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その日の夕方。
まだ教会で作業を続けていると、外が急に騒がしくなった。
「……?」
不審に思い、ラリータは窓辺に歩み寄って外を覗き込む。
教会の前に、見慣れぬ馬が数頭。
いずれもよく手入れされ、明らかに高位の者が乗る馬だと思った。
(誰か……来たのかしら……)
そう思った瞬間、作業部屋の扉が勢いよく開いた。
「ラリータ嬢!」
飛び込んできたのはこの国の王太子、シュバリエ殿下だった。
場違いなほど華やかな服装は、疲れ切った教会の空気の中でひどく浮いており、居合わせた人々の視線を一斉に集める。
「……シュバリエ殿下……?」
さすがのラリータも、驚きに動きを止めた。
「ザイル陛下から聞いたのだ。ラリータ嬢がベールとともに北の領地へ向かったとな。ちょうどよい、視察も兼ねて会いに来た」
その言葉に、ラリータの胸に驚きと同時に、強い違和感が込み上げる。
視察?
この状況で、そんな軽々しい言葉を……?
この部屋には病人はいないとはいえ、隣室や下階では、命の瀬戸際にいる者たちを看病する人々がいる。
「ついで」のように聞こえる言い回しは、村人の心を踏みにじりかねない。
ラリータは思わず、周囲を見回した。
村人たちは王太子の突然の来訪にすっかり萎縮し、声を失ったまま、静かに頭を下げて後ずさっている。
「でん……」
「王太子殿下」
ヘーゼルが声を発するより早く、ベールが一歩前に出て、その前に立ちはだかった。
「おお、ベールもいたのか」
「……ここは教会ではありますが、現在は病院として機能しております。殿下に病がうつれば一大事です。速やかに、この場を離れてください」
低く、硬い声だった。
感情を抑えている分、その拒絶ははっきりと伝わる。
ベールはそう告げると、殿下に付き従ってきた後ろに控える騎士たちへ、鋭い視線を向けた。
「ベール、先ほども言ったが、これは視察だ。蔓延している病がどれほどのものか見に来た、父上にも許可は取ってきている。そう神経質になる必要はあるまい」
その言葉に、教会の空気がぴんと張り詰める。
ラリータは、無意識のうちに拳を握りしめていた。
ここは、命を救う場所だ。
そんな気軽に来るような場所ではない……
胸に、静かな怒りが灯る。
ラリータは、すっとベールの前に出ると、まっすぐにシュバリエを見据えた。
「ラリータ嬢、少し外で話さないか?」
自分から前に出てきた彼女を好意的に受け取ったのか、シュバリエはどこか嬉しそうに、軽い調子でそう誘う。
「……シュバリエ殿下。ええ、外に出ましょう」
声は固く、感情を抑え込んだものだった。
そう言うとラリータは、殿下の横をすり抜けるように通り過ぎ、教会の出口へと向かう。
広々とした庭に出た瞬間、ひんやりとした空気が肺に満ちた。
ラリータは立ち止まり、振り返る。
エメラルドグリーンの瞳を鋭く光らせ、シュバリエを真正面から睨みつけるように立った。
「……なんだ?ラリータ嬢は、何か怒っているのか?」
シュバリエはその視線を正面から受け止め、楽しむように口元を緩める。
「怒っています」
即答だった。
「ここは、殿下が『視察』のついでに立ち寄る場所ではありません」
静かな声だったが、一語一語に強い意志が込められている。
「この教会には、命の瀬戸際にいる方々がいます。そして、その命を繋ぐために、村人も、騎士も、薬師も、皆が必死に手を動かしています」
ラリータは一歩、前に出る。
「その中で『ついでに』などという言葉が、どれほど人の心を傷つけるか……殿下は、お考えになりましたか?」
一瞬、庭の空気が張りつめた。
シュバリエは目を瞬かせ、やや意外そうにラリータを見る。
「……随分と、はっきり言うな」
「はい」
視線を逸らさず、きっぱりと答える。
「ここにいる間、私は『貴族令嬢』ではありません。私は……薬師として、ここにいます」
その言葉に、シュバリエの表情から軽さが少しだけ消えた。
「……なるほど。ベールの影響、というわけではなさそうだな」
ラリータは答えない。
ただ、まっすぐに立ち続ける。
「いいだろう」
シュバリエは肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「確かに、配慮が足りなかった。村人たちの前での言葉は、軽率だった」
その意外な謝罪に、ラリータはわずかに目を見開く。
「……だが、それでも私は王太子だ。病の状況を自分の目で見る必要がある」
「……見るだけなら、意味はありません」
ラリータは、はっきりと遮った。
「必要なのは、ここにいる人々を守ることです。殿下が本当に視察に来られたのであれば……どうか、村人に今できる『支援』をお考えください」
沈黙。
やがてシュバリエは、ふっと笑った。
「……やっぱり面白いな、ラリータ嬢。その言葉、覚えておこう」
夕暮れの庭で、二人の視線が交差する。
教会の中では、今も誰かの命を繋ぐ手が動き続けていた。




