12
「ああああああああ!!」
その頃、ラリータは自室で頭を抱えていた。
思わず、独り言が口をついて出る。
「信じられない……!せっかくのチャンスを、自分で棒に振るなんて……!教授のほうから誘ってくださったのよ!?それなのに、私は……私は……!」
悔しさのあまり、ベッドに突っ伏す。
何度目かわからない後悔を、また最初からなぞるように繰り返していた。
「……こちらから頼んでみる?『お願いします、この部屋で薬を作らせてください』って……?無理無理無理!……絶対無理!!」
がばっと起き上がり、今度は部屋を行ったり来たりし始める。
「だって、さっき……私自ら『騎士団にも調合室があります』、って言ったばかりなのよ!?いまさら、『やっぱり教授の部屋がいいです』、なんて……そんなの、どう考えてもおかしいじゃない!」
自分で言って、自分で否定する。
思考がぐるぐると同じ場所を回り続ける。
「でも……教授は、あと一日しかここにいないのよ……」
ふと立ち止まり、ぽつりと呟く。
「……だったら……」
だが、すぐに首を振った。
「……ダメよ、一度、この恋を諦めたんだもの。いまさら、何を……」
そう言いながらも、胸の奥がちくりと痛む。
「……でも……きちんと気持ちを伝えたわけじゃない……ただ、逃げただけじゃない……?」
自分の頭に、そっと手を当てる。
あのとき。
何年も前、ベールが何気なく頭を撫でてくれた、その感触。
今でも、はっきりと思い出せてしまう。
「……本当に、いいの?ラリータ……」
誰にともなく問いかける。
答えは、とっくに決まっていた。
ただ、それを実行する勇気が、ほんの少し足りないだけだ。
(想いを……伝えるだけでいいのよ。振られるのはわかってる。でも……ここで勇気を出さなかったら、いつ出すの?)
きゅっと、拳を握りしめた、その時だった。
コン、コン。
ドアがノックされる。
「……はい」
「ラリ、僕だ。今、いいかい?」
声に促されて「どうぞ」と言うと、入ってきたのは兄のアルカナだった。
騎士団から直行してきたらしく、剣を携え、騎士団の訓練用の服のままだ。
「どうなさったの?お兄様」
「先ほど父上から連絡があってね。今夜の夕食は、お客様とともに取るので、ダイニングに来るようにと……」
「……また、お父様ったら……」
ラリータは、心底うんざりした顔をする。
「そんなことをしたら、こちらが常識のない家だと思われてしまうわ……」
「……まったくだ。我々は宿を提供しているだけだ。陛下と同じテーブルで食事をするなど、厚かましいにもほどがある……」
アルカナもソファに腰を下ろし、同じように頭を抱える。
「お兄様は、どうなさるの?」
「……無視すれば、父上がまた騒ぐ。騎士団にも迷惑がかかるのは目に見えているからな……仕方ない、参加するしかないだろう」
「……私は……出たくないわ……」
(……そんな場に出たら、『陛下を狙う浅ましい女』だと教授に思われてしまう……)
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
(それだけは嫌……ただでさえ、さっきのお誘いに答えられなかったのに……これ以上、印象を悪くしたくない……)
「でも、父上の狙いはラリだろう?」
(……『あわよくば、娘が陛下に見初められれば』……父の考えなど、見え見えだわ……)
「……それは、わかりきっているけれど……本当に、嫌なの……」
沈んだ表情の妹を、アルカナはじっと見つめる。
「そうか…………この一行には、ラリの憧れの人も同行しているんだったな……」
ふと、数日前。
来賓リストを見て、珍しく浮き足立っていた妹の顔を思い出す。
「……会えたのか?」
「……ええ、お会いできたの……でも……」
言葉が途中で途切れ、妹の顔がさらに曇る。
あまりにも悲壮感の漂う表情に、アルカナは思わず立ち上がり、ラリータのもとへ歩み寄った。
「どうしたんだ、ラリ?何か……あったのか……?もしかして、そいつから嫌なことでも……」
もし、ラリに酷い仕打ちをする者がいるのなら、それはもはやアルカナにとって『敵』だ。
アルカナは片手でラリータの頭を優しく撫でながら、もう一方の手を、無意識のうちに強く握りしめていた。
「いいえ……教授は……」
ラリータは小さく首を振る。
「私なんかに、声をかけてくださったの。薬の調合をするなら、場所も貸してくださるって……そこまで言ってくださったのに……」
声が、かすかに震える。
「でも、私……咄嗟のことで、何も言えなくて……結局、返事もできないまま……無視したみたいになってしまって……」
「ラリ……」
ラリータの瞳に、じわりと涙が滲む。
「お兄様だって……自分の言葉を無視するような、そんな女……嫌でしょう……?」
ぽつりと落とされたその一言は、弱々しく、しかし痛いほど切実だった。
目の前の妹は、辺境伯令嬢でも、薬師でもない。
ただ、好きな人の前で一歩踏み出せずに立ち尽くした、ひとりの少女だった。
アルカナは、しばらく何も言わずに妹の頭を撫で続けていたが、やがて静かに口を開いた。
「……嫌だと思うかどうか、か」
低く、落ち着いた声だった。
「それは、相手が『どう受け取ったか』で決まることだ」
ラリータが、驚いたように顔を上げる。
「本当に……?」
「ああ。きちんと話せば、わかってくれるのではないか?……だって相手は教授なんだろう?たしかラリは昔、『教授は生徒の話をよく聞いてくれる』って言っていただろう?」
アルカナは、少しだけ口元を緩めた。
「お兄様……そんなことを覚えていたの?」
その言葉に、ラリータの胸がわずかに軽くなる。
「ああ。あの時のラリは、本当に浮かれていたからな……その教授に憧れているって……」
アルカナは、妹の目をまっすぐ見て言った。
「まだ一日ある。誤解なら、解けばいい……」
兄の声は、騎士団を率いる者らしく、迷いがなかった。
「……ラリは辺境伯の娘だ。まさか、逃げるなんて考えているわけじゃないだろ?」
兄は、わざと揶揄うようにラリータの顔を覗き込む。
ラリータは、ぎゅっと唇を噛みしめた。
その問いかけは、胸の奥にまっすぐ突き刺さる。
「……ええ、そうね……わかったわ。今夜の夕食に出席する……そこで、教授に話しかけてみる」
「……ああ、その意気だ。じゃあ、教授のためにおめかししないとな」
ラリータはアルカナに強く頷いた。
それを見たアルカナは微笑み、ラリータの部屋の呼び鈴を鳴らす。
すぐに侍女がやって来ると、アルカナは着替えを手伝うよう指示し、部屋を後にした。




