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シュバリエは、そのまま帰ることにしたようで、馬に乗ると「ラリータ嬢、またな!」と言い残し、去っていった。
(いくら腹が立ったとはいえ……私ごときが、隣国の王太子に言っていい言葉ではなかったわね……)
落ち込みながら、とぼとぼと教会の中へ戻っていくと、すれ違う村人たちから次々と頭を下げられる。
この教会は現在、空気の入れ替えのため、窓が大きく開け放たれていた。
(……話、聞こえていたのかしら……)
少しの恥ずかしさと居心地の悪さを覚えながら、俯いたまま教授のいる部屋へ戻る。
「……ただいま戻りました……」
小さくそう言い、先ほどまで座っていた席へ戻ろうとした、そのとき。
「ラリータ……ちょっといいか」
こちらを伺うような様子で、教授に呼び止められる。
「あ……はい」
(さすがに叱られるわね。大失態だわ……)
「隣の部屋に来てくれ」
教授の後について部屋を移動する。
扉が閉まり、二人きりで向かい合った瞬間、教授が口を開くより早く、ラリータは深く頭を下げた。
「……教授、余計なことをして申し訳ございません……。陛下の親善訪問の一員として連れてきていただいたのに……隣国の王族であるシュバリエ殿下に、あのような無礼な言葉を……」
ベールの姿を視界に入れた途端、必死に堪えていた涙が、ぽろりと零れ落ちた。
自分の不甲斐なさ。
自国の立場を不利にしかねない行動を取ってしまったこと。
(……もう、私、帰ったほうがいいのではないかしら……)
そんな考えが頭をよぎる。
「いいのではないか?はっきり言って、偉かったぞ。村民の皆も、ラリータの言葉を聞いて嬉しそうだった」
「……いいえ……王族に向かって……たかが辺境伯令嬢が、あのような物言いをしていいわけがありません……」
涙を止めようと、必死に目に力を込めるが、思いとは裏腹に、次々と溢れて頬を伝っていく。
ベールは、そんなラリータの顔を見て、胸が少し苦しくなった。
彼女は、正義感が強い。
この現場を最初から知っているからこそ、貴族令嬢でありながら、常に村人の立場を第一に考える。
第一に俺のこと、第二に村人のこと。
普通、王族に不敬を働けば、牢に入れられてもおかしくない。
そんな未来など考えもせず、ただ村人の心を思って怒ったのだろう。
なんて、不器用な令嬢なんだ。
必死に涙を拭おうとしているその姿が、あまりにも不憫で、そして同時に誇らしくて。
気づけばベールは、強くラリータを抱きしめていた。
「……もう泣くな。大丈夫だ……」
ラリータにだけ聞こえるよう、小さく、子どもをあやすような声で囁く。
「う……うわぁぁんっっ!!」
その言葉を合図にしたかのように、ラリータは声を上げ、ベールの胸元にしがみついた。
泣きじゃくるラリータの背中に回した腕に、自然と力がこもる。
その小さな体が震えるたび、胸の奥がじくりと痛んだ。
「……殿下のことは、俺が責任を持つ」
低く、しかしはっきりとした声で、ベールは言う。
「シュバリエ殿下は、ああ見えて人の心を汲める方だ。今日のことも……きっと、分かっている」
ラリータは、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、恐る恐る顔を上げた。
「……本当、ですか……?」
「ああ。大丈夫だ」
その言葉に、ラリータの表情が少しだけ緩む。
「……教授が、そう言ってくださるなら……」
小さく息を吸い、吐く。
その仕草を見て、ベールはようやく腕の力を緩めた。
「……それと」
「?」
「俺の前でくらいは……もう少し、我慢せず、わがままでもいいぞ……」
ラリータはきょとんと涙に濡れた目を瞬かせ、そして、ほんのわずかに困ったように笑った。
「……それは、努力します」
その微笑みに、ベールは思わず視線を逸らす。
これ以上、抱きしめ続けたら、自分の理性のほうが危うい。
ベールはそっと腕を解く。
部屋の外では、村人たちのざわめきと、風に揺れる窓の音が静かに響いていた。
一日延長して薬を作り続けた結果、患者の数自体はまだ減らなかったものの、重症患者の数は圧倒的に減っていた。
「本当にありがとうございました。なんと御礼を申し上げればよいのか……」
教会には、村長をはじめ、看病にあたっていた者や村人たちが集まり、ベールとラリータの前に詰めかけていた。
「教授!ありがとう!僕のお父さんが助かったのは、教授のおかげだって言ってたよ!」
「赤い髪のお姉さん!お母さんを助けてくれてありがとう!」
ラリータの前に、まだ幼い女の子が立ち、そっと一輪の花を差し出す。
それは、その辺の野に咲いていたであろう花だったが、その小さな手に込められた気持ちが嬉しくて、ラリータは大きな花束を受け取ったときと同じくらいの喜びを胸に、その花を受け取った。
「ありがとう。とても綺麗なお花ね。大切にするわ」
ラリータは女の子と目線を合わせるようにしゃがみ込み、心から嬉しそうに微笑む。
その様子を、ベールはじっと見つめていた。
ラリ-タが立ち上がったと同時に、
「……では、帰るぞ」
ベールは静かに、しかし有無を言わせぬ声音でそう告げた。
「では、皆様……どうかお大事になさってください。さようなら!」
ラリータは片手に花を大切そうに持ち、もう一方の手を大きく振る。
名残惜しそうな村人たちの視線を背に、馬車へと乗り込んだ。
座席に腰を下ろすと、手の中の花をそっとハンカチに包む。
「……その花は、すぐに枯れてしまうな」
腕を組んだまま、ベールが視線だけを向けてぽつりと言う。
「いえ……押し花にして、一生の思い出として大切に保管します」
そう言って、ラリータはベールを見上げ、柔らかく微笑んだ。
「……ラリータ……お前、まだ婚約者はいなかったな……?」
「え……?は、はい……おりませんが……」
胸の奥がざわつく。
まさか……シュバリエ殿下の件で……。
「シュバリエ殿下のことだが……」
その名を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
(嫌……教授から……あの方に嫁げ、なんて命令……)
「あ、あの……教授!私の話を……聞いていただけますかっ……!」
ラリータは自分の気持ちを教授に伝えずに、片想いしてる相手から違う男性に嫁げと言われてしまうことに恐怖し、あわてて言葉を紡ぐ。
「話を?」
「は、はい……私……」
心臓の鼓動が耳の奥で暴れ出す。
息が浅くなり、指先が震える。
「……今回の親善訪問に同行したのは……私の、浅ましい気持ちからで……」
「……」
「実は……学園にいた頃から……私は……」
喉が焼けるように熱い。
逃げたくなるほど恥ずかしいのに、目を逸らせなかった。
(でも、ここで言わなければ一生後悔する)
「……教授のことが……」
「……俺のことを?」
「す……」
好きです。
そう言おうとした時、
ラリータの口元に、温かい手の感触が重なった。
「……ここでは、言うな」
低く、抑えた声。
教授の顔は表情はわからないが口元はキツく結ばれている。
「きょ……きょうじゅ……っ……」
言葉にならない声が漏れる。
口を塞がれたまま、ラリータの心臓は別の音を立て始めた。
気づけば、ベールはすぐ目の前にいた。
逃げ場のない距離。
長い前髪が揺れ、隠されていた顔が半分露わになる。
深いアメジスト色の瞳が、まっすぐラリータを射抜いた。
(……だれ……この綺麗な人…………)
知っているはずの教授なのに。
まるで、初めて見る男性の顔だった。
その視線に引き寄せられるように、ラリータは息を忘れ、身を乗り出す。
何がどうしてそうなったのかラリータ自身全くわからない。ただ自然とそうなったのか……
唇に、確かな温もりが触れた。
逃げる暇も、考える時間も与えられず、ただ、優しく、包み込むようなキス。
馬車の揺れも、外の音も、すべてが遠ざかる。
世界に残ったのは、唇に触れるベールの温度だけだった。




