕の筋肉の緊張度から推測するに、総質量は約五百グラム。女子高生が好む一般的な弁当の統計データから算出すれば……白米が四割、残りの六割がおかず。十中八九、卵焼きとタコさんウインナー、彩りのためのミニトマトが配置されているはずです」
僕が完璧な論理で透視(推測)を完了させると、真乃極さんは目を丸くしてパチパチと瞬きをした。
「すごい……! 卵焼きとトマト、本当に当たってる! 中身、見えたの!?」
「統計と確率の問題です。非科学的な透視能力など存在しません」
僕がドヤ顔で言い切ると、彼女はなぜか嬉しそうに風呂敷を解き始めた。
「頼斗くんって、やっぱりよく見てくれてるんだね。はい、正解したご褒美!」
彼女は自分のお弁当箱から、綺麗な黄色の卵焼きを一つ箸でつまみ、僕の口元へと差し出してきた。
未検証の物質の直接摂取……!? いや、これは毒味を兼ねた心理テストか?
僕は一瞬警戒したが、無下に断るのも物理的な衝突を生む可能性があると判断し、手で受け取って口に入れた。甘めの味付けだ。
「美味しいです。ですが、真乃極さん。物理学における大原則、『等価交換の法則』をご存知ですか」
「え?」
僕は自分のリュックから予備の高機能プロテインバーを取り出し、彼女の卵焼きと質量およびカロリーが完全に一致するよう、目測で三分の一のサイズに正確に折り割った。
「質量保存の観点から、僕だけが一方的にエネルギーを受け取るわけにはいきません。これをどうぞ」
僕が高機能プロテインバーの欠片を彼女の弁当箱の隅にキッチリと配置すると、真乃極さんの顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
「ら、頼斗くんから、おかずもらっちゃった……!」
彼女は両手で頬を押さえ、体温を急上昇させている。等価交換を成立させただけなのに、なぜこれほど喜んでいるのか、僕の論理的思考をもってしても完全に理解不能だった。
「おーい、頼斗! こんなとこにいたのか」
不意に、能天気な声が降ってきた。幼馴染のさくらだ。
「あ、真乃極せん……さんも一緒だったんですね! 頼斗、あんたまた変な理屈こねて真乃極さん困らせてないでしょうね?」
さくらは僕の隣にズカズカと歩み寄り、遠慮なく僕の肩をバシッと叩いた。
その瞬間――周囲の空気が、急激に数度下がったような錯覚に陥った。
背筋にゾクッとした悪寒が走る。
視線を向けると、先ほどまで満面の笑みだった真乃極先輩が、お弁当箱を握りしめたまま、さくらに対して微かな、しかし明確な嫉妬のような念を含んだ鋭い視線を送っていた。
……来た! 感情の起伏によるサイコキネシスの暴走……!
僕は即座に立ち上がり、さくらの背後に回って彼女を盾にした。
「な、なによ頼斗!」
「静かにしろ、さくら。前方から不安定な精神波を感じる。君の質量五十キログラムを物理的障壁として利用させてもらう」
「はぁ!? 意味わかんない! ていうか私、四十八キロだってば!」
「誤差の範囲だ。動くな、シールドがブレる」
さくらの背中に隠れながら様子を窺うと、真乃極先輩は唇を少し尖らせて、ジッとこちらを見つめている。
まったく、非科学的な能力に振り回されるのは御免だ。僕は『エスパー育成防衛対策録』に新たなデータを書き込むため、頭の中で今日の出来事を論理的に整理し始めた。




