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ラリータは、いつものように庭園へ薬草を取りに来ていた。
(そろそろ騎士団の薬が減ってきたって、アービンが言っていたわよね……)
アービンは、辺境伯騎士団の団長だ。
三十を過ぎてなお独身で、オーレアン家の家令ビショップの孫にあたる人物でもある。
幼いころから顔を合わせてきた相手で、ラリータにとっては兄のような、時に口うるさい保護者のような存在だった。
(切り傷用の薬草を多めに……それから、打撲用も少し……)
慣れた手つきで、ラリータは自分の薬草園を歩き回る。
葉の色、茎の張り、土の湿り気。
一つ一つを確かめながら、必要なものを摘み取っていく。
(あ、腹痛用の……ゴマルと、イチイ……)
左手にゴマルを持ったまま、周囲を見渡す。
(……あれ?イチイ、どこに植えたかしら……)
ラリータは、薬草を『感覚』で植える癖があった。
きちんと区画を決めて植えればいいと分かってはいるのだが、
丁寧にやろうとすればするほど、なぜか後で自分が迷子になる。
(確か、この辺りだったはずなんだけど……)
首をかしげながら探していると。
「……イチイはそこだ。右、二つ目の区画」
不意に、頭上から声が降ってきた。
「っ!?」
驚きで手が跳ね、収穫したばかりのゴマルが地面に落ちる。
慌てて振り返り、声の主を探す。
「君が、ここのお嬢様か?」
(……ケベック教授……!)
そこに立っていたのは、記憶の中と変わらない姿だった。
だらしなく伸びたシルバーグレーの髪。
猫背気味の立ち姿。
年齢不詳で、どこか影のある雰囲気。
「……驚かせたか」
そう言いながら、ベールは前髪の隙間からじっとラリータを見ているようだった。
「君は、この辺境伯の娘だな?」
胸が、きゅっと音を立てた気がした。
「……どこかで見覚えがあるな……」
ぽつりとこぼれたその言葉が、風に乗ってラリータの耳に届く。
(覚えていてくれたの……?)
胸の奥が、ふわりと浮き立つ。
思わず口が動きかけた。
『お久しぶりです、教授……』
だが。
「……いや、違うか。知らんか……」
ベールはすぐにそう呟き、興味を失ったように視線を逸らした。
ラリータの浮かびかけた喜びは、その一言で、あっさりとしぼんでいく。
「……ごきげんよう。ラリータ・オーレアンでございます。お部屋はいかがでしょうか?何かご不便な点はございませんか?」
「……おかげさまで快適だよ。いろいろと気遣いをありがとう」
(教授から……お礼を言われてしまったわ……!)
思わず口元が緩みそうになるのを必死でこらえる。
「ご滞在中、何かございましたら、ご遠慮なくお申し付けください」
スカートの端をつまみ、ゆっくりと、洗練した動きで美しく頭を下げる。
(華やかなカーテシーだな……さすが辺境伯家の令嬢、といったところか……まあ、陛下に売り込むために練習でもしてきたのだろうな……)
「ありがとう。ところで君は、そこにいるということは……薬学に精通しているのかな?」
「え?あ、はい」
「ふーん……腹痛薬を作ろうとしていたんだろう?ゴマルとイチイ、それにエーリアか?」
「はい!よくお分かりで……さすがケベック教授ですね」
「教授?……君は、私とどこかで会ったことがあるか?まさか、学園の生徒だったのか?……」
「……はい……生徒でした……」
「そうか……なるほど。それで、この部屋割りか……納得した」
一瞬、胸がきゅっと縮む。
「……お部屋割りは……ご迷惑でしたでしょうか?」
「いや、助かった。陛下たちと同じ階だと、どうにも落ち着かないからな」
その言葉に、ラリータはほっと息をついた。
「その薬草の調合は、どこで行うんだ?見るところ、この部屋は……君の部屋だったのでは?」
「……騎士団にも小さな調合室がございます。そちらで行いますので、問題ございません」
「そうか……ここを使って構わないよ。どうせ私はここでは書類仕事をするだけだ」
(……え? 本当に……?教授の、部屋で……?一緒に……?いいの……?『はい』って……言って、いいの……!?)
胸の奥が、きゅっと音を立てて縮む。
次の瞬間には、ありえないほど幸せな想像が頭の中を駆け巡り、思考が追いつかなくなった。
言葉にしようと口を開く。
けれど、声が出ない。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえていた。
無言のまま立ち尽くすラリータを見て、ベールはそれを別の意味で受け取ってしまう。
(やはり、困らせたか……)
長い沈黙を「拒絶」と判断し、ベールはわずかに視線を逸らした。
「……まあ、嫌だよな」
低く、納得したような声。
「昔、教えていた相手と一緒に、など。……もう生徒でもないしな……」
一瞬だけ、言葉を選ぶような間があった。
「……すまない。忘れてくれ。では」
それだけ言うと、ベールはそれ以上何も言うこともなく、開け放たれていた窓を静かに閉めた。
ぱたん、と乾いた音が響く。
(……え……?)
遅れて、現実が追いつく。
(ち、違う……!違うの……そうじゃなくて……!)
けれど、閉じられた窓の向こうに、もう教授の姿はなかった。
ラリータは、薬草園の真ん中で、ぽつんと立ち尽くす。
(……あ……)
胸の奥に、じわりと広がる後悔。
(今の……今のは、チャンスだったのに……)
そう気づいたときには、もう遅かった。
(……バカだな)
ベールは心の中で、吐き捨てるように呟く。
(彼女はヘーゼルじゃない。楽になるかもしれないからと、昔の教え子を助手に誘うなど……ありえん)
自分が思っている以上に、まだヘーゼルの存在を近くに感じていることに、ベールは気づいていた。
ヘーゼルは、今も彼の弟子だ。
先日、竜騎士団団長のアクオス・メレドーラと結婚したとはいえ……
アクオスはヘーゼルの家の子爵家に婿入りし、叙爵を受け、今はアクオス・ガゼット伯爵となっている。
ヘーゼルは今も弟子であることに変わりはない。
だが、伯爵夫人でもある。
以前のように、頻繁に顔を合わせることはなくなった。
「……はあ……」
深く、重いため息をひとつ。
ベールは書類を広げた机へ戻り、渋々ペンを取る。
頭をがりがりと掻きむしりながら、
嫌々と、しかし正確な筆致で、再び書類に向かった。




