33
どうして、いま自分はこの部屋にいるのだろうか……。
ラリータはそっと指先で唇に触れた。
(……たぶん、夢だったんだわ……)
いま彼女がいるのは、村へ向かう前に与えられていた城の一室だった。
(あのあと……馬車の中で、何を話したのかしら……。いえ……会話なんて、なかった気がする……)
脳裏に浮かぶのは、断片的な記憶ばかり。
(私……教授と……キスを……?)
ラリータは唇に触れたまま、必死に馬車の中の記憶を探る。
(私からだった気もするし……教授からだった?……いえ、違うかも……)
あの場面を思い出すたびに、顔に熱が集まる。
(気がついたら……馬車を降りて、この部屋へ向かって歩いていた……)
足元がふわふわと心許ないのは、絨毯のせいなのか。それとも……あのキスの余韻が、まだ体から抜けていないせいなのか……。
同じところをぐるぐると巡るように考え続け、ぼんやりとしていると。
控えめなノックの音とともに、城の侍女が部屋に入ってきた。
「ラリータ・オーレアン様。ドレスのご支度に参りました」
「……ドレス?」
「はい。本日夜、親交の夜会が開かれます。……先ほど、別の者がご説明に上がったかと存じますが……」
侍女は少し困ったように首をかしげる。
(そういえば……何か……知らない人が来たような気がするわ……)
「お持ちのドレスがあるとのことですが、どちらにございますか?着付けのお手伝いをさせていただきます」
(……着付け……)
ラリータは、心ここにあらずといった様子で、先ほどからほとんど話を聞いていなかった自分を心の中で叱咤する。
「……夜会、ですか!?」
自分の声に、はっとして現実に引き戻される。
(まずいわ……シュバリエ殿下に会ってしまう……それに……)
……教授とも……。
その瞬間、また自然と頬が熱を帯び、ばら色に染まっていく。
(いま……顔、すごく赤いはず……)
ラリータの胸の奥が、また小さく、甘く、ざわめいた。
「とても見事な御髪ですね」
久しぶりの湯に身を沈めたあと、ラリータは浴室の一角で椅子に腰掛けていた。
背後から髪をとかす侍女が、感嘆を込めた声を漏らす。
いま、ラリータの肌にはほのかに甘い香油が擦り込まれ、赤い髪は一本一本、丁寧に櫛で梳かされている。
侍女は六人。
思わず数えてしまうほどの人数だった。
(……多すぎない……?)
「ありがとうございます……あの……」
鏡越しに侍女たちの様子を見ながら、恐る恐る口を開く。
「どうして、私に……こんなにも多くの侍女の方が付いているのでしょうか……」
以前、ドレスに着替えさせてもらったときは、確か二人だけだったはずだ。
それが今は、まるで物語に出てくる姫君のような扱いである。
侍女の一人が、控えめに一礼して答えた。
「殿下より、ラリータ様のお世話をするよう仰せつかっておりますので……」
静かなその一言に、胸の奥で何かがすとんと落ちた。
(……ああ……そういうこと……)
納得はできた。
だが、それと同時に、心が冷えていくのを止められなかった。
(教授は「大丈夫」と言ってくれたけれど……もし、ザイル陛下が国のために良い縁だと考えたら……私は、どうなるの……?)
思考がそこまで及んだ途端、先ほどまで胸を満たしていた高揚は、静かに沈んでいく。
香油の甘い香りも、櫛の心地よい音も、今のラリータにはどこか遠く感じられた。
夜会は、もうすぐ始まる。
けれどラリータの心は、その華やかさとは裏腹に、重く揺れた。




